×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

9

電波は何を届けたのか

夏休み前、大学入学後初めての試験が行われた。中間試験と銘打って小テストのようなものはちょこちょこあったけれど、大々的なテストは夏休み前に集中している。結果は当たり前のことながら上々。課題のレポート提出も滞りなく提出し終えた私は、予定通りに夏休みを迎えることとなった。
さて、大学に入って初の夏休み。私はどう過ごそうかと思考を巡らせる。高校の時と違って、大学は夏休みが長い。知っての通り人間関係が希薄な私は、長期休暇だからと言って誰かとレジャーや旅行の計画を立てる、なんてことは一切ない。加えて、どちらかと言うと出不精な私は、1人で旅行に行ったりすることもなければ、買い物でさえも殆ど行くことがなかった。つまり手持ち無沙汰なのだ。バイトがあるから長々と実家に帰省するわけにもいかないし、かと言って一人暮らしの家でできることも限られている。となると、ここはやはり後期に向けてどの授業を選択すべきかじっくり考えて予習に励むべきだろうか。
そうして部屋で色々と考えている時に携帯がピコンと音を立てた。誰だろうかと画面を見れば、そこには赤葦京治の文字。折角長期休暇に入って彼に会うのはバイトの時だけで良くなるんだと胸を撫でおろしていたというのに、一体何の用だろう。私は携帯にするんと指を滑らせてメッセージを確認する。するとそこには、名字さんって夏休み暇だよね?という、なんとも失礼極まりない文面があって、自然と眉間に皺が寄るのが分かった。彼はこの場にいないけれど、その顔を思い出すと余計に腹が立つ。
確かにほんの数秒前まで夏休みの予定についてあれこれ考えていて、特にやることないなあって思っていたところではあるけれど、それでも、人にそれを指摘されると嫌な気持ちになるのはなぜだろう。ていうか、普通人に「暇だよね?」って最初から暇人決定みたいな雰囲気できいてくるなんて非常識すぎやしないだろうか。あ、そうだ。この人最初から常識なかったんだった。
腹を立てることすら馬鹿馬鹿しく思えてきて、だったら何?と投げやりに返事をしてやれば、今度は着信音が鳴り響いて、びくっと肩が跳ねる。ただ音に驚いた。肩が跳ねた理由はそれだけではなくて。信じられないかもしれないけれど、私は今まで家族としか携帯で電話をしたことがなかった。だから、これから彼と電話をすることになるのだとしたら、家族以外の人とする初めての電話になるわけで。ドキドキ。そう、私は柄にもなく緊張していたのだ。こんなやつにドキドキするのは非常に解せないけれど、こればっかりは仕方がない。着信音は依然として鳴り響いていて、音が途切れる様子はない。ふぅ、と。私は息を整えてから通話ボタンを押した。


「もしもし…?」
「名字さん?俺。赤葦だけど」
「うん。分かってる」
「突然なんだけどさ、夏休み旅行いかない?」
「は?」
「1泊2日の熱海旅行なんだけど」
「え、ちょ、待って、なんで私があなたと2人で旅行なんか…」
「え?」
「え?」


電話に緊張していた割にスラスラと話せたのは良かったと思う。けれども、話の内容が良くなかった。お互いに言葉を失ったことで必然的に沈黙が訪れて、微妙な空気が流れ始めたのを感じる。電話だと顔が見えないから相手がどんな表情をしているのかが分からず、気まずさが増すらしい。今まで家族との会話で困惑したことは1度もないので、これは新たな発見だ。
などと、今は冷静に分析している場合ではなかった。さて、私の反応はそんなにおかしかっただろうか。だって、仲良くもない、というかもはや友達であるかどうかもよく分からない男女で旅行って、どう考えたって有り得ないし。え?と言ってしまうのも無理はないと思うのだ。それとも私が時代遅れな考えをしているだけなのだろうか。そういうのって普通なの?彼はどうして、え?って、逆に戸惑ってる雰囲気を醸し出してるの?
私の戸惑いは続いたまま。そして長めの沈黙を破ったのは、彼の、ふふっ、という笑い声だった。いやいや、何がおかしいんだ。全然意味が分からないんだけど。


「ごめん、言葉が足りなかったみたいで」
「…どういうこと?」
「1泊2日の熱海旅行のペアチケット、2枚ともあげるから誰かと行ってきたら?って意味だったんだけど…」
「へ…?」


彼が笑いを押し殺しながら言葉を発しているのが機械越しにも伝わってきて、なんだか急に恥ずかしくなってきた。そりゃあ冷静に考えてみれば、というか何も考えなくとも、私と彼が2人で旅行って絶対におかしいわけだし、勝手に誘われたと勘違いしてしまうなんて馬鹿だったとは思うけれど。あんな言い方をされたら、誰だって勘違いしてしまうんじゃないだろうか。私が自意識過剰ってわけじゃない…と思う。誰かそうだと言ってくれ。


「一緒に行きたかった?」
「まさか」
「俺は名字さんとだったら行きたいけどな」
「…それはどうもありがとう」
「え、ほんとに行く?」
「は?」
「熱海」
「行かないよ。行くわけないでしょ」
「なんだ、残念」
「思ってないくせに」
「思ってるよ。…で、チケットいる?」


彼と会話をしていたらいつも思う。この人、何を考えてるのか分かんないって。どこまでが冗談でどこからが本気なのかちっとも分かんないって。だから苦手だって何度も思っている。けれども何度同じやり取りを繰り返そうとも、私の中で彼が「嫌い」というジャンルに入ることはない。それがどうにも不思議だった。


「……いらない」
「そっか」
「行く人いないし」
「お母さんとかは?」
「ああ…なるほどね。でも、なんで私に譲ろうと思ったの?」
「名字さん、なんか窮屈そうな生き方してるから、たまには誰か気の許せる人とのんびり羽を伸ばしてきたら良いのになって思って」
「…お節介なんだね」
「そうかな」
「そうだよ」


だって全然親しくもない、なんなら敵対視されていると分かっている人間に旅行のチケットを譲ってあげようと思うなんて、とんだ物好きじゃないか。ていうか、折角もらったなら自分が誰かと行けば良いのに。それこそ家族とか。それ以外なら友達とか…彼女、とか。兎に角、私にチケットを譲るメリットなんてひとつもないということだけは確かだ。


「暇なんでしょ、夏休み」
「あなたには関係ないじゃない」
「うん、そうだね。関係ないけど、気になるからさ」


名字さんのこと。
私の何が彼をそう思わせているのだろうか。気になるって、前から言われていることではあるけれど、一体どういう意味なんだろう。ぐるぐるぐるぐる。考えてみても答えは見つからない。そもそも、今までだって何度も考えてきたことだ。そしていつも答えに辿り着けなくて終わる。答えを知るには彼に尋ねるしかないのだ。まあ彼のことだから、それってどういう意味なのか教えてくれない?と迫ったところで、素直に教えてくれやしないだろうけれど。


「いきなり電話してごめんね」
「ああ、うん…それは大丈夫」
「じゃあまたバイトで」
「うん。またね」
「…またね」


ぷつり、電話が切れた。と同時に、どっと押し寄せてくる疲労感。きっと知らず知らずの内に気を張っていたに違いない。電話ってこんなに疲れるものだったのかと痛感する。けれども、家族以外の初めての電話の相手が彼で良かったのかもしれない。深い意味はない。ただ、テンポよく気負わずに、言いたいことを言ってしまえるから。楽、だから。
彼はやっぱり不思議な人だ。いつも腹が立つことばかり言われるし、突然のアクションに驚かされてばかりだし、彼のペースに巻き込まれて疲れてしまうし、ちっとも良いことなんてないけれど。でも、いつの間にか素が出せる相手として確立してしまっている。どこでも猫を被って、自分の気持ちを押し殺して生きてきた私が、唯一感情をぶつけられる人間。そういえば、またね、なんて誰かに言ったの初めてだったな、と気付いたのはその日の夜、お風呂に入っている時だった。
どうしよう。布団に入ってからも電話の内容を思い出しては彼の顔が思い浮かんでしまうなんて、私は彼のせいで変な病気にでもかかってしまったのかもしれない。