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15

少女漫画とは違うのね

彼が誰かから教えてもらったらしい穴場には、確かに誰もいなかった。たこ焼きも焼きそばも唐揚げもフライドポテトも、買ったものは全て少し冷めてしまっていたけれど、味は大きく変わらない。簡素なベンチに腰掛けて2人で色んなものをつついて食べるのはなんだか変な感じで、食事中ということもあってお互いに何も話さないものだから、ひどく静かなことが余計に私をそわそわさせる。


「もう食べないの?」
「なんかお腹いっぱいで…」
「帯締めすぎなんじゃない?」
「そういうわけじゃないと思う」
「…ああ、なるほど」
「何?」
「胸がいっぱいってやつか」


残っていた最後の唐揚げを口に放り込んでそんなことを言う彼は、デリカシーという言葉を知らないのだろうか。雰囲気なんてあったもんじゃない。たとえ彼の指摘通り、私の胸がいっぱいになっていたとしても、それは気付かれたくないことだった。私は冷めきったポテトを1本手に取りもぐもぐと咀嚼することで、この言いようのない感情を紛らわす。
陽が落ちたので夕方に比べたら幾分か暑さが和らいだとは言え、季節は夏真っ只中。夜でも暑いことに変わりはない。私は全身にじんわりと汗をかいていて、もはや花火なんて見なくても良いから早く帰ってシャワーを浴びて冷房の効いた部屋でアイスを頬張りたいという、情緒の欠片もないことを考えていた。


「そろそろかな」
「うん…早く見たい」
「花火、そんなに楽しみ?」
「暑いから早く帰りたいなと思って」
「名字さんらしいね」


素直に気持ちを晒け出せば、おかしそうに笑われたので眉を顰めた。私らしいってどういう意味だろう。情緒がないことを言うところが私らしいと言うのであれば喧嘩を売られていることになるけれど、それをわざわざ確認するのは憚られたので、私は違う話題を持ち出すことにした。


「うちわ持って来れば良かった」
「そうだね」
「かき氷もなくなっちゃったし」
「帰りにコンビニでアイス買う?」
「食べすぎてお腹こわさないかな」
「大丈夫でしょ」
「じゃあ買おうかなあ」
「ねぇ、名字さん」
「何?」
「キスしていい?」
「は……?」


今の話の流れでどうして急にそんな発言が飛び出すのか、私には全く理解できなかった。というか私じゃなくても、この脈絡のなさでは大概の人間が理解も予想もできないだろう。それぐらい、彼の発言は突拍子もなかった。
ぽかんと呆気にとられたまま彼の顔を見つめていた私は、だめ?と更に尋ねてきた彼の言葉で我に返る。だめとか良いとか、そういう問題なのだろうか。今ここで、いいよ、と答えれば私のファーストキスは間違いなくこの場所で彼に奪われることになるのだろう。それが嫌なのかと尋ねられたらなんとも答えに困ってしまうのだけれど、何の迷いもなく、いいよ、と返事をすることはできなかった。とは言え、ダメだと断ったら次は一体いつなのだろうかとか、そもそも付き合い始めたのだから断る理由はないかとか、そういうことを考えてしまうから、私の頭の中は例の如くぐっちゃぐちゃだ。


「迷ってる?」
「だってそんな、いきなりすぎるし、」
「いきなりじゃなかったらすぐに返事してくれるの?」
「そういう問題じゃ、」
「花火が終わったらもう1回同じこときくから、答え考えといてよ」
「な、そんなの…!」


無理だよ、という言葉はドーンという大きな音と夜空に広がる大輪の花によって掻き消されてしまった。待ち侘びていた花火が打ち上げられたのだ。始まったね、綺麗だね、なんて呑気に話しかけてくる彼に相槌を打つ余裕など、私には当然ありはしない。折角綺麗に見える花火を眺めていても上の空。それは勿論、先ほどの彼の発言のせいだ。
この花火が終わったら私は彼に答えなければならない。キスして良いかどうか。そんなの私に委ねるのは間違っている。いや、何の断りもなくされるのも本意ではないのだけれど。え、どうしよう。嫌じゃないから良い?でも、でも。どんなに必死に考えたところで、所詮、私は恋愛初心者。正解になど辿り着けるはずもない。
ドーンドーンと次々に色とりどりの花火が暗い空を彩る中、つい先ほどまではあんなに早く帰りたいと思っていたはずなのに、今はいつまでも花火が続いていてくれたら良いのにと思う。けれども当たり前のことながら終わりの時はやってきて、とうとう花火大会は終了してしまった。賑やかさは急に消え失せて、辺りはすっかり静けさを取り戻している。


「名字さん」
「待って、あの、えっと、」
「花火、全然見てなかったね」
「そりゃあそうなるでしょ…」
「俺のことばっかり考えてた?」
「誰のせいだと思って…、」
「良かった」
「は?」
「名字さんの頭の中、俺でいっぱいにしてくれて」


そう言ってうざったくなるほどにこやかな表情を見せた彼は、ベンチから立ち上がると私に手を差し出してきた。帰ろっか、って。なんだ、もしかして最初からキスするつもりなんてなかったのか。アタフタする私を見て楽しみたかっただけだなんて、ほんとにもう腹が立つ。せめてアイスぐらい奢ってもらわなければ気が済まない。
むぅっと膨れながらも差し出された手に自分の手を重ねてしまったのは、結局のところ彼のことが好きだから、ということになるのだろう。散々振り回されてばかりだというのにこういう思考回路になっている自分にも腹が立つ。
彼の手を握って立ち上がり、浴衣のシワを伸ばして、顔を上げる。するとなぜか目の前が真っ暗になって、口にふにっと何かがぶつかった。それはあまりにも一瞬の出来事で、彼が何食わぬ顔でどうしたの?なんてきいてくるものだから、やっぱり今のは気のせいか?とすら思ってしまった。けれど、気のせいなんかじゃない。私は今確かにキスをされた。彼に。いいって言っていないのに。指で唇をなぞる。触り心地は何も変わらない。
呆然としている私に、彼は尚も尋ねてくる。どうしたの?って。特に揶揄いたいわけでもないのか、いやらしい笑みを浮かべもせず普通の表情で。いつものにやにや顔も腹が立つけれど、この何も意識してませんけど、という普通の表情をされても腹が立つのは一体どうしたら良いだろう。どうしたの?じゃないよ。赤葦君の方こそいきなりどうしたの?ってきいてやりたい。


「怒った?」
「……うん」
「ごめん」
「思ってないでしょ」
「はは、ごめん」
「ファーストキス、だったのに」
「じゃあちゃんとする?」


ちゃんと、とは。さっきのキスは「ちゃんと」してなかったのか。そんな可愛くないことを尋ねる勇気がない私は、何も言えずに口を噤む。握られたままの手はジンジンと熱くて、むわりとした外気も暑くて、首筋にたらりと汗が伝うのが分かった。手汗がすごいからできたら離してほしいのだけれど、今はそれよりも大切なことがある。「ちゃんと」返事をしなければ。


「……うん」
「今度は目瞑ってね」
「う、ん、」


言われた通り、ゆっくりと目を閉じる。そして数秒後、ふにゃり。重ねられた唇。ファーストキスはレモンの味がするって聞いたことがあるけれど、私の口の中にほんのり広がるのは唐揚げの味で、ちっともロマンチックじゃなかった。けれど、それが私達らしくておかしくって、恥ずかしいしこういう時にどういう反応をしたら良いのかは分からないままだったけれど、私は至近距離で彼の瞳を見つめて笑った。
彼の目が大きく見開かれて、珍しく驚いている様子が窺える。もしかしてこの反応は間違いだったのだろうか。そう思った直後に、意外と余裕なんだね、と零した彼の声音はいつもよりも幾分か低いような気がした。怒っているわけではなさそうだけれど、なんていうんだろう、鬼気迫る感じ、というか。


「手加減しなくて良さそうだ」
「どういう意味?」
「やられっぱなしで終わるのは嫌いだからね、俺」
「だからどういう、」


ちゅ。本日3度目の唇へのご挨拶。でも今回はすぐに離れてくれなくて、逃げようにも後頭部を押さえつけられてしまったので身動きが取れない。苦しい。唇を薄っすら開ける。その瞬間、ぬるり、口の中に入ってきたのは恐らく、というか間違いなく彼の舌。いやいや一体どういうつもりだ。誰もいないからって何でもしていいってわけじゃないんだぞ。
どんどん、と彼の胸を叩く。どうにかこうにか離れた彼の唇は、暗闇の中でもありありと分かるほどてらてらと光っていた。ぺろり、赤い舌で唇を舐める彼は非常に満足そうだけれどこちらは不満しかない。公然わいせつ罪で訴えてやろうか。


「何してんの…!」
「これもキスだけど」
「そういう意味じゃない」
「さて、帰ろうか」
「どういう神経してるの?」


今更のようにどくどくと喧しくなる心臓が恨めしい。やられっぱなしで終わるのは嫌いとかなんとか言ってたけど、私しかやられてないし。全部彼のペースだし。腹は立ちっぱなしだけど、本気で嫌がれないし。世の中のカップルの皆さん。これは適切な付き合い方なのでしょうか。尋ねたところできっと正解など教えてもらえないことは分かっているけれど、それでも尋ねずにはいられなかった。