煌びやかな舞台裏、秘密の逢瀬。

あ、編入生ちゃん。
佐和がそう呼びかけると、髪より少し薄い色合いのドレスの裾を引き摺らないように持ち上げながらぱたぱたと忙しなく走り回っていた学園の高等部、声優課でたった二人しかいない異性の片割れの足が止まる。編入生、つまり樹はぱっと振り返れば佐和を含めた衣装の腕通しを終えたエメカレの面々にぱっと顔を輝かせた。

「五人とも着替え終わったんですね!」
「うん。こういう衣装を着るのは久々だから、ちょっと恥ずかしいな」

雛瀬が手にした装飾が施された仮面をくるりと弄ぶ。恥ずかしいと言うものの、今回の衣装は歌劇団をモチーフに作られた華美な物だ。普段から王子と揶揄られる一人である雛瀬がそれを身に纏えば、絵本から飛び出してきた王子と見間違えるほどよく映えている。それを言うなら私もだよ、と困った顔を浮かべた樹にあずきが今日はナイトではなくプリンセスじゃの、と笑いかけた。

ドレスの中でもAラインドレスと呼ばれる高いウエストと裾から直線的にスカートが広がる物を身に纏った彼女はまだ髪の毛を一切弄っておらずいつも通り無造作に流しただけのものだが、それでも十分に似合っていた。ビスチェと呼ばれる胸元と肩、背中を大きく露出したネックラインの種類の中でもハートビスチェと呼ばれるその名の通り胸元をハート型に近い形のビスチェタイプの為、男性陣はどこか目のやり場に困る姿だ。腰回りに花びらをモチーフにした装飾が施され、細やかなレースが彼方此方に縫い付けられている。本当にどこかのお姫様のようだ、と佐和は恥ずかしそうに毛先を弄る樹の指先を眺めながらぼんやりと思う。

と、樹とぱちりと目が合った。強張る身体、まさか黒曜じゃあるまいし自分の心の内を見透かされることは無いはずだが、矢張り視線が彷徨ってしまう。これでは邪な思いを抱えているという事がバレバレではないか、という彼の心境など知らずに樹はじっと佐和の姿を頭の天辺から爪先まで眺めた。雛瀬と比べれば多少シンプルだが、厚手の生地を使用した煌びやかな衣装。うーん、と首を傾げた樹は佐和先輩、と不意に彼の名前を呼びその手を掴んだ。若干心此処にあらず状態であった佐和はびくりと肩を震わせ、えっ何、と動揺を含んだ声を漏らす。

「ちょっとだけいいですか、」
「ちょっとだけってえ、何。編入生ちゃん何するつもり?」
「衣装の事でちょっと。雛瀬くん、佐和先輩借りていい?」
「撮影までに間に合えば俺達は全然大丈夫だよ」
「じゃあ借りてくね」
「グットラック佐和!僕たちは待機場所で待っているよ!」

彼を抜いてとんとん拍子で話が進んでいく。佐和は完全に置いてけぼりだ。そうしている間にも彼女に手を引かれやって来たのは撮影場所である舞台の裏、簡易的な控室と化しているスペースだった。撮影寸前の化粧直しの為にと並べられた化粧道具や照明が並べられる中、椅子を引いて座るように促された彼はどうにでもなれの心持で椅子に腰かける。

「で、何する気なの樹」
「髪の毛を括りたいなって」
「髪?」

佐和は徐に首元から流した己の藍色の髪を摘まみ上げる。化粧道具の中からブラシと髪紐を発掘した彼女が彼の後ろに立って髪にブラシを通し始めた。佐和さんの衣装、襟が高いでしょう?とその衣装にブラシの先が触れないように注意を払って髪に触れる樹の指先が酷く繊細で、どこかこそばゆくて佐和は肩を揺らす。

「だから首周りがちょっとスマートじゃないなって思いまして。括ってみたら首周りがすっきりするし、男性が髪の毛結んでるのって西洋貴族っぽくありません?」

首元に流した髪も全て拾い上げて丁寧にブラシを通した彼女は慣れた手つきで髪紐を結い始める。しゅる、と音がしてはい出来ましたよ、という樹の言葉で彼は椅子を立った。彼女に正面を向くように促され、また再び頭から足先までじっくりと眺められた彼は恥ずかしさの余りきゅっと口を結ぶ。

「……うん、さっきよりずっとすっきりしました。すごくお似合いですよ」
「ほんと?」
「はい。今回は歌劇団設定で、先輩は貴族役でしたっけ。でも、貴族なんかじゃなくて本物の王子様みたいです」

にこにこと笑う目の前の彼女に佐和はそれはもう盛大に溜息をつく。えっ、とびくりと身体を揺らして伺うような視線を向けた樹の手を徐に取ると、素肌のままの甲に唇を寄せた。ふるりと薄い掌が震える。どう、王子様っぽい、と揶揄うような口調で彼女を見上げた佐和は固まる。そして、樹も固まっていた。顔全体はおろか首元、耳までその朱を広がらせる形で。

っ、と息を漏らした樹は居たたまれないとばかりに視線を逸らす。それさえも佐和にとっては心の音を早める要因にしかならない。ああもう、と絞り出したような声で彼は彼女の手を掻っ攫うと部屋の片隅、大きな垂れ幕が掛かった所へと誘導する。先程とは完全に立場が逆になってしまった樹はえ、え?と戸惑いつつ出来る事は纏うドレスの裾を汚さないようにするだけだ。完全に幕の裏側へ樹が隠れた瞬間、佐和の影が覆いかぶさる。

「!」
んん、というくぐもった声。押し付けられた熱くて柔らかいそれの名前を樹はもう知っているし、同じ個所で触れるのも初めてではない。ただ、こんな性急に唇を押し付けられたのは彼と秘密裏に付き合いだしてから初めてではないだろうか。その事実とこんな誰が何時来るかも分からない場所でこんな事。ぐっと胸板を押すが、衣装を傷つけないようにと注意を払っているのが仇となり大した抵抗にはなっていない。

「やだ」
「佐和さん、でも!こんな所、誰が来るか」
「隠れてるから大丈夫だって。騒いでると逆に勘付かれるぞー」

全くもって大丈夫ではない、という抗議は矢張り彼の口付けで飲み込まれる。遠くに喧騒が聞こえる、誰が何時来てもおかしくない状況と樹を求める佐和の瞳の熱に眩暈がすると同時に背徳感が背中を駆けあがる。啄むようなキスがくすぐったくて、声を顰めたくても小さく声が漏れてしまう。重ねた唇の間からふ、と息が零れて、必死に声を堪えようと奮闘する表情が更に彼の熱を煽った。

「かわいい、」
「さわさ、ちょ、」
「すっごいかわいい。本当に、お姫様みたいだ」

ちゅう、と音を立てて漸く離れた唇と共に紡がれた音に樹の心臓はぎゅっと締め付けられる。そんな、そんな、ずるい。本当にいとおしいものを見つめる優しい瞳を、嘗ては幼馴染のあの子だけに注いでいた瞳を、自分に向けられている事実に樹は息が止まりそうだった。一度は諦めたものが、叶わないと手を引いたものが、私に向けられている。彼の熱量が注ぎ込まれて容量を超えて溢れ出す。この感情の激流は樹の手に余るもので、どう扱ってよいのか分からない。

好き。好きだ。大好きだ。
佐和さんが好き。貴方への想いと、貴方が私に向けてくれる想いだけでどうにかなってしまいそうなくらいに、好き。

ドレスの裾に隠れたヒールが地面を離れた。今度は佐和が目を見開く番で、口元に重ねられた熱は間違いなく樹が自分から動いてもたらされた物。ああ、可愛い。可愛い、愛おしい。そんな単語が彼の頭を埋め尽くして、重ねられた熱はそのままに樹の腰を引き寄せて抱き締めた。ちょっと苦しそうな声にごめんな、と心中で謝罪をするが唇は重ねたまま。

今まで佐和にとって一番大事な存在は幼馴染の巴で、続いて同じく幼馴染の陽人とエメカレのメンバーといった面々が彼の世界を構築していると言っても過言では無かった。次点における存在に新しく誰かが加わる事はあっても、巴と同じくらい大事な存在はきっと現れないと心のどこかで佐和は思っていたのに。今ではすっかり腕の中の彼女が巴の隣に並んでいる。本当はそれさえも自分の「傷つけた分守ってやりたい」というエゴで終わると思っていたのに、心惹かれた彼女と結ばれるなんて微塵も思っていなくて。今でも時折、樹と恋仲であるのが夢なんじゃないかと思ってしまう。今でも、重なる熱さえなければ自分の都合の良い夢だと錯覚しそうだ。

でも、夢じゃ無い。彼女から重ねてくれた唇も、形容し難い蕩けるような表情で自分を見上げる樹の姿も、彼女が泣きじゃくりながら好きだと告げた夕暮れ時のあの日の事も。自分の心に寄り添って、痛みも苦しみも全て分かち合える彼女が、自分が嫌という程傷つけてしまった彼女が、自分のものであるという夢物語のようなそれも、全て、全て現実なのだ。

「いつき、」
「っは、さわさ……?」
「すきだよ、いつき。大好きだ」
「……わたしも、好きです。佐和さんが、だいすき」

好きすぎて、どうにかなってしまいそうな位。
キスで蕩け切った顔と最高級の殺し文句に佐和は喉を鳴らす反面、これだから俺の彼女はと頭を抱える。自分の言動がどれだけの破壊力を持っているのか自覚が無いのだ。分かっていてやるより、自覚がない方がずっとずっと質が悪い。煽られた欲のまま佐和は乱雑に唇を奪って、ちゅうと音を立てる。遠くで足音と喧騒が近づいてくるのがわかったがそんなことはお構いなしにちろりと唇を舐めて、耳元に唇を寄せる。
「口、ちょっとだけでいいから開けて」

脳の思考回路まで蕩け切った樹に反抗の術はない。薄く開けられた小さな唇に舌を這わせた。まだ、もう少しだけ愛しい愛しい彼女を味わっていたいから、近づく仲間の気配に気づかないでくれ、と願いを込めて、佐和は己の持ち得る限りの愛の言葉と共に樹の唇をまた、塞いだ。

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