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19

綻びを縫い合わせる人

後期が始まった初日。にもかかわらず、私と彼が付き合っているということは既に知れ渡っていた。私も彼も、付き合っているということは誰にも言っていない。ということは、夏休み中に出会ったあの子が色んな人に言いふらしたとしか考えられなかった。恐ろしい拡散力である。
でもまあ彼だって隠すことじゃないと思っているようだし、私も彼がそう思っているなら問題ないと高を括っていた。大学生の男女が付き合うこと自体は何らおかしいことじゃない(らしい)し、気にすることじゃない。そう思っていた。しかし数日後、私はその考えを改めざるを得なくなる。
まずおかしいなと思ったのは、全く知らない女の子から「赤葦君と付き合ってるって本当?」と尋ねられた時だ。嘘を吐くのもおかしいので、本当だよ、と答えれば明らかに顔を顰められた。
またある時は「どうやって取り入ったの?」という不躾な質問をされたこともある。取り入ったも何も、気付いたら彼が私に絡んできていたのだから答えようがない。だから正直に事の次第をざっくりと説明した(私の主観はできるだけ省いて事実を説明した)というのに、恐らくあまり信じていない雰囲気の顔をされた。
他にも色々と小さなエピソードはあるのだけれど、挙げだしたらキリがないので割愛。そして私は漸く気付いた。こんなことを私にきいてくる女の子が沢山いる。その理由は、彼がモテるからだということに。
気にする必要はないと何度も言われた。私も、気にしないように努めた。けれども、大学構内を彼と一緒に歩いていると視線を感じてしまうようになった。彼の隣を歩いているのが私だとおかしいのだろうか。皆、彼に私みたいな堅物女は勿体ないと思いながら見ているのだろうか。そんなことを考えてしまうようになった。
私個人のことはどう思われても良い。けれども「彼の隣にいる私」のこととなると話は別だった。こんなにも自分に自信がなくなるのはもしかしたら初めてのことかもしれなくて、彼と知り合ってから、また初めてが増えたなあなどと呑気なことを考える。これはもはや現実逃避だ。
そうして、私らしくないなと思いながらも思い悩む日が数日続き、私は頭や気持ちの整理をするために彼から距離を取ることにした。その結果、当たり前のことながら、私と彼は夏休みの時の距離感が嘘のように、遠い存在になった。まるで付き合い始める前に戻ったようだと思ったけれど、不思議と安心している自分もいた。
これが本来あるべき姿なのかもしれない。彼と一緒にいる時の自分は、まるで自分が自分じゃなくなるみたいな、地に足がつかずふわふわ浮いているような、そんな感じだった。今までの自分とは明らかに違ったのだ。
それはよく言えば、彼に自分を曝け出せていたということになるのかもしれないけれど、そうやって誰かに甘えるという行為は、本来の私のポリシーに反している。つまり、よくないことだったのかもしれないと思うようになった。そもそも、私はこの大学に勉強するために来ているのだ。色恋沙汰でふわふわしているわけにはいかない。そうだそうだ。思い出した。
考えた末に辿り着いた答えは意外とシンプルで、けれどもその答えを受け止めようとすると妙な胸の痛みに襲われた。これは逃げだろうか。いや、違う。私は私のためにこうするべきだと思ったのだ。今までが浮かれすぎていた。現実が見えていなかった。名字名前という人間を、私自身が見失っていたのだ。


「ねぇ名字さん、」
「…なに」
「なんで俺のこと避けてるの?」
「別に、避けてるつもりはないけど」
「じゃあ連絡したら返事ぐらいしてくれてもいいんじゃないかな」


久し振りに彼と並んで歩いていた。時刻は夜の10時過ぎ。バイトが終わって社員さんと少し話をしていたら帰りが遅くなってしまった。彼とは最近シフトが被っておらず、そういう意味ではナチュラルに距離が置けていると思っていたのに、今日は待ち伏せされていたようだ。
彼は、少し怒っているようだった。確かに彼の言う通り、私はメッセージを読んだまま返事をしていない。彼のメッセージの内容が、所謂、デートのお誘いのような感じだったからだ。いつもの内容といえばそうなのだけれど、今の私には何と返事をしたら良いか分からなくて、悩んでいる間に今日を迎えてしまった。理由や経緯はどうであれ、ずっと返事をせずに放置していたのだ。そりゃあ怒るのも無理はない。


「ごめん…後期始まってから忙しくて」
「何かあったんだよね?」
「何も、」
「俺に関することなのは分かってる」
「…別に、誰かのせいってわけじゃないし。私の気持ちの問題っていうか…」
「それは俺と別れようと思ってるってこと?」


いつもと同じ、私の家までの帰り道。足取りは重く、それによって歩調も随分スローテンポになっているような気がする。そんな中、彼が端的に投げつけてきた刺々しい声音の問いかけに、私は声を詰まらせてしまった。
別れようと思っているのか。その答えは、半分イエスで半分ノー。本当はそうすべきだと思っていた。私は私の将来のために、勉学以外のことに時間を割いていてはいけないと思ったからだ。けれどもそれは建前。本音は、日々謎の圧力や視線が浴びせられることに、私が耐えられそうにないと思った、という、どう考えても逃げの理由だった。
周りがどんな視線を向けてこようが関係ない。そう思っていた。けれど私は大学の後期が始まってから、誰かに彼との関係を訝しまれたり否定的な目で見られることが苦痛で、気になって仕方なかったのである。本当に情けない。恋愛とはこんなにも厄介なものだったのかと、生まれて初めて痛感した。


「どう、したらいいのか、分かんなくて」
「どうもしなくて良いんじゃない?」
「私、たぶん赤葦君の彼女っぽくないんじゃないかと思う」
「…俺の彼女は俺が決めるよ」


彼は随分と落ち着いたトーンでそう言って、流れるような動作で手を繋いだ。色々な感情の末、躊躇いがちにちょっと手を引いてみたけれど、離れるなと言わんばかりに握られて逃げられない。彼はこんなに強引だっただろうか。…ああ、強引だったな。出会った時からずっと。それが嫌だった。苦手だった。けれども今は、それに救われている。


「じゃあ名字さんはどうしたら俺の彼女として自信がもてるの?」
「それが分からないから困ってるんだよ…」
「ああ…そっか。俺が全部教えてあげるって約束だったのに…ごめん」
「え、いや、赤葦君のせいじゃ、」
「明日からは俺から逃げないで」
「……努力は、して、みる…」
「うん、そうして」


彼が何をしようとしているかは分からない。けれど、彼が私を大切にしようとしてくれていることは伝わってきたから、もうなんでもいいやと思った。投げやりになったのではない。彼に委ねようと決めたのだ。誰かに頼ることが心底苦手な私が、1人で生きて行く方がよっぽど楽だという考えの私が、彼に頼ろうと思った。それは他人には理解できないかもしれないけれど、私にとって大きな決断だった。
握られる手の温度は、外気温のせいか熱い。じわりと手汗もかいているような気がする。けれども彼はずっと離そうとしないし、私ももう離そうとはしていなかった。距離が、元に戻った。自分から離れたくせに恋しかった、なんて、とてもじゃないが彼には言えない。