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独り言と指切りと約束と


好きだった。否、好きだ。ずっと。
頭では理解していた。あんな幼い頃の口約束を信じ続けているわけがないと。物理的な距離が生まれてしまって、もう二度と会えないかもしれない男のことを待ち続けるなんて有り得ないと。けれども俺の中で、彼女の存在は消えなかった。それどころか、歳を重ねれば重ねるほど、彼女を求めていた。
誰にも言わなかった。言えなかった。高校生なんて、暇さえあればそういう話に花を咲かせる生き物だ。俺達野球部員は基本的に野球のことしか頭にないと思われがちだが、実はそうでもない。学校の勉強のことだって、宿題のことだって、先生のことだって、クラスメイトの馬鹿話だって、そして好きな女の子のことだって、人並みに話題として持ち上げるのだ。


「御幸はなんで彼女作んねぇの?」
「今は野球が恋人だから?」
「絶対嘘だろ」
「はっはっは!嘘じゃねぇって」


いつか誰かになんとなく尋ねられたことがあった彼女ネタ。俺の答えは半分本当で半分嘘だった。野球以外にうつつを抜かしている暇などないというのは紛れもない事実。だが、彼女にするならどうしても名前がいいと、初恋を拗らせていたこともまた事実だった。
よく分からないが、俺はモテるらしい。チームメイトに、こんな性格なのにな、と面白くなさそうに吐き捨てられた通り、俺は自分でもなかなか面倒臭い人間だと思うしつまらない男だと思う。付き合い始めたところで一緒に過ごす時間なんてろくに作れないのは目に見えているし、それで文句を言われたり、思っていた感じと違う、などとダメ出しを食らうぐらいなら、誰とも付き合わない方がマシだというのが俺の持論。野球優先であることを理解できて、それを心の底から応援してくれる相手じゃなければ、俺の彼女にはなれない。そう、例えば、幼い頃に俺を応援してくれていた彼女のような人物でなければ。
そうして高校に入学した俺は、彼女と運命的な再会を果たした。二度と会えなくてもおかしくなかった。俺のことを覚えていなくても不思議はなかった。けれども俺達は出会ったし、彼女は俺のことを覚えていた。
俺の声に振り向いた彼女は、随分と大人になっていた。当たり前だ。あの頃に比べたら成長しているに決まっている。柄にもなく、心が躍った。勿論、表向きはそういう素振りなんてひとつも見せなかったけれど、これはきっと何かの思し召しってやつじゃないかと都合のいいことすら考えた。あまりの浮かれようで、亮さんには彼女のことを話してしまったぐらいだ。
しかし急浮上した感情は呆気なく墜落する。彼女には、彼氏がいたのだ。奇しくも俺と同じ野球部の彼氏が。何度も言うが、頭では理解していた。あんな陳腐な口約束を守り続けているわけがないと。けれどもその反面、心のどこかでは期待していた。彼女は、名前は、俺のことを想い続けてくれているんじゃないかって。俺を信じて待ち続けてくれているんじゃないかって。今時そんな夢物語みたいなこと、あるはずがないというのに。我ながら女々しい思考すぎて反吐が出る。
そして俺はどうしようもない苛立ちと落胆を持て余し、それをあろうことか彼女にぶつけてしまった。餓鬼だったと思う。散々突き放して、傷付けた。自分だけがこんな気持ちになるなんて許せない…とまではいかずとも、俺の今までの気持ちはなんだったんだと、理不尽な感情をぶつけるみたいに。
彼女の気持ちを試すような真似をして、ケンジ君とやらと別れて俺を選んでくれた後も、俺は素直に喜べなかった。俺は全てが初めてなのに、名前の初めては俺じゃない。よく考えたらそれはどうだっていいことだ。どうだっていい、というか、大事なことではあるかもしれないけれど、少なくともそれに固執する必要はなかった。冷静に考えれば分かる。だが俺は冷静じゃなかった。


「俺らしいってのはどんなの?」


怯えた目をした彼女に、いつかそう尋ねたことがある。答えは返ってこなかった。でも、それでよかった。尋ねておきながら、俺は答えを欲していたわけじゃなかったんだと思う。自分でも、自分らしいというのがどういうことなのか本当に分からなかったから、ポロリと口を突いて出てきてしまった。ただそれだけで、答えてほしかったわけじゃない。
彼女は俺が何をしようが、どんなことを言おうが、怒ることはなかった。それどころか、自分を責めるみたいに謝罪を繰り返し、瞳を揺らがせていた。恐らく、俺の考えなんて理解できなかったと思うし、怖いと感じていたに違いない。それなのに、俺が少し弱音を吐いたら全力で褒めちぎって、鼓舞して、肯定する。真っ直ぐに、俺を見つめてくれる。
ああ、好きだなあと、思った。意地を張って、妙なプライドのせいで冷たく当たって、突き放して。そんなことをしていた自分が馬鹿馬鹿しくて堪らなくなるほどに。そして決めた。すぐに全力で、とはいかずとも、きちんと大切にしていこうと。長年の想いは口先だけではなく本物だったのだと彼女にも分かるように、少しずつ示していこうと。野球をしている俺が好きだと言ってくれた彼女を幻滅させないように、今まで以上に野球に打ち込もうと。
そうして、彼女との関係はきっと上手くいっていた。不器用ではあったと思う。普通のカップルに比べて、淡白な付き合い方だったとも思う。けれども俺には、名前が幸せそうに見えていた。元カレと比べられたらと思うと気分が落ち込むこともあったが、今思えば名前は、俺に不安を与えまいとひたすら俺に愛情を傾けてくれていたような気がする。そういうところが、やっぱり堪らなく愛おしいと思っていた。口には出さなかったけれど、きちんと想っていた。この先もずっと、想い続けようと思っていた。
それなのに、どうして俺達の関係はこんなにもややこしい方向に転がっていってしまうのか。このままハッピーエンドで終わらせてくれたら良かった。運命の再会を果たし、色々と弊害や苦難はあったけれど、最終的には想いが通じ合ってめでたしめでたし。そういうシナリオで十分だったはずだ。
なんで、どうして。考えたって分かるはずもない。事故に遭ったこともそうだけれど、その事故によって都合よく俺達の大切な再会後の記憶だけが彼女の頭から抜け落ちてしまうなんて馬鹿みたいなことが起こったことが、何より許しがたかった。だが、俺よりもずっとずっと傷付いているのは名前の方で、ここで俺が彼女を追い詰めるような言動を取るわけにはいかない。俺が彼女に救われたように、今度は俺が救ってやる番だと思った。
そうして、高校三年生の時間はそれまでの高校二年間分の穴を埋めるみたいに、ゆっくりと穏やかに過ごした。俺が彼女を傷付けた記憶がなくなったのは良いことだったのか悪いことだったのか。それはいまだに分からない。ただ、失った記憶の中には大切な俺達の初めてが散りばめられていたのも揺るがぬ事実であり、そう思うと思い出してほしいと思わないこともなかった。


「一也君、ごめんね…」
「なんで謝ってんだよ」
「だって私…結局、」
「別にいいって。何回も言ったろ」


彼女の失われた記憶のピースは見つからぬまま、季節は巡って再び春を迎えた。再会して、新しい関係を始めて、失って。節目節目で俺達を見守ってくれていたこの学び舎とも、今日でお別れだ。


「名前」
「何?」
「絶対に迎えに行く」
「…っ、」
「今度こそ絶対に」
「……うん、」
「だから待ってろよ」
「約束、だよ?」


十数年ぶりの陳腐な口約束に、名前は小指を差し出した。
俺達の関係は、恐らく、恋人。正式な恋人としての始まりの記憶は彼女の中にないから宙ぶらりんな状態ではあるけれど、俺達の想いは確かに通じ合ったままでいる。だから肩書きとしては恋人でいいはずだ。けれどもその関係に絶対はない。俺はプロ野球選手としての道を歩むが、彼女は大学生としての道を歩む。だから、恋人という肩書があっても離れ離れになることは避けられなくて、もしかしたらまた、何の前触れもなく関係が破綻してしまうかもしれないと考えたら、こんな約束は無意味だった。それでも。
差し出された小指に自分のそれを絡める。大丈夫。もう、絶対に離さない。忘れさせない。信じぬいてみせる。信じぬかせてみせる。俺の決意はちっぽけな小指ひとつに託された。