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キス・オブ・ファイア宣言


またあの頃の日々が戻ってきた。平日は時々お店に顔を出す程度だけれど、週末の昼前になったら彼の家に行き、一緒にお昼ご飯を食べ、彼の出勤時間までのんびり過ごす。そういう、愛おしい日々が。
ただ、以前と違うことは、彼も私の家の合鍵を持っているということ。そして時々その鍵を使って私の家で帰りを待っていてくれたりするということだ。
連絡のひとつぐらい寄越してくれてもいいのに、彼はいつも何の前触れもなく訪れるから心の準備ができなくて困る。彼が待っているということが分かっていたら1分1秒でも早く家に帰ろうと努力するし、もっとマシな顔でただいまと言うことができるのに。


「おかえり」
「また連絡してくれてないし…」
「合鍵渡してくれた時点で好き勝手出入りしていいって意味だと思ってたんだけど…違うの?」
「それは違わないけど」
「名前だって俺んち来る時連絡してこないじゃん」


そう言われてしまうとぐうの音も出ない。私は、むむっと口を噤んでから鞄を置くと、じっとりかいた汗を拭いながらお風呂場へ向かう。
いつの間にか8月は終わりを告げ、9月になっていた。9月というと、もう秋かあ、という気分になるけれど、気候自体は8月とそれほど変わらない。今日は午前中に雨が降っていたせいで午後からは湿度が高く、余計に不快感が増していた。
彼がうちに来た時は、今までのところ必ず泊まっていく。だから今日も彼は泊まっていくに違いない。となれば、お腹をすかせているであろう彼には申し訳ないけれど、先にシャワーを浴びさせてもらいたい。
そう思った私は、リビングにいるであろう彼に断りを入れるべく洗面所の扉を開ける。すると、なぜか扉のすぐ向こう側にいたらしい彼にドアが直撃した。ごんっ、という鈍い音が物語る通り、いってー…とさすっている鼻は少し赤くなっている。


「ごめん。そんなところにいると思わなくて…」
「地味に痛い」
「なんでそんなところにいたの」
「ここに立ってた俺が悪いって?」
「半分ぐらいは」
「お背中お流ししましょうか?って言いにきた彼氏に向かってそんなこと言っちゃう?」
「お気持ちだけで結構です」


ふざけた調子は相変わらず。でも、前よりちょっとだけ、強引に私との距離を埋めてくれるようになった。今も彼は私の方にひょいっと近付いて来て、おもむろに腰に手を回している。汗でべとべとだからできるだけ近付かないでほしい。…という気持ちが半分。もう半分は、こういう分かりやすい愛情表現が嬉しかったりする。
彼が自分から私との距離を縮めてくれるようになったのは、大きな進歩だと思う。今まではなんとなく、来るもの拒まず去るもの追わずという雰囲気がぷんぷん漂っていたけれど、少なくとも今は「去るものを追う」タイプになってくれているんじゃないかと自惚れている。まあ私が彼の元を去る予定は、今のところ全くないのだけれど。


「一緒に入る?」
「お湯沸かしてないでしょ」
「2人でシャワー浴びるとか?」
「嫌すぎるね」
「なんか最近冷たくね?黒尾さん泣いちゃーう」
「嘘ばっかり」


その軽口を咎めるように、そろそろ出て行ってください、と腰に回されていた手をやんわり解けば、頭上の彼の顔が不服そうに歪んだ。どうやら拗ねているらしい。それまでの彼よりも随分と幼い反応をするようになったなあと思うけれど、きっとこっちが本来の彼なのだろう。お店で見せるような大人っぽい落ち着いた雰囲気は見る影もない。
本当にもう、子どもなんだから。そう思って、ちょっとご機嫌取りのつもりで、すぐに行くから待ってて?と、分かりやすく上目遣いでお願いしてみる。すると彼は2秒ほど動きを止めた後に、私の身体をすっぽり覆い隠す勢いで被さってきて、ちゅっちゅと唇を啄み始めた。解いたはずの手はまた腰に回されていて、私の身体は彼の方に引き寄せられる。
やばい。彼のペースに飲み込まれそう。


「く、黒尾さんっ」
「…なに」
「待っててって言ったんですけど」
「待つなんて言ってませんけど」
「屁理屈!」
「んー…じゃあもうちょい。キスだけだから」


ね?と、元々細い目を更に細めて笑う彼を、私は拒絶できない。何も言わないのを肯定と受け取ったのか、彼はまた私の唇に吸い付いてきて、飽きもせずに先ほどと同じ行為を続ける。大きな身体を曲げて私にキスを続けるのは体勢的に辛そうなのに、彼はそんなことちっとも気にしていないらしい。
食べられているみたいな唇の重ね方に加えて、時々キスを中断して赤い舌でぺろりと私の唇を舐める動作を交える。ねちっこく舌を絡めてくるわけでも、それらしい手の動かし方をしてくるわけでもない。宣言通り、本当にキスだけを続ける彼に、こちらが焦れったく感じ始めてしまう。もしかしてこれは彼の思う壺なのだろうか。
その行為の長さに比例して、彼の服を掴む私の手の力が強くなる。彼にお似合いの黒いティーシャツは、私のせいで一部がくしゃくしゃのシワまみれになってしまった。後で洗濯してあげよう。


「今の間にお湯沸かせば良かった」
「え?それ、一緒に入る気満々じゃん」
「背中、流してくれるんじゃなかったの?」
「お気持ちだけで結構ですって言われたような気がするんですけど」
「…じゃあ早く出て行ってよ」
「ごめんって。お湯沸かそ。んで、待ってる間もうちょい俺の相手して」


やだ、ってそっぽを向いてやろうかと思ったけれど、欲に負けた私は、いいよ、と返事をしてしまった。彼はその返事を聞くなりお風呂場に入ってお湯を沸かし始める。そして、すぐさま私のところに帰ってきたと思ったら、今度は抱き寄せるのではなく、洗面所の扉に私を張り付けにした。
痛くはない、けど、簡単に抗うことはできない。そんな絶妙な力加減で両手の指を絡めながら扉に押し付けられる。キスだけ。さっきと同じ。分かっているのに、妙にドキドキしてしまうのは、彼の目に熱が宿ったからだ。
さっきまでと違うのは、唇だけじゃなくて額や頬、鼻、耳、首にもキスの魔の手が広がっているということ。確かにこれも「キスだけ」に分類されるのだろうけれど、なんだか騙された感が否めない。特に首と耳は、彼の息が吹きかかるだけでぞくっとしてしまうから嫌になる。
お湯、まだ沸かないのかな。早く沸いてほしいな。でももう少しこの時間を楽しんでいたい気もする。どうしよう。また汗かいてきちゃった。
洗面所には冷房なんてないから、お風呂場でお湯を沸かしていることも相俟ってむわりとした熱気が立ち込め始める。いや、たぶんお風呂とか外気温とか湿度とか、そういうことだけが原因じゃないんだろうけど。


「そろそろ服脱ぐ?」
「え」
「暑いっしょ」
「そ、そうだけど、」
「俺は脱ぐよ」


言って、すぐにティーシャツを脱ぎ捨てた彼は、ついでと言わんばかりにズボンも脱いであっと言う間にパンツ一丁の姿になる。確かに暑いし、お湯が沸いたらすぐお風呂に入るけれども、今脱ぐの?私も?
躊躇う私の服に手をかけて、はいばんざーい、と子どもの服を脱がせるように声をかけてくる彼には、やましい感情がないのだろうか。私はその場の空気に流され、言われるがまま万歳をして彼に服を脱がされる。インナーも、スカートも、彼があまりにも手際よくするすると脱がせていくものだから、私はものの数秒で下着姿になった。


「…じゃ、続き」
「ほんとにキスしかしないの?」
「そういう約束だから」
「…ふーん」
「キス以外のことしてもいいってお許しがいただけるなら喜んで手出しちゃうけど」
「そういう言い方、ずるい」
「俺がずるいのは前からじゃん?」


自覚あったんだ。自分がずるいことばっかりしてるって。私のこと振り回してるって。自覚した上で、これなんだ。余計タチが悪いじゃないか。
屈したくない。彼の思い通りにはなりたくない。悔しいから。けど、両手を頬から耳にかけて覆うみたいに添えられて深く深く口付けされてしまえば、なんかもう、悔しいとかそういう気持ちはどこかに飛んで行ってしまって、彼のことしか考えられなくなった。酸素をしっかり取り入れるために唇が数センチ離れる。その瞬間、視線だけで会話。
手出していいよ。
じゃ遠慮なく。
言葉にしたらたぶんそんな感じ。彼が私の背中に腕を回した。ぷつり。ホックが外れて下着がずり落ちる。ぱさり。床に下着が落ちたのと、彼との距離がゼロになったのはほぼ同時。そしてそのコンマ数秒後、遠くの方で電子的な声による「お風呂が沸きました」というアナウンスが聞こえたような気がするけれど、私達の耳にはきちんと届かなかった。

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