×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

14 衝撃
 覚悟を決めて手を引かれ家に上がり込んだというのに、落ち着け落ち着けと念じれば念じるほど、私は自分に余裕がなくなっていくのを感じていた。これでお邪魔するのは三回目。一回目も二回目も、ご飯をご馳走になっただけで、特別なイベントは発生していない。だから今回だって先生は、ちょっとした親切心とお節介で、ツイていない憐れな隣人に手を差し伸べてみただけに違いないのだ。
 そんなこと分かっている。分かっているから、変な期待はしたくない。しかしどんなに期待するなと言い聞かせたところで、私には先生に握られていた手の温度を忘れることなどできないのだった。
 先生は家に入ると、ひどくあっさり私の手を離した。そして先生の手を握っていた方とは逆の手からコンビニ袋を奪うと、アイスを冷凍庫におさめてくれた。部屋に入ってすぐ冷房の電源を入れてくれたから、室内は既にひんやりし始めている。というのに、私の汗は止まらない。


「寝室のベッド使って良いから」
「えっ!?本気で言ってます?」
「そのつもりで来たんだろ」
「来たっていうか、連れて来られたっていうか…」
「ふーん?そんな言い方するんだ?じゃあ今から帰んの?灼熱地獄の隣の部屋に」


 そういう挑発的な言い方をされるとムッとしてしまうけれど、私の言い分は正しい。だって実際、私は抵抗したじゃないか。それをなかば強引に連れて来たのは紛れもない先生だ。それなのに、あたかも私が望んでここまで来ました、みたいな言い方をされるのはやっぱり納得がいかない。
 しかし、売り言葉に買い言葉で言い返したところで先生に勝てないことは、経験上分かっている。無駄な言い争いをしても仕方がない。だから私はムッとしながらも、閉口したまま、掃除の行き届いたリビングの床をじっと見つめていた。


「俺風呂入ってくるから適当に寛いでて」


 マイペースな先生はそれだけ言い残すとお風呂場へ行ってしまった。まあここは先生の家だから好きにしていただいて構わないわけなのだけれど、適当に寛いでてと言われて寛げる状況じゃないことは察してくれないのだろうか。……無理だよね。先生だし。
 私はとりあえず、ダイニングテーブルの椅子に腰かける。先生がいないことで少しだけ息がしやすくなった。
 今のうちに自分の部屋へ帰ることは容易にできる。しかしそんなことをしたら、今後鉢合わせた時に気不味くなることは必至。もしかしたら目も合わせてくれなくなってしまうかもしれない。それは嫌だ。
 覚悟を決めてきたじゃないか。たとえ二人きりで長い時間を過ごすことになったとしても、それによってこの気持ちがバレてこっ酷くフラれる未来が待っていたとしても、全て受け入れる。傷付いても良い。そう、覚悟したはずなのに。
 いざとなるとやっぱり傷付くのは怖い。私が先生への気持ちを上手に隠し通せたら問題はないのだろうけれど、今までの感じだとそれは確実に無理だ。先生の一挙手一投足に、どうやっても動揺してしまうから。


「あれ。アイス食ってないじゃん」
「もうお風呂あがっ……!?」
「飯どーすっかな」


 シャワーだけ浴びてきたのだろうか。随分と早くお風呂から戻ってきた先生は呑気に冷蔵庫の中を確認しながら呟いているけれど、私はそんな呟きなど頭に入ってこなかった。
 何度も言うように、ここは先生の家だからお好きなようにしていただいて構わないと思う。けれども、仮にも女である私の前に突然上半身裸で現れるのはいかがなものだろうか。
 先生は私を女と意識していないから、平気でこんなことができるのだ。しかし私は違う。先生を一人の男の人として意識しまくっている。だから咄嗟に顔を伏せてしまったのは、反射みたいなものだ。目を逸らすためにはそれが一番手っ取り早い。
 しかし目を逸らしたところで、私の脳内にはしっかりと先生の身体のフォルムが焼き付いてしまっていた。時間にしたらほんの数秒しか見ていないけれど、それだけ衝撃的だったのだ。
 運動しているのか鍛えているのか知らないけれど、男の人特有の筋肉のつき方。お腹は全然出ていなくて、むしろ引き締まっていた。最低な元カレと比べるのは失礼だと思うけれど、先生は間違いなく元カレよりイイカラダをしている。


「飯もう食ったんだよな?」
「あ、はい、軽く…」
「何食った?」
「……そうめん」
「だけ?」
「だけですけど」
「それ絶対腹へるだろ」
「料理する気も失せるぐらい暑かったんです!」
「はいはい。分かった分かった」


 またもや女子力の低さを露呈してしまったけれど、まさかこんなことになるなんて思っていなかったのだから仕方がない。見栄を張ったところでボロが出るのは目に見えているから、下手に嘘を吐くこともできなかった。
 案の定、先生は呆れたように相槌をうって冷蔵庫の中から適当にカラフルな野菜を取り出すと、手際よくそれらを切り始めた。上半身裸のままで。
 お風呂上がりは暑い。それは分かる。けれどもこの部屋は涼しいのだから、Tシャツぐらい着てくれてもいいのではないだろうか。私一応お客さんだし。それ以前に女だし。ちょっとぐらい配慮してほしい。私の身がもたないから。


「あの…服、着ないんですか」
「ああ、そういえば」
「忘れてたんですか?」
「夏の風呂上がりは大体このままうろうろしてるから」
「そうなんですか……」
「ドキドキするって?」


 そんなわけないでしょう!違います!と、言えたら良かった。言うべきだった。そうやって適当にふざけて、取り繕わなければならなかった。それなのに私は、口籠ってしまった。
 だって、たとえそのセリフを言ったところで、表情や顔色はコントロールできない。ドキドキしていないフリをしようにも、勝手に顔に熱が集まってしまうのだから、取り繕いようがないのだ。
 トントンとリズミカルにまな板を叩いていた包丁の音が途絶えた。そして感じる視線。見られていると分かったら、より一層顔が上げられない。


「男の身体見んの、初めてじゃないだろ」
「そういう問題じゃないでしょう!」
「海とかプールとかに行って水着姿の男にいちいちドキドキすんの?」
「だから!そういう問題じゃないんですってば!私は先生だからドキドキしてるわけであって!誰にでも…ドキドキ…する、わけじゃ……」


 段々尻すぼみになっていく声のボリューム。やってしまったと気付いた時にはもう遅かった。こんなの、もはや告白したのと同義だ。私の馬鹿。いや、ここに来た時からこんなことになりそうな予感はしていたけれども。できればもうちょっと上手に、可愛く、カミングアウトしたかった。
 いっそのこと消えてしまいたいという思いで身体を縮こまらせる私に、先生の視線は注がれたまま(だと思う。確認する勇気はない)。心臓だけが自分とは別の生き物であるかのように激しく脈打っているのが分かる。
 何か言ってほしい。でも、何も言ってほしくない。どちらにしても地獄だ。


「あのさ」
「は、い」
「ほんの少し前から思ってたんだけど」
「はい、」
「俺のこと好きなの?」


 何の捻りもなくストレートに確認されてしまうと、もう逃げようがない。そんなことないです、なんてこの状況で言っても無理がある。だからこの問い掛けに対する答えは、実質一つしかなかった。
 腹を括れ。女は度胸だ。私は震える唇を動かした。


「はい」


 声は思っていた以上にすんなりと出てきた。震えてもいなかったと思う。
 先生は今、どんな顔で私を見ているのだろう。きっとすごく驚いているんだろうな。一体いつ、どの瞬間から好きだなんて思い始めたんだよ、って疑問を抱いているに違いない。


「そっか」


 一世一代の告白と言っても過言ではなかったのに、先生からの返事はなんとも味気なくて拍子抜けする。そっか、って。何それ。どんな感情で吐き出された言葉なのか、さっぱり分からないじゃないか。
 どうしよう。めちゃくちゃ気まずい。この上なく息がしづらい。逃げ出しても良いだろうか。そう考えて椅子から立ち上がった時だった。


「そりゃ良かった」
「良かった……?」


 理解し難いセリフが聞こえてきて、思わず顔を上げ先生に目を向けてしまった。そして、交わる視線。
 やっとこっち向いたな、と呟くように言ってこちらに近付いてくる先生から、目を逸らすことはできない。ついでに後退りすることもできなくて、まるで金縛りにでもあったかのように身動きが取れない私。


「遅ぇよ」


 頭をぐしゃりと撫でられるのと、先生の胸板に顔を押し当てられるのは、ほぼ同時だった。

prev top next