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可愛い、は正義らしい

一体何をしているんだろう。私は何度目になるかも分からない自問自答を繰り返しながら、じりじりと照りつける太陽の下を歩いていた。こんなに暑い日は快適な室温に設定された部屋の中で過ごしていたいというのが正直なところだ。元々インドア派の私にとって、この日差しは暴力的すぎる。だから今すぐにでも帰りたい。けれどもそんな思いとは対照的に、私は駅の方向を目指して歩くしかなかった。
夏祭りに行く約束を取り付けられてしまった翌日、彼からメッセージが届いた。浴衣着て来てね、と。たったそれだけのシンプルな文面が唐突に。どこに?なんて尋ねなくたって分かるけれど、生憎私は実家から浴衣を持ってきていないので着ることはできないし、もしあったとしても彼の要望通りにあんな面倒なものを着るつもりはさらさらない。ので、いつも通り返信もせずに無視していたら、再度メッセージが届いた。もし浴衣がないなら一緒に買いに行こう、と。益々意味が分からなかった。
あまりにも意味が分からなすぎたので、私はやっぱり返事をせずに放置した。一緒に夏祭りに行くこと自体意味不明な流れなのに、それに加えて浴衣って…そんな、デートみたいなこと…と。そこで気付いた。仮にも、いや、生物学的にれっきとした男女である彼と私が2人で夏祭りに行くというのは、傍から見ればデートに見えるのではないか。友達かどうかも危ういというのにデートって…デートって…。ぐるぐる、頭の中が上手く整理できない。
そんな時に突如鳴り響いた着信音。この場合は勿論と言うべきだろうか、相手は彼だった。電話はこれで2回目。慣れるはずもない。さてどうしよう。出ようか出るまいか迷った結果、私は渋々通話ボタンを押した。無視したところで、彼なら出るまで何度も電話をかけてきそうな気がしたからだ。


「名字さん?メッセージ見た?」
「…見たけど」
「それで?浴衣ある?」
「ないよ」
「じゃあ買いに行こう。明日、バイトなかったよね?」
「それはそうだけど、私行くつもりないから」
「そう言うと思った」


どうせ返事するつもりもなかったんでしょ、なんて図星を突かれた私は咄嗟に言い返せない。けれども、私の反応が分かっていたのならどうしてわざわざ電話をしてきたのだろうか。自分の申し出を断られるために電話をしてくるほど馬鹿ではないと思っていたのだけれど。


「もしかして浴衣の着付けができないから諦めてるとか?」
「できますそれぐらい」
「ほんとに?」
「疑ってるの?」
「そうじゃなくて、じゃあ俺の着付けしてもらえないかなと思って」
「は?」


私の予想の遥か斜め上をいく発言に、思わずマヌケな声が出てしまった。男の人の浴衣の着付けなんてやったことはないけれど、女性に比べたら簡単な気はするし、恐らくできないことはないだろう。けれども、どうしてそういう発想になるのだろうか。彼の思考回路は相変わらず理解できない。ていうか、


「浴衣、着るの?」
「折角だし着ようかなと思って」
「そうなんだ」
「名字さんが買うかどうかは別として、俺が買いに行きたいから付き合ってよ」
「なんで私が…」
「俺の隣を歩くの、名字さんでしょ。選んでよ。隣歩いてても恥ずかしくないようなやつ」


そういう言い方をされると断れなくて、私はこうして待ち合わせ場所に向かっている。彼の思う壺だということは分かっているのだけれど、それでも強く拒みきれなかったのはどうしてだろう。出会った当初の私ならきっと、そんなの自分で選びなさいよ、とでも言っていただろうに。それを言うなら、そもそも、2人で夏祭りに行くこと自体をキッパリ断れなかった時点で、私は昔の自分と違うのだと思う。
待ち合わせ場所には既に彼がいて、私を見つけるなり嬉しそうに顔を綻ばせた。どきり。一瞬心臓が跳ねたのはきっと気のせいだ。今から彼と2人で買い物か…と、改めて状況を確認したところでハッとする。よくよく考えてみたら、これこそデートなのでは?と、どうしてこのタイミングで気付いてしまったのだろうか。私の馬鹿。もうここまで来てしまったからには、引き返すことなんてできないというのに。
私がそんなごちゃっとした心情を抱えていることを知ってか知らずか、彼は私に近付いて来るなり、来てくれて良かった、と笑った。どくり。彼が笑いかけてくる度に五月蝿い心臓をどうにかしてほしい。男の人と2人で出かけたことがない私は、ただでさえ緊張しているというのに、これでは今日を乗り切れるかどうか分からないではないか。
どうにか気持ちを落ち着かせようと密かに必死な私に、早速難関。行こうか、と歩き出した彼と並んで歩いても良いものか。大学構内でもほとんど一緒に行動なんてしたことがないから、そんなことでさえも分からない。結局、なんとなく斜め後ろを歩くことにした私は、はぐれないように気を付けながら後を追う。すると、歩き出してまだ数メートルのところでなぜか彼が立ち止まった。私も倣って立ち止まったけれど、道でも間違えたのだろうか。そのままお互い立ち尽くすこと数秒。すると、彼が急にふふっと声を出して笑った。


「俺、待ってるんだけど」
「何を?」
「名字さんを」
「え、」
「隣、歩いてよ」
「…分かった…」
「もしかして緊張してる?」


そうです図星です。ていうかなんで私の考えてること分かるんですか。と思ったけれど、そんなことあるわけないでしょ、と強がりを言った私。たぶんこういう時に、緊張してるよ、と素直に言える女は可愛いのだろう。私だってそんなことぐらい分かっているけれど、元々捻くれた性格な上に相手がいつも口喧嘩をしているような彼となれば、こういう言い方しかできない。まあ良いのだ。彼に可愛いなんて思ってもらう必要はないわけだし。そんなことを自分に言い聞かせていると、今まで弾んでいた心臓がチクチクと痛み始めて、本気で病気なんじゃないかと心配になってきた。彼と一緒にいると心臓がボロボロになって使い物にならなくなりそうで怖い。
そうこうしている間に辿り着いたショッピングモール。彼の浴衣選びが始まって、私は遠くからその光景を眺める。一緒に選んで、と言われたけれど、私には服のセンスなんてないし、自分が着たいものを着れば良いじゃないか。それに、彼なら大抵の浴衣は似合うと思う。そんなことを言ったら変に調子に乗りそうなので、絶対に言ってやらないけれど。


「これどう思う?」
「いいんじゃない」
「じゃあこれにするよ」


至極あっさりと決まってしまったので、私が来た意味なかったよね?と思っていると、名字さんはこういうの似合いそうだよね、と話を振られた。私は買うつもりなんてないと言ったはずだけれど、もしかしたら最初から私に浴衣を買わせるために今日の買い物をセッティングしたのかもしれない。彼のことだから大いにあり得る。


「私は着るつもりないから買わない」
「なんで着ないの?」
「着付けは面倒だし動きにくいから」
「絶対可愛いと思うんだけどな」


可愛い。生まれてこのかた異性に言われたことがない単語が聞こえてきて、思わず固まった。社交辞令だろうけど、口が上手い彼が私を煽てるために適当に言っただけだろうけど、自分も女だったんだと思わされる。可愛いなんて思われなくてもいい。つい先ほどまでそう思っていたくせに、いざその言葉を言われてみると悪い気はしなかったから。こんな感情があったのかと、自分でも驚いてしまう。そんな精神状態だったからだろう、私はとんでもないことを口走っていた。


「買おうかな」
「え」
「え…あ。べっ、別に着るつもりはないけど!今後のために1着ぐらい持っとくのも悪くないかなって思っただけで!夏祭りには絶対来て行かないから!」


我に帰りその場を取り繕うために必死に捲し立てる私を、彼はポカンと眺めているだけで何も言ってこない。ああもう、なんで私変なこと呟いちゃったんだろう。妙に舞い上がっていたのがいけなかった。もうこんな失敗は金輪際しないように気をつけなければ。
脳内で反省会を繰り広げていると、今まで黙っていた彼が、ははっ、と笑い声をあげた。馬鹿にしているとか揶揄うつもりでとか、そういう雰囲気は一切ない。ただ楽しくて仕方ないから笑っちゃいました、みたいな。そんな笑い方をしている彼に、今度は私がポカンとしてしまう。


「名字さんって頭良いのに、そういうところヌケてるよね」
「馬鹿だって言いたいの?」
「可愛いねって言ったんだよ」
「な、」
「ほら、そういうとこ」


顔ちょっと赤いの気付いてる?って、指摘されて更に顔に熱が集まっていくのを感じた。やだやだ何これ、ばっかみたい。恥ずかしくて仕方なくて、くるり、彼に背中を向けて、それ買ってくれば!と言葉を投げつければ、意外にもすんなりと、じゃあ買ってくる、とその場を離れてくれたので助かった。もう何が何だか分からない。
彼がお会計をしている間にどうにか冷静さを取り戻し、顔の熱はおさまった。けれども先ほどの会話の記憶は消せないし、あの妙な雰囲気も払拭しきれない。思い出したらダメだ。また熱くなってきてしまうから。これはもう一刻も早く解散するしかない。


「お待たせ」
「もう用事済んだよね?帰っていい?」
「これ」
「…何?」
「浴衣」
「は?」
「名字さんの分」
「なんで私の分まで買ってるの?」
「俺が買いたかったから」
「いくら?」
「いいよ」
「よくない」
「いいって」
「借りは作りたくないの」
「じゃあそれ着て来て。夏祭り。それでチャラにするから」
「…お金返すってば」
「だめ」


名字さんの浴衣姿じゃないと受け取らない、なんて、彼の言っていることは支離滅裂、奇々怪々、意味不明だ。けれども困ったことに、絶対可愛いから、って浮ついたセリフを押し付けられただけで何も言い返せないなんて私はとんだメルヘン女になってしまったものだ。ああ、熱い。折角冷めかけた熱が、また戻ってきてしまった。