巡り廻る、輪廻の邂逅

地球が燃える様を、彼女は二度、目にした。
一度目は、突然揺らいだ意識の中で見た、白昼夢。
二度目はその直後。コフィンから踵を返して職務を放棄した直後、鳴り響いた警報と爆発音から逃げるようにして辿り着いたスタッフたちがホログラムキーボードを叩き続ける中央管制室上階にて、それを目に焼き付けた。

彼女は今、目の前で昏々と眠り続ける少年の傍らにいる。
名前を藤丸立香。瀕死だった少女――マシュ・キリエライトと共に瓦礫と燃ゆる炎の中、特異点Fへと飛び帰還した一般公募枠の48番目のマスター。この施設、人理保障機関カルデアの司令官代行の座に就いたロマニもといDr.ロマンからはレイシフト適合率100%を誇る少年だとは聞かされていたが、立て続けにこのような事態が起きた上に初のレイシフト、しかも霊子筐体を通さずに、だ。疲労が蓄積してこうして眠り続けていても仕方がないだろう。実際、レイシフトはしていないにせよ彼と共に生き残った彼女だって既に摩耗しているのだから。

彼女がカルデアに来てから1年近くずっと地球と同じ青を保ち続けていた疑似地球環境モデル・カルデアスは緋色に染まった。爆発が起きた。霊子筐体に収まってレイシフトを待つだけだった同期やAチームの面々は、意識不明の重症に陥った。犠牲者はそれだけに留まらず、バックアップに徹するスタッフの多くも犠牲になった。その上、藤丸立香と瀕死の重傷からデミ・サーヴァントとして蘇ったマシュ・キリエライトが飛んだ特異点Fにて、技術者であったレフ・ライノールの裏切りの発覚。そして何よりも、無事だったと思われた所長、オルガマリー・アニムスフィアの肉体的な死の判明。藤丸とマシュの傍らに、或いはシバを通じたモニターに映っている彼女は精神概念的存在でしかなく、そして彼女に流れる血筋アニムスフィア一族の象徴とも言えるカルデアスに吸い込まれる形で、精神体としての彼女も死亡した。これが、ほぼ片手で足りる程度の数日で起きた出来事である。
48名もいたマスターの内、五体満足で十分に動ける言わば生き残りは藤丸立香並びに眠る彼の隣に座る少女――湊蒼織のみであった。本来であればコフィンに搭乗し同じような末路を辿ることを決定付けられていた筈の彼女がこうして生きているのか――それは、一つの白昼夢が原因であった。
彼女も藤丸同様一般公募枠から来たマスター候補生である。しかし彼女は一般公募枠の中でも飛び抜けた異例であり、魔術師一族出身の候補生に引けを取らない魔術回路と質を誇る。が、彼女の帰るべき家は孤児院であった。名前は孤児院の院長から与えられた姓と名前であり、両親の顔さえ知らないのだからどうして自分が魔術師の適性を持っているのかさえも分からないままだ。そしてその異例を更に確たるものにするかのように、彼女は夢を見る体質であったのだった。ただの夢ではなく、どこかの異世界の風景画を繰り返し見続けていた彼女はカルデアに来たことからその頻度、映像の解析度が上がるようになり、特に前者は十分な休息睡眠をとっていても突然白昼夢という形で牙を剥く。意図せずにどこでも寝てしまうようになった蒼織は、態度や姿勢に対しては真面目と判断されるものであったのに何処でも眠ってしまう事が全てを台無しにしてしまい、落ちこぼれのマスターとして名を轟かせる始末になってしまう。

しかしこの夢見の体質が、彼女の命を間一髪の所で掬い上げた。それが冒頭の燃える地球――人理異変を訴え燃えるカルデアスと、崩落しかけた中央管制室をコフィンに搭乗する直前で白昼夢で見た事で、命拾いをしたのだった。
幾度となく見続けた夢。荒廃した荒野。太陽が照り付ける地平線まで見えるような広大な海。城壁のような建造物。あの夢に出てくる景色は、燃えるカルデアスの夢を見た直後に現実で目の当たりにした予知夢だったように――これは、この先の未来で自分が現実に見る光景なのではないか?カルデアに来る前まではぼんやりとしか見えなかった景色が此処に来た途端突然明瞭になったのも、カルデアに属し続ければ見える景色なのではないか?

すうすうと眠る藤丸の傍らから離れた彼女は扉を開けて医務室を出る。本来の此処の主は殉職した所長が座っていた席に座して、「次」の準備に取り掛かっていた。

曲線を描く特徴的なカルデアの廊下から見る景色はずっと吹きすさぶ吹雪のままだった。裏切ったレフと、必死に機器を駆使して調べ上げたスタッフ曰く人類の灯は此処にしかない。爆発事故で生き残った20人近くのカルデアの人間以外は全て、人類史と共に燃え尽きたのだという。何の罪のない人たちが、変わらない日々を、変わらない明日を受け入れるはずだった人々が。何より生き残ったカルデア自体も2017年を迎えれば人理焼却を逃れられずに死滅する。外に出れば死があり、此処で何もせずに恐怖に怯えていれば矢張り死が迫る、余りに理不尽だ。それをどうにかする為に今代理所長のロマニと生き残った後方支援スタッフたち、そしてカルデアに召喚されたかの長命な画家の英霊――ダ・ウィンチがその知恵と技術をかき集めてレイシフトの準備をしている。カルデアスに現れた7つの特異点。本来あるべき歴史を捻じ曲げられ、人理焼却の原因となった7つの楔。これを正せば、人類史を取り戻す事が出来る――それは、レイシフト適性を持つ生き残ったマスター候補生である藤丸と湊、そしてデミサーヴァントとして藤丸と契約しているマシュに委ねられている。逆に言えば、彼らがそれを拒否すれば人類史の未来は無いという事だ。

「……重すぎるんだよなあ」
彼女が高校卒業後、カルデアにマスター候補生として来ると契約を交わしたのは、有体に言えば金の為であった。私利私欲の金ではない。自分の帰るべき家である孤児院に収めるための金を彼女は求めて、自分の何処が出何処か分からない魔術師としての適性と己自身を対価に差し出したのだった。そこに在るのはただ、帰る家と家族を守りたい、楽をさせたい、少しでも良い物を食べさせて、娯楽を与えてやりたい、普通の子供たちと差し支えない生活環境を整えてあげたいという家族愛であったのだ。その為に自分を未知の世界に投げ出すのは、恐ろしいとは思ったが苦では無かった。それが今や、世界を救うための戦いにすり替わっていた。個の願いの為の戦いが全の戦いに。重いと感じても致し方が無い。
……個が集えば全となる。全は即ち個の塊。彼女が愛する家族も、全の一部なのである。
窓についた薄い掌が、ぎゅうと固く結ばれた。





「やあ、ミス・蒼織。この通り準備は滞りなく」
「ありがとう、ダ・ウィンチちゃん」
本来同期のマスターが使う筈だった部屋の一室にチョークを携えてやって来た蒼織は迷いなくその床に手に握ったそれの先を向けて滑らせ始めた。迷うことなく描かれるそれは召喚用の魔法陣。本来であれば守護英霊召喚システム・フェイトというカルデアの発明を駆使すればいいのだが、彼女は藤丸がマシュと契約したのに倣って最初の一騎は過去に行われた聖杯戦争の英霊召喚儀式に基づいて召喚する事に決めたのだった。話に聞くところによると魔術師の持つ特性に倣った素材で魔法陣を描くのが良いらしいが、生憎蒼織は魔術師としての学を修め始めて1年と少し。カルデアに来てから勉強をし始めた為、真面に扱えるのはルーン魔術とガンド程度であった。水銀を制御したり宝石を溶かすような芸当は出来ないし、ましてや血を使って描くなんて以ての外だ。人道的にもカルデアの資源的な話も含めである。故にチョークを選んだのだが、多少なりは不安である。
描き終わったと同時にチョークを部屋の隅に投げた彼女は一度、深く息を吸って吐いた。魔法陣の中心、引いた線を極力踏まないようにして立った蒼織は利き手の右手を突き出した。
「――汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に」
魔法陣を描いた右手に、詠唱を綴る声に魔力を乗せる。すると中心から描いた線に従うように内から外へと光が走り始めた。問題なく作用した召喚陣に密かに安堵しながらも、気を引き締めて残りの詠唱を口にする。
「聖杯の寄る辺に従い、この意、この理に従うなら答えよ」
英霊を召喚する――それは即ち、此処では人理修復という危険な道に進む選択をするという事であり、人理焼却に抗う姿勢を意味する。彼女は、世界の為なんて大それたことを言うつもりは無い。自分の家族が全に含まれるからその意志を見せるのであって、他の人間はそれに伴う結果に過ぎないのだ。世界を救わなければ彼女が愛する家族が救われないから、戦うだけ。大なり小なり世界を救う、人類を救ったと見做された者は英雄と扱われるが、英雄になるつもりは更々無かった。
「誓いを此処に。我は常世全ての善を敷く者。我は常世全ての悪を敷く者。
 汝三天の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ。天秤の、守り手よ――――ッ!?」
魔法陣を中心として生み出された風が彼女と見守るダ・ウィンチの豊かな髪を乱していく。魔力の奔流、詠唱を全て言い切り確かにそれが正しく作動し構築されていく様に詰めた息を吐いた直後、バチリと電流が走ったかのように目の前が眩んだ。突然の衝撃に瞼が落ちていくのが分かる。視界の隅で見守っていた彼女が自分の名前を呼んでいたのが分かった。まだ完全に英霊が現れていない状況で倒れたらどうなる事か。不味い、まずい!そう思うのに弛緩した身体は手を伸ばしたまま後ろへと倒れていくその刹那に、脳裏に走ったのは幾度となく見た夢の断片であった。

青々しい草原。遠くに見えるのは石積みの城壁のような何か。見上げた清々しい青空に、――飛来する巨大な双翼の生き物。しかも数が多い。3頭とか6頭とか9頭とかそういう数じゃない。向こうの空は真っ黒に染まり上がっている――圧倒的過ぎる!ひ、と喉が鳴る。反射的に構えた右手が、ガンドを放とうとする指先が震えて照準さえ合わせられない。どうしよう、どうしよう!傍に居てくれる「彼」は今、別の敵対エネミーと交戦中で――思考回路を回している間に着陸した巨大な生物――飛竜は容赦なく彼女を殺すべき存在と認識しこお、と息を吸い込んだ。吐き出されるのは間違いなく炎。骨の髄どころか存在すら残さず焼き尽くされる――!
『ばっか野郎が!アンタが死んだら元も子もねぇでしょうが!!』
感じた浮遊感と、鼻腔を擽る木々の匂い。フードを頭から被った青年が間一髪で「私」を助けだす。片手で「私」を支えながら牽制代わりに番えたままの矢を打ち出すという芸当をしてみせた彼が「私」に言うのだ。
『ヤバいと思ったら何が何でも俺を呼べ!俺がアンタの従者である限りは駆け付けてやりますから!』

―― 一瞬遠のいた意識がみるみるうちに覚醒する。瞼に隠れたラピスラズリが強い意志で眼を見開く。身体のバランスは崩したままだったが、そんなの関係ないとばかりに口を開けて、息を吸った。
夢の中で見た『彼』が言うように。何度だって、その名を呼びかける――!

「――来て、アーチャー!!!」

な、とダ・ウィンチが目を見張る。突然何を言い出したのか、この娘と言わんばかりだが彼女の魂の叫びを聞き届けるように、光の奔流から突如伸ばされた手が蒼織の右手を掴んだ。同時にその甲に赤い幾何学模様――英霊と契約した証である令呪が浮かび上がる。彼女のそれは、矢を番えた弓を模したような左右対称のそれであった。辛うじて後ろに頭から倒れ込む事を回避した彼女は爪先を二度鳴らして床に着地する、と同時に光の奔流は収まり、その中心には――

「――選定の声に応じ参上した。サーヴァント・アーチャー。真名ロビンフッド。
アンタが俺の――マスター、だな」

手を繋いだまま片膝を付く形で其処に居た彼は、最後に漸く顔を上げた彼はどこかで見覚えがある様な青年であった。纏う緑衣と、明るい茶髪。片目が隠れた姿で、片腕には彼の主武装らしきボウガンがある。何より蒼織を確認するように覗き込まれた彼の表情は、どこか懐かしむようなそれであった。
「……アーチャー、ロビンフッド」
「はいはい、っと。堅苦しいのは苦手でね、形式上のご挨拶は此処までだ。呼ばれたからにはそれなりに働きますから、どうぞよろしく?マスター」
立ち上がった彼は繋いだままの手に一瞬目を落としてから自らぎゅうと握り返した。時々違和感を覚えるものの、気さくそうで堅苦しいのを嫌うと主張する彼とは何となく上手くやっていけそうな気がして。その理由がどこから来るかは分からなかったが、それでも笑顔を形作った。
「此方こそよろしく、アーチャー。未熟な主で申し訳ないけれど、どうか宜しく。……ロビンと呼んでも?」
「好きにどうぞ。アンタの名前は――」
湊蒼織。
そう告げると彼は、噛み締めるように告げたのだ。
「じゃあ蒼織と。また、宜しくな。マスター」

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