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かけらを集めてみましょうか


予想通りと言うべきか、私の高校3年生のスタートは少し出遅れてしまった。4月中旬に差し掛かろうかという頃になって、私は漸く3年生の教室に足を踏み入れる。事故のことについて知っている友達は、大丈夫だった?と心配そうに声をかけてくれて、いつも通りの日常が戻って来たような感覚に陥ったけれど、それは一瞬のこと。私の心は浮かないままだ。
一也君との記憶が一部欠如している、とお母さんに伝えてからというもの何度も検査を行ったけれど、脳に異常は見られなかった。そして、一也君との記憶以外で欠如していることは今のところ何も見つかっていない。つまり、私の脳は一也君との記憶だけをすっぽりとどこかに落としてきてしまったようなのだ。どうにかして思い出そうと写真を見てみたり、メールを読み返してみたりしたけれど、効果はゼロ。ただ、なかなか大きな事故だったにもかかわらず日常生活を何不自由なく送ることができる状態まで回復したのは、不幸中の幸いと言うべきだろう。
一也君は、試合が終わって帰る前に会いに来てくれた。無理すんなよ、と声をかけてくれた彼に私はただ頷くことしかできなくて、申し訳ないやら情けないやら悲しいやら、負の感情ばかりが渦巻いていたのを覚えている。ちなみに、こちらに戻ってきてからは会っていない。一也君は練習で忙しいのだろうし、私は私で本調子ではないからリハビリに疲れ果てていて、連絡をしようなどという余裕がなかったのだ。まあ、連絡をする、といっても、何と言えば良いのか分からなかったというのが正直なところだけれど。
友達には、一部の記憶がなくなっているということは話さないことにしていた。一也君と私は付き合っていたらしいけれど、恐らく2人の性格上、わざわざ付き合っていることを公にはしていないだろうし、学校内でいちゃつくなんてこともなかったはずだ。となれば、自分から友達に「一也君と付き合ってたみたいなんだけどその記憶はないの」なんて宣言する必要はないと思ったからである。きかれたら、正直に答えようとは思う。けれど、できるだけ触れてほしくない話題ではあった。覚えていない、ということを人に話すのは、一也君との大切な記憶がないことを再認識させられるようで嫌だったから。


「おはよう」
「お、はよう、」
「学校来れるようになったんだ?」
「うん。今日から…」
「良かったな」
「……うん」


私の席の前を通り過ぎる時についでと言わんばかりに声をかけられて、ほんの少し緊張してしまった。久し振りに一也君の声をきいただけで、心臓が面白いほど反応する。良かったな、と言われてすぐに肯定できなかったのは、今の状態が本当に「良い」状態ではないと思っているからだ。身体はすっかり回復した。けれど、大切なことが抜け落ちたままで「良かった」なんて心から思えなかった。一也君もきっとそのことはなんとなく察知しているだろうけれど、皆がいる手前、彼の声のかけ方は大正解だったに違いない。
3年生になって、一也君とは同じクラスになったらしい。本来だったら飛び上がって喜ぶところなのだけれど今の状況では手放しに喜べなくて、むしろどんな顔をしてこの場所にいればいいのか分からず戸惑ってしまう。そんな私の気持ちを汲んでのことだろう。一也君からメールが届いていた。俺のことは気にしなくていいから。たったそれだけの短い文章だった。けれど、この一文の中に私への気遣いが込められているような気がして、うっかり泣きそうになってしまった。
存在を忘れたわけじゃない。昔の記憶は残っている。けれどもその記憶はアップデートされていなくて昔のままという中途半端な状態。私が逆の立場だったら、もどかしくて耐えられなくて、無理矢理にでも元の関係に戻ろうと距離を詰めていたかもしれない。しかし彼はそんなことはせず、無理をするなと言ってくれる。自分のことは気にしなくて良いから、と。
一也君のことはずっと好きだ。だから優しくされればされるほど、好きという気持ちが膨れ上がっていく。この感情に身を任せて、私達って付き合ってたんだよね?私はずっと一也君のことが好きだったんだから問題ないよ!また恋人としてよろしくね!と楽観的に考えられたらどんなに楽だろう。けれども、どうもそれは違うと思うのだ。好きだからこそ、適当に関係を修復したくない、と我儘なことを思ってしまう。


「名前ちゃん、お昼どうする?」
「どうする?って?」
「いつも御幸君と一緒に食べてるイメージだったから、どうなのかなって」
「え、」
「2人って付き合ってるんだよね?」


それは単なる確認だったのだろう。何の気なしに尋ねられた私は、不意打ちで心臓を抉られる。どうしよう。記憶を失う前の私だったらどう答える?そうだよ、って笑顔でさらりと肯定する?そういうのじゃないよ、ってはぐらかす?ていうか私達、堂々と一緒にお昼ご飯を食べたりしてたの?私から強引に迫っちゃったのかな。きっとそうだよね。一也君、そういうの好きじゃなさそうだもん。
微妙な沈黙が流れて、ごめん違った?と、友達が質問を重ねてきた時だった。私の弁当箱がひょいと宙に浮いて何事かと視線を上に向ければ、そこには一也君の姿が。どうやら一也君が私の弁当箱を持ちあげたらしい。一也君の突然の登場に、私だけでなく友達もぽかんとして驚いている。


「飯。食いに行くぞ」
「えっ、」
「やっぱり2人って付き合ってるんだ?」
「そう見えるならそうなんじゃねぇの」


付き合ってるとも付き合ってないとも言わない、とても曖昧で適切な返事の仕方だと思った。今の私達にはちょうどいい。そして一也君は間違いなく、私を助けに来てくれた。明確なSOSを発信したわけじゃないのに、私を見ていてくれた。そのことが、こんなにも嬉しい。かちかちに固まりかけていた胸がほわりと柔らかくなる。
一瞬だけ一也君の手が私に伸ばされかけたような気がするけれど、触れるのを躊躇ったのだろうか。ほら行くぞ、と声だけで促された私は、ほぼ反射的に席を立ち、先を行く彼の背中を追った。どこに行くのだろう。こっちは確かグラウンドの方面じゃなかっただろうか。方向音痴だからあまり自信はないけれど、この道は何度も通ったような気がする。
そうして辿り着いた場所は、野球部のグラウンドのすぐ近くにあるベンチだった。野球部でなければまず立ち寄ることのないこの場所。私と一也君は、ここで毎日のように肩を並べてお昼ご飯を食べていたのだろうか。


「こういうことしねぇ方がいいかとも思ったんだけど」
「ううん…助かった。ありがとう」
「今まで通りにしたかった。…俺が」
「ここでいつもお昼ご飯を食べてたの?」
「昼休憩は俺が自主練とかに行かない限り、大体ここだったな」
「そっか」


懐かしいような、そうでないような。ベンチに座って見える景色は春めいていて、頬を撫でる風も暖かくて心地良い。そうか。私達、本当に付き合ってたんだ。


「一也君」
「どうした?」
「私、思い出したいな」
「無理に思い出そうとすんなって言われたんだろ」
「うん。そうなんだけど、一也君とどんなことして、どんな話をしてたのか、やっぱり思い出したい」
「思い出さねぇ方が良いことの方が多そうだけど」
「そうなの?」
「…でもまあ、思い出してほしいこともなくはないかな」


一也君はまた曖昧なことを言った。飯食うか、と隣に座った一也君との距離は、近いようで少し遠い。その位置から、今の私達の距離感を保ってくれているんだということがなんとなく感じ取れた。
いつかこの距離がまた縮まる時がくるのかな。きてほしいな。違う、私が近付けばいいんだ。ふわり。再び私達の間を流れて行った空気は、やっぱりあたたかかった。