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18

宜しい、ならば戦争だ

大学生の夏休みは長い。9月になってもまだ夏休みだなんて、正直やることもないし早く後期の授業が始まってほしい。そう思うはずだった。今までの私だったら。それが今はどうだろう。休み中にまたどこかに行けるだろうかとか、彼は後期にどのような授業を選択するつもりなのだろうかとか、考えるのは彼に関する浮ついたことばかり。学生の本分は勉強なのに、私は一体どうしてしまったのか。こうなってしまった原因は勿論、赤葦君である。
バイト先の人にはいつのまにか付き合っていることがバレていた。それはそれはもうナチュラルに。誰も何も追求してこなかったけれど「2人って付き合ってるんでしょ?お土産ありがとね」と言われた時には開いた口が塞がらなかった。しかし、同時に少し安堵もしていた。そうか、大学生の男女ともなると付き合っていたって何もおかしいことはないし、いちいち介入してこないのが普通か、と。
そんな9月の中旬。バイト先に同級生の女の子が現れた。彼女とは何かの講義で一緒にグループワークをした覚えがある。だから顔に見覚えはあるのだけれど、はて、名前は何と言っただろうか。申し訳ないことに殆ど会話をした記憶がないものだから、すっかり忘れてしまった。彼女はレジに来て私の顔を見るなり、あ、と声を漏らしたので、私と同様に顔に見覚えがあったのだろう。愛想よくにこりと笑ってくれた。


「名字さん、ここでバイトしてたんだね」
「うん」
「あんまり来たことなかったから知らなかった」


なんと彼女は私の名前を覚えていてくれたらしい。するりと自分の名前を呼んだ彼女は記憶力に自信があるのだろうか。こうなると彼女の名前を覚えていない私がとんでもなく失礼に思えてきてならない。
とりあえずボロが出ないうちにさっさと会計を済ませてしまおうと、彼女がカウンターに置いた女性もののファッション雑誌を手に取る。なるほど、こういうのを見て服や髪型の研究をするのか。そんなことを思いながらレジ打ちをしている時、もう話しかけてこないだろうと思っていた彼女が話を振ってきた。


「名字さん、ちょっと雰囲気変わった?」
「え?そんなことないと思うけど」
「そうかな…なんとなく女の子らしくなったっていうか…あ!元々可愛いんだけど!」


下手な社交辞令は必要ないというのに、彼女はわざわざ私に可愛いという形容詞をプレゼントしてくれた。彼に言われた時はあんなに胸が高鳴ってどうしようもなかった単語に、今はなんの感情も湧いてこない。これが恋というものなのだろうと、ここにきてじんわりと実感する。
そうやって彼のことを頭に思い浮かべてしまったからだろうか。このタイミングでなんと彼が数冊の本を持ってレジにやってきた。取り置き用の商品を持って来たのだろうか。何にせよ、普段はほぼレジ周りにやって来ることがない彼が現れたことに驚く私と、私よりも驚いた様子できょろりと大きな目を彼に向けている彼女。そして暫くして、その真ん丸眼はこちらに戻ってきた。


「名字さんって赤葦君と同じバイト先だったの?」
「ああ…うん」
「そういえば夏祭りの日に2人によく似たカップルを見かけたんだけど」
「え」
「もしかしてあれって本当に2人だったの?付き合ってる?」


この話の流れだと遅かれ早かれ追求されるだろうとは思っていた。けれど、思っていた以上に問いかけられるのが早かったから、私はどうしたものかと口籠る。まるで、考える余地を与えない、と暗に言われているような早さだ。
この場は、そんなんじゃないよ、とはぐらかすのが無難だろうか。けれどもわざわざ嘘を吐いてまで隠す必要があるのかどうかは疑問である。ただ、堂々と胸を張って付き合っていますと宣言できるほど、私はこの手の話題に慣れていなくて困ってしまう。私と赤葦君が付き合っていると知ったら、彼女はどう思うだろうか。不釣り合いだとか、不愉快だとか、負の感情を抱くかもしれない。そう思ったら益々答え難くなってしまって、私は彼女から視線を逸らした。
けれども彼女の視線から逃れることはできない。さてどうしようか。こういう困っている時に助けてくれるのは当たり前のように赤葦君で、彼はいつの間に傍まで来ていたのか、私に投げかけられたはずの彼女からの問いかけに答えてくれた。


「付き合ってるけど、それがどうかした?」


どうも刺々しい口調のような気がするのは気のせいだろうか。まあいい。彼がそう答えたのならその答え方が正解なのだろう。とは言え、彼女からの長時間の視線に耐えられない私は、せっせとレジ打ちや雑誌を袋に入れる作業をして早く彼女に帰ってもらおうと頑張っていた。けれども彼の発言にぽかんと口を開けて固まってしまった彼女がお金を出してくれないものだから、いつまで経ってもお会計は終わらない。金額を伝えてやんわりと催促すれば、我に返ったらしい彼女はお金を出してくれたので、今のうちにとさっさとレジ打ちを終わらせる。


「名字さんって真面目そうだと思ったのに、そういうところはちゃっかりしてるんだ」
「え?」


危うくお釣りを取りこぼしてしまいそうになったけれど、ギリギリのところで持ち直す。彼女の言う「そういうところ」とはどういうところのことを指しているのか、そして何がちゃっかりしているのか、私には分からなかった。しかし彼には全てが分かったらしい。お釣りを返し終えた直後に私と彼女の間に割って入るみたいに、ずい、と近付いてきたのがその証拠。珍しく怒りとも苛立ちともとれる感情を滲み出している彼は、真っ直ぐに彼女を見据えている。


「言っとくけど、付き合ってって迫ったのは俺の方だから」
「え?赤葦君から?」


この反応を見る限り、どうやら彼女は私の方が彼に迫ったと思っていたらしく、私と彼を交互に見ながらかなり驚いている様子だった。周りからしてみれば彼の方からアプローチする姿は想像できないのだろうか。それとも逆に私がぐいぐい迫っていく雰囲気があるのだろうか。もしそうだとしたら、そのイメージは一掃していただきたい。


「意外、だね」
「そう?」
「どうして名字さんなの?」
「レジ、次のお客さんが待ってるから早くしてくれる?」


ご尤もな意見ではあったけれど、彼女に対しては些か失礼な物言いだったかもしれない。袋に入ったファッション雑誌を少し乱雑に引っ掴んだ彼女はレジを後にしてくれたけれど、その雰囲気は明らかに不機嫌そのものだった。大学の後期が始まってからまた再会したら少し気まずいような気がする。でもまあ、いちいちそんなことを気にするべきではないのだろう。私は気持ちを切り替えて次のお客さんの対応にあたった。
それからバイトは滞りなく終了し、すっかり日も暮れた帰り道。私は彼と並んで歩いていた。目指すのは私の家。最近ではこうして送り届けてくれることが普通になってきていて、それが嬉しいような恥ずかしいような。まだ慣れないのは確かだった。


「そういえば、私と付き合ってるって言って良かったの?」
「ああ…もしかして隠してた方が良かった?」
「そういうわけじゃないんだけど…私みたいな優等生と付き合ってるって知られたら赤葦君が変な目で見られるんじゃないかと思って…」
「優等生じゃないでしょ、名字さんは」


そう言われるの嫌がってたよね?と笑う彼は、相変わらず揚げ足を取るのが上手い。確かに彼の言う通り、私は以前、彼に向かって優等生と言われるのは馬鹿にされているようで腹が立つと言ってのけたことがある。けれども今とその時とでは明らかに状況が違うということぐらい、彼も分かっているだろう。
彼はきちんと分かってくれている。私が優等生ではないことを。皆が思っているような「いい子ちゃん」ではないということを。けれども彼女を始め、彼以外の人間は恐らく私を「優等生のいい子ちゃん」としか認識していない。彼女が私の名前を覚えていたのだって、首席で入学した子だからなんとなく、という理由だろう。
今更その先入観をどうこうしようとは考えていない。元々そういうスタンスで生きてきたのだ。彼が例外なだけ。彼に出会って私は変わった。自分のことなんて誰にも分かってもらえなくていいという考えから、分かってくれる人だけが分かってくれたらいいという考えに変わったのだ。今のところそれに該当するのは彼だけなのだけれど。


「俺は気にしないって前にも言わなかったっけ?」
「…それなら、いい、けど」
「そういうの気にするの、名字さんらしくないんじゃない?」
「赤葦君といると調子が狂うの」
「それは俺も同じなんだけど」
「調子が狂った赤葦君ってほぼ見たことないよ」
「そう見えてるならそれの方がいいや」


夜道をゆっくり歩きながら、何の断りもなく手を攫われる。こんなところをまた同級生に見られたらどうするんだ、と考えたのはほんの数秒。彼は気にしないと言った。それならば私も気にする必要はないのではないか。そう思ったのだ。
そんな出来事があったからだろうか。私と彼は、それまでよりも堂々と色んなところに出かけることが多くなった。お互いの部屋にも何度か行き来したし、バイト帰りは必ずと言っていいほど彼と一緒。これが付き合うということなのかと実感させられる日々だった。
そうして迎えた大学の後期。私の世界は一変していた。