×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

手順通り、ですか?


結論から言おう。黒尾鉄朗に彼氏役を頼んだのは正解だった。ただ同時に、問題も生じてしまった。だって、こんなはずじゃなかったのだ。


「名字のお母様はなかなかアグレッシブなようで」
「ほんっとにごめんなさい」


客室用の和室に仲良く並べられた布団が2組。その上で渾身の力を振り絞って頭を下げる私に、彼は数日前と同じく軽いノリで、いーよー、と言った。いやいや、今回こそは全然よくないだろう。私は再び謝罪の言葉を口にした。
遡ること数時間前。私は彼氏役を引き受けてくれた黒尾とともに実家に帰省した。いつもより気合いの入った化粧を施したお母さんは、それはそれは満面の笑みで私達を出迎えてくれて、この日をどれほど待ち侘びていたかがよく分かった。黒尾は、これを仕事の一環としてでも捉えているのだろうか。堅苦しすぎるわけでもなければフランクすぎるほどでもない、相手が取引先のお偉いさんでも好感を持ってくれそうだなと思わせる絶妙な敬語を使いながら挨拶をしてくれた。勿論、にこやかな笑みも忘れずに張り付けて。
元々、見た目も悪いわけじゃない。ちょっと目付きは悪いけれど、雰囲気と上手な作り笑いでカバーできる程度。髪型も、いつもは鶏のトサカみたいで少し変だなと思っていたけれど、今日はそれなりに整えてきてくれた(ところで普段のあの髪型は寝癖だと言っていたけれど本当だろうか)。
というわけで、黒尾の第一印象は大変良かった。お母さんだけでなくお父さんも、賢そうな青年だ、とあっさり受け入れてくれるほど。うちの親がチョロいのか、黒尾の彼氏役が上手すぎるのか、それは定かではないけれど、今日という日が無事に終わってくれるのであればそんなのはどっちでも良い。お昼ご飯を一緒に食べて、少し話をして、おやつを食べて。ああ、とても順調。だからこのまま、滞りなく今日が終わると思っていたのだ。お母さんが突拍子もないことを言い出すまでは。


「鉄朗君、うちに泊まって帰るんでしょう?」
「え?」
「ちょっとお母さん!今日はそんなつもりで来てないからもう帰るよ」
「なんで?」
「私もくろ…、テツロウさんも、泊まりの準備してきてないもん」
「鉄朗君にはお兄ちゃんの着替えを貸してあげたらいいし、アンタはうちを出ていく前のが何か残ってるから大丈夫でしょ。何の問題もないじゃない」
「だからなんでお母さんはいつもそうやって勝手に話を進めちゃうわけ?」
「じゃあ何?2人で泊まっちゃいけない理由でもあるの?」
「そういうわけじゃ…ない…けど……」


本当は泊まっちゃいけない。だって私達、付き合ってるわけじゃないんだもん。けれども勿論そんなことが言えるはずもなく、私の言葉はどんどん尻すぼみになっていく。これは困ったどうしよう。助けを求めて黒尾に視線を送ってみたけれど、彼は肩を竦めるだけで何も言ってはくれず。そんなこんなで、私と黒尾はお母さんの強引且つ気紛れな提案によって、私の実家に泊まることになってしまったのだ。
ていうか普通、親が率先して嫁入り前の娘と初対面でまだ得体のしれない彼氏を同じ部屋で寝かせようとする?いくら結婚を前提としたお付き合いをしているということになっているとしても、そこは別々の部屋を用意するでしょうよ。我が親ながら信じられない。


「そういえばこんなこと頼んでおいて今更なんだけど、彼女いないよね?」
「いると思う?」
「いたら大問題だしかなり軽蔑するわ」
「でしょうね。安心してください。いません」
「良かった。いや、この状況は全然良くないけど」
「まあ同じ部屋で寝るだけだし。修学旅行だと思えばどうってことないじゃん?」
「いい歳した男女で修学旅行…」
「ご不満ならそれなりのことしましょうか?」
「いえ結構です。修学旅行楽しーい!わーい!」
「そこまで無理矢理テンション上げなくてもいいけどな」


さすがに修学旅行は無理があるとしても、この状況を深刻に捉えていないことと私を責めてこないことは非常に有難かった。きっと、悲観的になったり私を責めたりしたところでどうにもならないと思って諦めているのだろうけれど、どんな理由であれ最後まで彼氏役を貫き通してくれるあたり、なんだかんだで黒尾はやっぱり良い奴なのかもしれない。
そんなこんなで、辺りが暗くなった頃。うちでは滅多に出てこない高級なお肉を使ったすき焼きを食べた。その後は、お客様である黒尾からどうぞ、とお風呂をすすめたので、私はリビングでぼーっとテレビを見て過ごしていたのだけれど。お先でしたー、と現れた風呂上りの黒尾を見て言葉を失った。髪、どうしたの。ていうかお兄ちゃんの服、全体的に丈が足りてないし。なんかもう色々と面白すぎて、私は思わず笑ってしまった。


「そんなに笑うほど面白いデスカ?」
「だって髪ぺったんこだし服小さすぎだし誰?って感じじゃん」
「ひどい言われようなんですけど」
「いや、うん、すごく和んだ。ありがとう」
「ドウイタシマシテ」


今から一緒に寝る(寝ると言っても睡眠時間を確保するという意味以外は何も含んでいない)とか、やっぱりちょっと複雑だなと思っていたけれど、そんなことはどうでも良くなった。折角それぐらい和ませてもらったというのに、そんな一連のやり取りを見ていたらしいお母さんが容赦なくその気分をぶち壊す。


「2階で仲良くしたら?邪魔しないから」
「あのねぇお母さん…!」
「ありがとうございます。お気遣いいただいて」


ほんとに大きなお世話だ!と。頭に血が上った。そうしてまたもや親子喧嘩が始まりかけた時、上手に社交辞令的なお礼を言って、風呂入ってくれば?と話を逸らしてくれた黒尾はできる男だと思う。見て見ぬフリだってできただろうに、その場を穏便に済ませてくれた。元はと言えば私が聞き流して適当にあしらえば済む話なのだけれど、それができない性格なのが辛いところだ。
お風呂で1人、反省する。面倒事を頼んだ上に助けてもらってばかりで申し訳ない。どんなお礼をしたら許してもらえるだろうか。多少の出費は仕方がないと覚悟しておこう。そんな決意を固めてからお風呂を出て2階の和室に入った、ら。めちゃくちゃ凝視された。黒尾に。え、何?私、どこかおかしい?


「服」
「服?」
「色気ねーな」
「色気ある寝間着って何?」
「少なくとも学生時代の体操服とジャージではないでしょうね」
「うるさいな。そもそも黒尾と寝るのに色気は必要ないでしょ」
「まぁな」


私を凝視してた理由、この服か。なんだ、びっくりした。あまり誰かに見つめられるという経験をしたことがないものだから、つい身構えてしまった。ていうか、色気がないって言われたけど、これは実家に残してきた服の中から選んだからこうなっただけで、1人暮らしの家に帰ればそこそこまともな服だってあるんだからね。…たぶん。別に、色気がないって言われて拗ねてるわけじゃない。断じて。
私は黒尾の発言を鼻であしらいながら布団の上に寝そべると携帯をいじり始めた。それから暫くして。仰向けになり携帯の画面を眺めている私の真横で、なあ、と。黒尾が呼ぶ声がした。首を捻って顔だけそちらに向ければ、私と同じように布団に寝そべって、けれども私とは違って携帯をいじることなく、肘をついて頭を乗せ身体ごとこちらを向いている黒尾と目が合う。


「腹、見えてる」
「あ、ほんとだ。この服、丈短いんだよね」
「名字、無防備だって言われたことない?」
「ないと思うけど」
「ふーん」
「なんで?」
「無防備だなと思ったから」
「だって防備する必要ないでしょ」
「俺しかいないから?」
「そう」
「俺、男なのに?」
「へ?」


黒尾の目が細められて口元がいやらしく笑った。え、何?まさか、そんな、変な気起こしたわけじゃないよね?待って待って。何その表情。どくどく。急に心臓がうるさくなり始める。携帯なんていじってる場合じゃない。


「色気、ないんでしょ」
「色気なくても名字は女ですからね」
「修学旅行じゃなかったの?」
「んー…でもほら、俺達イイ歳だから」


清々しいまでの揚げ足取りだった。なんと口達者なやつだろう。だからこそ彼氏役を上手くこなしてくれたのだろうけれど、こうなると非常に厄介な敵である。
何と言い返してやろうかと考えながら睨んでいると、突然すっと黒尾の手が伸びてきて、私は咄嗟にぎゅっと目を瞑る。起き上がって逃げることも、身を捩って黒尾と逆方向に転がることもできたはずなのに、私はまるで金縛りにあったかのように少しも動くことができなくて。ただ、何をされるのか分からなくても、不思議と怖いとか嫌だとか、拒絶しようとは思わなかった。そうして目を瞑ったままでいると、数秒後、ぺしっ、と。乾いた音が控えめに響いた。それはどうやら黒尾が私の額を叩いた音のようで、私は叩かれた瞬間に目を開ける。なんだか夢から醒めたような気分だ。


「何考えてたんですかー」
「なっ…先にそっちが変な空気にしたんでしょ!」
「変な空気って?」
「白々しい!」
「冗談に決まってんじゃん」
「腹立つ…!」
「あー…、でも」
「なに」
「色気、皆無ってわけじゃねぇと思うよ」
「は?」
「おやすみ」
「え、ちょ…!おやすみ……」


言いたいことだけ言って背を向けた黒尾に、私は何も言えなかった。私達はただの同僚で、同期で、つい最近になって話をするようになった仲で。たまたま私の相談に乗ってくれて、たまたまその場の思い付きで私の彼氏役をしてもらうことになって、たまたま一緒に同じ部屋で寝ることになってしまっただけで。全部、成り行き任せでこうなっただけなのだ。そこに深い意味なんてない。それなのに、なんで。私の心臓はうるさいままなんだろう。
何かが起こるわけない。そんなことは分かっているのに、何も起こらないのが当たり前なのに、私はその後すぐに丈の長い服に着替えた。黒尾に指摘されたからじゃない。お腹が冷えたらいけないから。そう、理由なんてたったそれだけ。何よ、もう。黒尾の冗談はいつも分かりにくくて嫌になる。そういうところが悪い奴なんだよばーか。お陰でお礼何が良い?って、きくの忘れちゃったじゃん。