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アツアツの夏がきます

今日も相変わらず外は茹だるような暑さだ。テレビではお天気お姉さんが暑さを感じさせぬ爽やかな笑顔で、厳しい暑さが続いていますのでお出かけの際は熱中症や日射病対策を万全にしていきましょう、と注意を促していたけれど、どんな対策をしたって倒れる時には倒れるんじゃないかな、などと元も子もないことを思う私は捻くれ者だ。
夏祭りを終えてからの私と彼はというと、実はバイト先である本屋でしか会っていなかった。付き合い始めた男女ならデートぐらいしても良いのだろうけれど、私達は清く正しく健全にバイトに明け暮れている。…いや、清く正しくはないか。だって誰も見ていないところとはいえあんなことをしてしまったわけだし…、と無条件に思い出してしまったのは、あの夏祭りの最後の出来事。
初めてのことだらけだった。異性のことを特別な対象として好きだと自覚したのも、その相手と思いが通じたのも、手を繋いだのも、屋台の食べ物を分け合って食べたのも、キスをしたのも。私にとっては全部初めてで、気持ちが追い付かないぐらいの体験だった。にもかかわらず、その高揚感を抱いたまま、私は彼と普通にバイトの同僚として過ごしている。我ながら、どんな感情のコントロールの仕方をしているんだ、と不思議に思うレベルだ。
彼もまた、私と同じように何ひとつ変わりない毎日を過ごしているようだった。バイト中もほぼ関わることがないので、会話をすることもない。本当に付き合っているのか?と疑いたくなってしまうけれど、これが私達らしいのかもしれないと言い聞かせている。なんせ私には恋人らしさというものが分からないのだから。
そんなことをぼーっと考える余裕があるのは、相変わらずレジがすいているからだった。夏休みとはいえ、平日の本屋というのはそんなに人が多くない。週末なら何人もお客さんが並んで大忙しになることもあるけれど、今日はその心配はなさそうだ。
レジが暇ということは、裏で仕事をしている彼も暇なのだろうか。ほんの少しだけ顔を思い浮かべただけなのに、まるで私の考えていることが伝わったかのようなタイミングで現れた彼に驚いてしまったけれど、恐らく、そんなに態度や表情には表れていないと思う。取り繕うのは得意なのだ。


「お疲れ様」
「どうしたの?レジのフォローなんて頼んでないけど」
「うん、そうなんだけど、こっちの仕事も終わったから名字さん何してるかなと思って」
「暇なら社員さんの手伝いでもしてあげたら?」


どんな理由であれ、こうして会いに来てくれたことが嬉しくないわけがなかった。けれども手放しで喜べないのは私の性格的な問題だ。突き放すような可愛げのないセリフを言ってしまって内心ちょっぴり後悔したけれど、彼は気にしていないようでホッと胸をなで下ろす。
バイトが終わるまでは残り30分少々といったところ。彼は要領が良いタイプだから、きっと本当に暇を持て余して気紛れに来ただけなのだろう。社員さんから何かしらの仕事の手伝いを請け負わないのは、残りの時間をサボりたいからなのか。彼がレジから離れることはなくて、私達はお客さんが来ないレジに並んで立っている状態だ。


「名字さん、いつか暇な日ない?」
「暇な日?」
「うん。どこか行きたいなと思って。2人で」


これは所謂デートのお誘いってやつだろうか。ついに初デート。いや、世間一般では、付き合い始めてゆうに1週間は経過しているというのにまだデートもしていないのか、という評価になるのかもしれないけれど、今はそういう細かいことは無視することにする。
今までも数えられる程度ではあるけれど2人で過ごすことはあったわけだし、買い物にだって出かけた。でもそれはあくまでも大学の同級生?友達?としてであって、恋人としてではなかった。つまり、正真正銘のデートは生まれて初めてなのである。


「夏だし、プールとか海とか行く?水着姿見たいし」
「えっ…それは絶対に嫌」
「はは、そう言うと思った」
「分かってたなら提案しないで」
「じゃあ名字さんが行きたいところ決めて」


そう言いながら緩やかに微笑まれて、やられたと思った。彼は最初からプールや海に行こうなどとは思っていなかったに違いない。私に行き先を決めさせるために、あえて私が嫌がりそうなところを挙げた。そういう算段だったのだ。
彼と話をしていたら、自分が首席で入学したことなんて頭からすっぽり抜け落ちてしまうほど馬鹿になってしまったような気分になる。こういう恋愛の駆け引きに頭の良さは関係しないのかもしれないけれど、元来負けず嫌いの私にとっては面白くない。ただ今のところ、どうやったって彼を上回る言動を取ることはできそうになかった。


「今日一緒に帰ろう」
「え、」
「その時にどこ行くか決めようよ」
「えっと、でも、」
「バイトの人に付き合ってるのがバレるのは嫌?」


毎度毎度、よくもまあここまで私の考えていることが分かるなあと、もはや感心する域に達していた。彼の言う通り、私は周りに彼との関係が明るみになることを少し恐れている。別に隠したいと思っているわけじゃないけれど、どういう風に思われるか分からなくて躊躇ってしまうのだ。あれほど周りの目なんてどうでも良いと思っていたはずの私が、彼とのこととなると途端に気になりだすなんて、これは一体どういう原理なのだろう。どなたか分かる方に説明していただきたい。
うーん、そういうわけではないんだけど…などと、不明瞭で曖昧すぎる言葉をもごもごと口にする私を、彼は責めない。場所が場所だから、とか、そういう理由ではなく、彼はいつどこであっても私を責めないのだ。静かに待って、そして、私にとって最適であろう答えを導き出す。そういうスキルを身に付けている男なのだと思う。


「隠しておきたいならそうするよ。一緒に帰るのもやめる」
「…ごめん、ほんとに、嫌とかじゃないんだけど…」
「名字さん、今バイト中」


俯きがちにまたもごもごとそんなことを言っていたら彼にご尤もな指摘を受け、慌てて顔を上げた。そこにタイミングよく現れたお客さんに営業用スマイルを向けてレジ打ちを済ませれば、あっという間に仕事は終了。再び2人きりの時間が訪れる。


「ちなみに俺は隠さなくていいと思ってるんだけど」
「え?あー…さっきの話?」
「そう」
「いいの?何か言われても」
「別に。恋愛は自由でしょ」
「まあ…それはそうかも、だけど…」
「ていうか、名字さんは俺のですって宣言できたらいいなと思ってた」


名字さんは俺の。イコール、私は赤葦君の。私は物じゃないし、赤葦君の所有物になった覚えはない。けれども、そういう意味じゃないってことはきちんと理解している。ただ、その理解をきちんと飲み込んでしまったらお腹の辺りから熱くなってきて、その熱さが全身に伝わって発火してしまいそうな気分に陥るだろうから、必死に吐き出そうとしていた。
赤葦君、今バイト中!って言ってやりたかったけれど、私の声は喉に張り付いていて何も音にならない。くすくす。声を押し殺して笑う彼を一睨み。この行動で彼にダメージを与えられるとは思わなかったけれど、そうでもしなければ私の気が済まなかったのだ。ああもう、こういうの、どうやって回避したらいいか分からない。


「それで、帰り、どうする?」
「知らない」
「送るよ。ちゃんと」
「そこは気にしてない」
「気にしてないの?」
「そういうこと、意外ときっちりしてくれるって知ってるから」
「部屋に押し入っちゃうかもよ」
「……、」
「冗談。今日はしないよ」
「今日は?」
「今日は」


じゃあ明日になったらするのだろうか。いや、問題はそこじゃない。押し入るって、なんで。いや、それも、分からないわけじゃないんだけど。分かりたくないというかなんというか。
名字さん、今バイト中。
本日2度目のご指摘をいただき、レジ打ち業務に逆戻り。バイトが終わるまでもう30分を切った。私の頭の中は、どうやったって整理できそうにない。