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エルクスオウンときみは言う


忘年会は滞りなく終わり、二次会で彼の働くバーに移動して小1時間が経過した。上司はいつになく上機嫌でお酒をぐいぐい飲んでいて、嫌な予感しかしない。
その上司は、飲み過ぎると説教じみたことを言い始めるのが面倒臭いということに加えて、言いたいことを言い切ったら寝てしまうのも困りものだから、そろそろどうにかしてペースダウンさせたいところである。しかし、部下である私の言うことになんて聞く耳を持ってはくれない。


「いも焼酎、水割りで」
「誰の?」
「あそこに座ってる上司の…でもできたらもう飲ませたくない…」
「……じゃあ水にしちゃう?」
「え!できるならそうしてほしい!」
「全部水だとバレそうだからほんのり焼酎混ぜとく」


彼はバーテンダーとして非常に優秀である。飲み過ぎているお客さんを気付かぬところでセーブしてくれるなんて、誰にでもできることじゃない。このやり方が正しいのかどうかは別にして、私としては非常に助かる。
彼から焼酎の香りがするほぼ水のそれを受け取り、今にも寝てしまいそうな上司の前に、どうぞ、と置く。上司はそれをぐびぐび飲んで、ちょっと薄いな、と呟いたけれど、それ以上は何も言われなかった。どうやらお酒と水の比率が分からない程度には酔っ払っているらしい。黒尾さん、グッジョブである。
それからも、おかわりを求められる度に、私は彼にお願いして極限まで薄めたお酒をひたすら提供し続けた。彼と特別な関係じゃなかったからこんなことはできない。
お陰で上司は完全に寝落ちることなく、二次会はお開きの運びとなった。私はタクシーの手配をお願いする。あとは皆を見送ったら、このお店で彼の仕事が終わるまで待っておくだけだ。


「名字〜」
「はいなんでしょう、っ……!」
「もう1軒行くぞ〜」


お会計をしていたら寝落ち寸前の上司に呼ばれたので、一体どうしたんだと駆け寄った。すると、強引に肩を組まれた。そのせいで私は、うっかり転けそうになる。ギリギリのところで最悪の事態は免れたけれど、本当に勘弁していただきたい。
寝落ちなかったらこういう絡み方をしてくるのかと、一気にテンションが下がった。近い。酒臭い。重たい。うざい。長年勤めているけれど、こんなことは初めてで、より一層気分が悪くなっていく。
そして私の気持ちを更に沈める、というよりイラつかせる要因は、他の男性陣の存在だ。私がかなりうざったい絡み方をされていることに気付いているはずなのに、助けようとしてくれる人は1人もいない。それどころか自分も巻き込まれないように知らん顔をしているのだ。男としてというより人として、どうかと思う。
そうだ、この会社の男共は基本的に最低で、こういう時に使えない奴らばかりだった。私は気持ちを切り替え、とりあえずこの重たくてうざったい上司をタクシーに押し込んで逃げることにしようと、よろよろと歩き始める。
しかし、たった1歩しか進んでいないのに肩にのしかかっていた重みが突然なくなった。一体何事かと状況を確認するために辺りを見回せば斜め後ろに彼が立っていて、心臓がひゅんと縮こまる。口元は笑っているのに、目は笑っていない。この顔は、たぶん、ちょっと怒っている。それが分かったからだ。


「大変そうなので下までお送りしますね」
「え、あ、はい、」


会社の人達がいる手前、彼は完全にバーテンダーモードで私に声をかけてくれた。それにつられて、私も敬語で返事をする。
いえ大丈夫です、とか、他の人にお願いします、とか、そんなことを言う暇は与えられなかった。上司は、あれ?どういうことだ?と状況が理解できていない様子だったけれど、彼は有無を言わさず連れて行く。周りで雑談しながら私と上司のことを見て見ぬフリをしていた男性陣も、何があったんだ?とよく分かっていない様子である。
正直、助かった。上司はガタイが良くて重たいし、1人で運べる自信はなかったから。彼は優秀なバーテンダーだ。だからこういうことにもよく気が付くのだろう。けれど、なんとなく分かる。あれはバーテンダーの仕事としてやったことじゃない。私情を挟んだ行動だと。
彼は意外と子どもじみたところがある。例えば、美容院でいつもの担当の人がいなくてたまたま男性の美容師さんに切ってもらったと言った時、彼は少し不愉快そうな顔をした。その時は、へぇ、と呟いただけだったけれど、その日の夜は執拗に髪を撫でられたのを覚えている。
口ではっきり言われたことはない。しかし、態度では明確に示されていた。つまり、彼は私が自分以外の男性に触れられるのを良しとしていないのだ。逆の立場だったら私も同じような気持ちになると思うから何も言わないけれど、お互い結構独占欲が強いよなあと苦笑してしまう。


「何笑ってんですかお客サマ」
「ふふ…いや、ちょっと面白いことがあって。送ってくれてありがとうございました」
「いーえ。どういたしまして」


上司を送り届けてくれた彼が戻ってきて、私の顔を見るなり不愉快そうな顔をした。言っておくけれど、さっきのは完全に不意打ちだ。私のせいではない。それは彼も分かっているのだろう。仕事中ということもあって、それ以上は何も言われなかった。
私は他の男性陣が帰ったことを確認してから、カウンターの1番奥の席に座る。彼はそれを見て数分後、カクテルを用意してくれた。これを飲みながら待っておけということなのだろう。
私は静かにそのお酒を飲みながらチョコレートを口の中で溶かす。お腹はいっぱいだけれど口寂しい。そんな時にチョコレートはうってつけだった。この時間に食べたら太るとか、そういうことは気にしたら負けである。
カウンターから彼の仕事風景を眺めるのは好きだ。どんな風にお客さんと会話をして、どんな風にお酒を作って、どんな風に動いているのか。それを見ていると、彼の人間性が分かるような気がして楽しい。
時々目が合うのは、彼が私のことを気にしてくれている証拠。グラスは空いていないか、眠そうじゃないか、いつかのように酔い潰れたりはしていないか、忙しい中でもきちんと確認してくれている。
1時間弱かけてグラスを空にすると、少し時間を置いてそれまで飲んでいたものとは違うお酒を置かれた。さすが、タイミングばっちり。彼は私にお酒を提供したらまたここから離れて仕事に戻ってしまうのだろうけれど、こうして気にかけてくれるだけでも有難い。
そう思っていたのに、彼は私の前から動かなかった。それどころか「チョコレートまだいりますか?」などと声をかけてきたものだから驚いてしまう。いや、バーテンダーとしては素晴らしい接客なんだろうけど。私に対して、今更そんな気遣いをしてくるのはどうもおかしい。


「いつもご来店ありがとうございます」
「え、」
「彼氏さんとはその後、如何ですか?」
「へ?は?えーと……え?」


他人行儀な言い方なのは営業用トークだからまあ分かるとして、彼氏さんとはその後如何ですか?ってなんだ。彼氏さんはあなたですし。如何ですかって、そんなのあなたが1番知ってるんじゃないの?
何と答えたら良いものかしどろもどろしていると、席をひとつ挟んだ向こう側に座っていた男性客が席を立った。そして、そのお客さんが完全にお店を出た後で「ほんとさあ…」と素で声をかけてくる彼に、またもや驚く。
ついさっきまで完璧に仕事モードだったのに。バーテンダーの彼らしくないけれど、本来の彼らしさを感じて、私は不思議な感覚に襲われる。


「ガード緩いのマジで勘弁して」
「……もしかしてさっき隣に座ってた人のこと?」
「すげー見られてたの気付かなかった?」
「全然」
「酔ってんの?」
「そこまでじゃないと思うけど」
「それで終わりな。あとはうちで」
「……はーい」


上司に絡まれた時同様、彼は怒っているような、ちょっと不機嫌さを露わにした表情を見せた。こんな大きな男の人には似つかわしくない表現だろうけれど、こういうところは可愛いと思う。
彼の作ってくれたお酒をほんの少し口に含む。今日の夜は、私と一緒に彼もお酒に溺れてくれるんじゃないだろうか。わけもなく、そんな予感がした。

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