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とびっきりのデプス・ボム


信じられないことに、季節はあっと言う間に冬になっていた。12月初旬。そう、彼と出会った季節だ。1年前は、まさか彼と恋人という関係になっているなんて夢にも思っていなかったけれど、人生とは何が起こるか分からない。今日までお世辞にも順風満帆とは言えなかったけれど、色んな障害を乗り越えて今があるんだと思えば、まあ、悪くはなかった。…と思うことにしよう。


「クリスマスどうする?」
「平日だから私は普通に仕事。夜ならあいてるけど、クリスマスはお客さん多いからお店休めないでしょ」
「クリスマス翌日なら休めるんだけど」
「じゃあ26日の夜に美味しいものでも食べに行く?」


彼は私の提案にすんなり頷いてくれるものだと思っていたけれど、意外にも、うーん、と難色を示された。何か彼なりに考えてくれているプランがあったのだろうか。私はいまだに難しい顔をしている彼に、もっといいプランがあるの?と尋ねてみる。


「26日、有給取れない?」
「有給…ほとんど消化してないから取れないことはないと思うけど…どうして?」
「25日の夜うちの店に来て、そのまま泊まりに来たら良いのにって思って」
「あー…そういう」
「そ。そういう」


どうですかね?と私の顔を覗き込んでにんまり笑いかけてくる彼の顔を押し返す。油断したらすぐに距離を詰めてくるのだから困ったものだ。ただ、浮気の心配はなさそうでちょっと安心していたりもする。あんなに必死で彼を追いかけて「好き」だと言い続けてきた私が、今や彼に「好き」だと言われすぎて困っているなんて、贅沢な悩みかもしれない。
さて、有給か。私は少し考える。…うん、たぶん申請すれば通るだろうな。お正月前、つまり長期休暇に入る前というのは何かと忙しいから渋い顔をされそうな予感はするけれど、自分の仕事さえきっちり片付けておけば問題はないはずだ。


「申請してみる」
「ん。よろしく」
「去年はクリスマスイブの日にお店に行ったよね」
「あー…そういえばそうだったっけ」
「付き合っちゃいけない3Bの話、いまだに思い出す」
「何それ。俺そんなこと言った?」
「言った!車の中で!だから俺はやめといた方がいいと思うって言われて気まずくなってお店に行けなくなったもん」
「でも結局、俺を選んじゃったわけですか」


揶揄いと嬉しさを孕んだ中途半端なニヤニヤ顔を私に向けてくる彼は鬱陶しいことこの上ない。彼は自分がどれだけ私に好かれているか分かっているし、自信も持っている。だからこんな余裕綽々な表情を作ることができるのだ。
私だって、以前に比べたら格段に彼から好かれていることを実感できるようになった。そう簡単にふらりと離れて行かないだろうという自信もそこそこある。ただなんというか、どんなに頑張っても、私が彼以上に「安心」できる日はこないような気がしているのも事実だ。
彼のせいじゃない。彼はもう十分すぎるほど私に愛情表現をしてくれている。これは単に、私の心の問題。彼を信じていないとか、もっとこうしてほしいとか、そういうことじゃないのだ。言葉にするのは難しい。


「今年は忘年会の二次会でうちの店使ってくんないの?」
「予約してたと思うけど。来週の金曜日」
「マジか。チェックしとこ」
「うちの部長のお気に入りなんだって。マスターと知り合いみたい」
「へー」


忌々しくて大嫌いな忘年会。今も、忘年会自体は好きじゃない。相変わらず女は私だけだからこき使われるし、お酌をするのはほぼ強制という昭和ルールが適応されたままでうんざりする。けれども、二次会で彼がいるお店に行けるのだと思うと、そんなことは全然苦だと思わなかった。気の持ちようというのは大事である。
私の部屋のソファ。彼の脚の間に挟まるようにして座るのは定番となっていた。時々ずしりと背中に感じる重みとか、お腹に回ってくる腕とか、頭の上にのせられる顎とか、最初は慣れなかったけれど今では特に気にならなくなった。だからといって、全く緊張しないというわけではないのだけれど。


「前より仕事楽しそうじゃん」
「まあ…そうだね。前よりは」
「じゃあもうあの夢は叶わなくてもいい感じ?」
「あの夢?」


彼の言葉に首を傾げる。彼に自分の夢を語ったことがあっただろうか。酔った勢いで変なことを言ってしまったのかもしれない。だって私には今のところ、夢らしい夢がないのだから。


「ちょうど1年前ぐらいにお友達と来た時に言ってたじゃん」
「友達と…?」
「誰かさん酔い潰れる前だったから覚えてない?」


1年前ぐらいにユウちゃんとカナと一緒にあのお店に行ったことは覚えている。あそこで話した内容も。でも、やっぱり夢について語っていた記憶はない。
そういえばユウちゃんもカナも結局あの頃話をしていた彼氏とは別れてしまったようで、また新たな恋を始めたと聞いた。よくもまあそんなに早く次の相手が見つかるものだ。私なんて、彼を射止めるだけで散々時間を費やしたというのに。
私の中途半端な反応に彼はほとほと呆れているようで、やっぱ飲みすぎはよくないですねぇお客さん、などと言われてしまった。彼の前で失態を犯してしまった以上、この件に関しては何も言い返すことができないのが悔しい。


「寿退社するのが夢だって話」
「え。あー…そういえばそんなこと言ったような気もする…」
「まだまだ夢見て良いんじゃないですか」


そのセリフを聞いて、一気に蘇る。ユウちゃんとカナに別れを告げて、私1人で飲み直していた時に、話し相手になってくれた彼に言ったこと。酔い潰れる前のことだったから曖昧だけれど、とても恥ずかしいことを言ってしまったということだけは思い出した。
しかし、どうして急にそんな話を蒸し返すのだろう。来週の忘年会で飲みすぎるなよって釘を刺したいのだろうか。それならそれで、もっとストレートに言ってくれたらいいのに。ていうかそんなに飲むつもりないんですけど。


「まだまだ夢見て良いんじゃないですか」
「うん、分かった、思い出しました」
「そうじゃなくて」
「そうじゃなくて?」
「…分かんないならいーや」
「えっ、何それ。言いたいことがあるなら言ってよ」
「んー…そん時がきたら言うわ」
「黒尾さん、いつもそう…中途半端…」
「でも最後にはビシッと決めてるから」
「そうかなあ…」


宙ぶらりんな回答に納得できずぶーぶーと文句を言う私の頬を、彼は大きな手でむにゅりと押し潰す。痛くはないけれど、これではまともに喋れない。私はやんわりと彼の手を頬から退けて、その手の指をなぞり始めた。これは私の手遊びみたいなもので、手持ち無沙汰になるとなんとなくしてしまう動作だ。彼は嫌がる素振りも見せずにされるがままになってくれるので、いつも飽きるまで続けている。
つけっぱなしになっているドラマは録画していたくせにずっと見ていなかったもので、2人が休みの時に一気に見ようと言って見始めたというのに、ちっとも内容が頭に入ってきていない。たぶん彼も、ほとんど見ていないと思う。


「見てないよね?消す?」
「見てる見てる」
「うそ。どんな話?」
「ヒロインの子が酔い潰れてバーテンダーさんに車で送ってもらって、猛アタックしたけど玉砕して、それでも頑張って猛アタック続けてるって話」
「………怒るよ」
「色々あって最終的にはハッピーエンドなんだけど、最後にバーテンダーさんは思うわけ。もうこんな子には一生会えないだろうなあって。最初で最後の相手になればいいなあって」
「それって、」
「いいドラマだろ?」
「…そうだね」


そこで漸く、先ほどまでの話の流れを理解した私は、何も言い返せなくなってしまった。まだまだ夢見て良いんじゃないですか。そのセリフに隠された意味に気付いたところで、私は彼のいう「そん時」がくるまで、指を咥えて待っているヒロインでいなければならないのだ。

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