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たまには砂糖をひとつ


昼休みに一也君とベンチで過ごすのは、もはや日課となっていた。相変わらず一也君はスコアブックと睨めっこをしているので会話は少ないけれど、時々授業の話や野球の話ができるだけで、もっと言うなら一緒にいられるだけで、私は毎日とても幸せだ。
初めてこの場所でお昼休みを過ごした日以来、一也君は私に触れてきていない。正直、ほんの少し期待していた。2人きりになったらまた一也君が何か行動を起こしてくれるんじゃないかって。前はそんなこと望みもしていなかったくせに、人間とは実に強欲な生き物だ。少し甘いご褒美をもらえると、もっともっとと求めてしまう。
そんな私の心理を読んでいるから何もしてこないのだろうか。そういえば、キャッチャーというポジションの人は他人の心を見透かす能力に長けていると何かで聞いたことがある。私にはその情報が本当かどうか分からないけれど、少なくとも一也君は普通の人に比べてそういう能力に長けているような気がする、とは思う。


「暇?」
「まあ…暇と言えば暇だけど…」
「名前って何もきいてこねぇよな」
「え?」
「野球のことも、俺のことも、何も」


一也君の顔が久し振りに私の方へ向けられた。眼鏡の奥の双眸が私を真っ直ぐ射抜くものだから見つめ合うのが恥ずかしくて思わず目を逸らしてしまったけれど、その瞳に私を映してくれたことはとても嬉しい。ただ、なんとなく一也君の表情が曇っているように感じたのは私の気のせいだろうか。一也君の突然の発言にも、何か引っかかりを感じた。
ぎこちないとは言え、私達の関係は徐々に良い方向へと向かっていると思う。けれどもそれは表面上の話だけであって、私達はお互いにお互いの深い部分を知らないままだ。それは決して関心がないからではなく、深い部分に踏み込む勇気がないせいだったりする。もっともこれは私に限った理由であって、一也君は私への興味がそこまでないという、シンプルな理由があるのかもしれないけれど。


「一也君だってきいてこないでしょう?」
「きいたら何でも答えてくれんの?」
「基本的には答えられると思うけど…」
「元カレのことも?」


返事に詰まった。きかれて困ることなんてない。普通に告白されて、普通に付き合い始めて、別れた。ただそれだけ。だから、何を尋ねられてもありのままを答えれば良い。それなのに、一也君が今まで見たことのない、なんだかとても傷付いているような表情をしているから。私は、何も言えなくなってしまった。
ぎこちなく視線を逸らした私を見て、一也君は何かを察したのだろう。ピリリと張り詰めていた空気が緩んで、一也君がまたスコアブックに視線を落としたのが分かった。


「きくつもりねぇからそんな顔すんな」
「え、」
「きいても腹立つだけだし」
「腹立つの?」
「……まあ、それなりに」


元カレの話題を出したのは一也君の方なのに元カレの話をきいたら腹が立つって矛盾してない?と思ったけれど、よくよく考えてみたらそれって嫉妬してくれてるとか、そういうことじゃないのかな、なんて。淡い期待。
もしも嫉妬してくれているのだとしたら、私のことをそれなりに好きだと思ってくれているということになる。そんなの夢みたいだ。だって私はいまだに一也君の口からきいてない。好きという、たった2文字のその言葉を。


「あの、きいてもいい?」
「何?」
「…一也君は私のこと、好き、なの…?」


勿論好きだよ、なんて甘い言葉が返ってくるとは思っていない。さらりと、好きだけど、と即答してもらえるなんて期待もしていない。ただ、好きじゃないという否定だけはされたくないなあ、と。我ながら低レベルなことを願っていた。
きいてどうなるわけでもないこと。確認したってどうしようもないこと。けれども、1番気になっていたことで、恐らく1番大切なこと。
前にも同じようなことをきいた。一也君は私のことをどう思ってるの?って。その時は散々だったけれど、その時と今では状況が違う。だからきっと大丈夫。前ほど傷付くことはない。…はず。


「それ、本気で今ききたい?」
「うん」
「…来月から秋大が始まる」
「へ?」
「応援よろしく」
「それは勿論応援するけど…」


質問に対する答えとは大きくかけ離れた返事に戸惑う私をよそに、一也君はスコアブックを閉じてベンチから立ち上がった。そしてその直後に鳴り響くチャイムの音。私も一也君に倣ってベンチから立ち上がったけれど、釈然としない気分だ。
教室までの道のりで返事の追求をしようかとも思ったけれど、前を行く一也君はこちらを振り返ることなくさっさと行ってしまうからそれすらもできず。どうして急に秋大の話?話を逸らすにしても下手すぎでは?などという思いが時間の経過とともにムクムクと膨れ上がっていく。
そんなことを考えている間に教室に辿り着いてしまったので、私はいつものように、またね、と当たり障りのない言葉を投げかけて教室に入ろうとした。けれど、今日はその足が止まる。一也君が私の腕を掴んで引き止めたからだ。
驚きながらも、どうしたの?と尋ねようと口を開きかけたところで近くなる距離。耳元で聞こえたのは一也君の声。


「返事は秋大終わってからな」


それは本当に一瞬の出来事だった。授業直前で騒ついている教室内にいる人も、廊下をパタパタと行き交う人も、誰も私達の様子なんて見ていないだろう。お陰で冷やかされる心配はないけれど、これでは私の身がもたない。
やりたいことだけやって、言いたいことだけ言って、一也君はさっさと自分の教室の方へ歩いて行ってしまって、教室の出入り口付近でぼーっと立ち竦む私はただのおかしなヤツだっただろう。その証拠に、怪訝そうな顔をした友達に、そんなところで何してるの?と不審がられてしまった。
まったく、一也君はいつも私が予想だにしないことをさらりとやってのけてくれる。女の子の扱いに慣れているのだろうか。いや、野球一筋という感じだからそんなことはないはず。けれども私はそんな一也君に振り回されっぱなしのような気がする。
返事は秋大が終わってから。
一也君の言葉を繰り返し脳内で再生する。もしかして一也君は元々、秋大が終わってから返事をしようと決めていたのだろうか。だから、応援よろしく、なんて言ってきたのかもしれない。そうとなればいつも以上に応援に気合いを入れるしかないではないか。
夏の悔しい敗戦を乗り越えて、一也君達野球部が必死に練習していることは知っている。だから今度こそ、きっと頂点に立てるはず。それならば私は。5時間目の始まりを告げるチャイムをぼんやりと聞きながら、私はこれから自分にできることは何だろうかと考えを巡らせ始めた。