プリムラを食む

指先から弾かれるように感じた電流に肩を跳ねさせて思わず手を引っ込めてしまった。……それから、深い深い溜息となんでえ、という弱音。もうかれこれ幾数回チャレンジを試みているが全く魔力のパスが繋がらないこの状況に泣きそうになる。幾ら何でも彼が単独行動スキル持ちとはいえ、もうそろそろ限界が近い筈だ。目の前に胡坐を掻く彼の存在が揺らぎ始めているのは魔力の欠乏以外に他ならない。

「……無理にレイシフトしたのが不味ったかもしれませんねえ。なんせコタロウと違って俺はアンタとの縁だけを頼りに飛んできたから」

髪を片手で乱雑にかき混ぜた彼は不意に開け放たれたままの窓の外へと視線を投げたアーチャーに曖昧に相槌を打つ。突然倒れた後輩であり同僚である立香に触れた瞬間意識が途切れ、気付いたらカルデアの無機質な天井では無く鷹が翼を目いっぱいに広げて飛んでいくような澄み渡った空。傍らに立香が居た事、そして以前の微小特異点で知り合った女性の宮本武蔵が偶然近くにいた事が何よりの救いであった。何が起きているのか分からない状況の中、サーヴァントが居ないマスターなんて丸腰も同然、なんやかんやあって史実と異なる点として訪れた下総国の士気の城下町にてカルデアからレイシフトしてきた風魔小太郎とロビンフッドを拾って現在に至る。
お互い魔力切れに近い症状を起こして路地裏に倒れていた所を介抱して、此方で知り合った玉藻の前によく似たおたまさんに無理なお願い……いやいや、ご厚意に甘えて部屋をお借りしたのはいいが小太郎と立香は直ぐにパスを繋いだにも関わらず私とアーチャー……ロビンフッドとだけ何故かパスが上手く繋がらなくて結局この部屋に留守番となってしまった。「優先すべきはパスが繋がらない理由を解明してちゃんと魔力を供給する事ですから」と武蔵と一緒に外へと情報収集しに行った後輩に申し訳が立たなくて頭を抱える蒼織は、傍らに敷かれた布団で安らかに眠る小太郎を見て彼だけが安全にレイシフト出来るって言われたんだっけ、と呟いた。

「ダウィンチ女史が言うには、だけどな。生前の時代とは違う見たいだがそれだけの因果律が此処にあるって事なんだろうよ。俺はさっきも言った通り、直接契約しているサーヴァントっていう繋がりだけが頼りだったからな。言わば賭け、ギャンブルだ。無理にレイシフトした代償がこれなのかもしれませんねえ」
「同じ日本鯖なら天草は?」
「天草の奴は駄目だった。真っ先に試してみたがアメリカの時と同じで弾かれる」
「つまりここには天草が召喚されてる………?」
「かもな。まあそんな与太話は二の次ですぜマスター。どうするよ」

アンタは此処で黙って俺が座に還るのを見届ける様な奴じゃ無いだろ?そう目を細めた相棒に当然だと即首を縦に振った。最初の召喚に応じてくれたこのアーチャーを失うなんて考えたくもない。寧ろここで自分が気張らなければ蜘蛛の糸を辿る様な危険な工程を冒してまで此方へ来てくれたロビンフッドに申し訳が立たないのだ。
…………正式契約を交わしている、つまり他の英霊の面々とは違いカルデアの電力に一切頼らず蒼織の魔力のみが命綱の筈のロビンフッドがこれだけパスを弾くという事は彼の内側に原因があるのかもしれない。魔力が切れてアーチャーのクラススキルである単独行動のみでの現界を果たしているのならば、自分の魔力をもう一度身体に無理にでも馴染ませればパスが繋がりやすくなるかも、しれない。もう一度契約を結び直す事も考えたが、右手の甲に浮かんだ令呪は色が薄くなり始めているもののまだ健在だ。ロビンも契約が完全に切れた訳じゃないと言っているし、ギリギリ首の皮一枚で繋がっているのだろう。ならば、だ。

ふう、と吐き出した息を直後に吸い上げて天井を仰ぐ。音を立てて両頬を掌で叩くようにして気合を入れた。頑張れ私、負けるな私。ロビンを失う以上に失いたくないものなんて、今の私には無いんだから、と。

「……ロビン。ちょっとこっち」
「はい?」
「……説教なら後で受けるから。今は許して」
「何のはな、」

し、が音になる前に素早く片手で肩を、もう片手で頬を固定した彼女はその半開きの唇を閉ざすように己の唇を押し付けた。んん!?とくぐもった彼の驚いたような声が聞こえて、瞑った目を少し開けば真ん丸の翡翠の瞳と視線がかち合ってしまって慌てて瞼を落とした。……マスターとはいえただの小娘である蒼織が英霊であり男であり、適う訳がないロビンフッドにイニシアチブを取れたのは単に体制と不意打ちと言う名の勢いだけであって、それが長時間続く訳でも無い。そもそもこういう色恋沙汰方面に疎い彼女のキスは、幼子の戯れのように拙くて初々しい物であった。

「……ヘタクソですねえ、マスター」
「う、う、うるさいな!こちとら高卒直ぐにカルデアに来て付き合った経験も何も無いんだからね!?その割には頑張った方だと思うんだけど!?」
「シッ、声が大きい。コタロウが起きちまうでしょうが」

唇を離して開口一番文句を告げてくるアーチャーにただでさえ熱い頬のみならず全身が芯からボッと滾る様に熱を持つ。目元がにやにやと笑っているので揶揄っているのは間違いない、目は口程に物を言うとはこの事か。ロビンは好きな事にナンパを並べ連ねてくるぐらいだからさぞ経験がおありなのかもしれないがこっちは経験どころか男と交際した経験すらないというのに!揶揄われた怒りと羞恥で頭がぐちゃぐちゃになっている蒼織に腕を伸ばした男は後頭部に手を添えると自分側へと引き寄せてくる。わ、と彼女が彼の両肩に捕まった事と額同士が合わさった事でそれは止まるが、至近距離で合わさった瞳に石のように固まってしまう。さっきも相当恥ずかしかったが、今はそれ以上に恥ずかしい。頬から火が噴き出るという例えは本当だったのかと思う位に真っ赤になってしまうのは、きっと、ロビンフッドの瞳が先程とは全然違うからだ。驚いたようでも、揶揄うようでも。慣れ親しんだ呆れや苦労が滲んだものでも、見守る様なそれでもない。もっと、蒼織自身を射抜くような、男の目だったからだ。

「いいですマスター、魔力供給が目的ならこんな子供騙しのキスじゃあ意味がねえ。……直接の魔力供給がどういうことなのかは分かってるよな?」
「……た、体液での供給……」
「分かってるなら良し。……ま、じゃあハジメテって奴がこんな過去の幻影のロクデナシってのもアレかもしれませんがそれは互いに緊急事態って事で、」

我慢してくれ。
労わる様な、申し訳なさそうな声と共に再度唇が塞がれる。びくりと肩が跳ねて咄嗟に押し返そうとしたが後頭部をがっちりホールドされているので抵抗すら出来ない。いや、抵抗してはいけないのだが。先程のただ重ね合わせるだけの幼稚なキスとは全く違う。相手の唇を食むように重ねて、角度を変えてを繰り返して。息が苦しくなってきた頃合いに伸ばされた舌の先が唇の合わせ目をつつくのだ。んん、と眉を顰めてどうしたらいいのか分からずにいるとほんの一瞬だけ離したロビンが小さく呟く。「マスター、ちょい口開けろ」、と。……掠れた低い声に肌が粟立つ。一気に背徳感が押し寄せてひ、と喉が震えた。それに伴い半開きになった唇へここぞとばかりに彼は再び唇を重ね合わせると、その隙間から舌を這わせた。思わず咄嗟に歯を合わせてしまいそうになったが噛み千切らんとした舌がぬるりと上の歯茎をなぞった事からそれは止まる。感じたのは小さな快感で、それに戸惑った瞬間に完全に主導権を握られてしまった。……正直その後の事は殆ど覚えていない、というより口内を蹂躙される度に押し寄せる快感で一杯一杯で。漸く離された唇と共に彼の胸の中になだれ込むように倒れてしまった。視界の隅で彼の喉仏が上下するのを朦朧とした頭の中で色っぽい、という感情だけが浮かぶ。

「マスター、バテるにはちょい早いですぜ。アンタの魔力を体内に取り入れたんだ、今ならちゃんとパスも繋がるかもしれねえ。やる事は分かってますよねえ?」
「わ、分かってるよ……!」

アーチャーに促されてもう一度掴んだ肩に力を籠める。手の内に灯った青い光は彼に吸い込まれるように溶けていき、直後手ごたえがあった。今度は弾かれる事無く正常に繋がっており、不安定になりかけていたロビンフッドの存在証明も安定している。今度こそほっと息をついて彼の腕の中になだれ込んだ。……取り合えず、目の前の危機は脱した。そういう事だ。

「……お疲れさん、マスター。取り合えずこのまま一度休んだらどうです?疲れたって顔に書いてありますしねえ」
「うるさいよ……そうする。小太郎をそのままにしてどこかに行く訳にもいかないしね。適当なタイミングで起こして。交代しよう」

それまで見張り宜しく。
そう告げると腰を上げて壁の近くまで歩み寄ると凭れ掛かるようにして座り瞼を閉じた。悲しきかな、長く戦い続けてきた彼女に根付いてしまった癖の一つがあれなのだとロビンフッドは知っている。何かあった時に直ぐに対応できるように完全に横になって眠るのはカルデアに居る時か余程安全が確保されている時程度だ。そしてさらりと基本睡眠を必要としないサーヴァントたる自分に対して休憩を当たり前のように提案してくるのだ。「人類最後のマスター」の片割れとして戦い続けて一年と少し経っても尚変わらないその姿勢に苦笑めいたものを漏らす。

「……なーんでこうなっちまったんでしょうねえ」

緑衣のアーチャーは小さく零す。高い素質を持てども教養を持たぬ一般人も同然の彼女が戦い続けている事に対してと、我が主が全幅の信頼の裏側に隠した情を気付いていての言葉であった。……その感情は、抱いても空しいだけの物だ。所詮影法師でしかない自分に向けていい情ではない。だから彼は見て見ぬふりをしてきたのにこの騒ぎの始末だ。その情が色濃くなってしまうかもしれないと思うと零れ落ちる溜息は深さを増す。……契約が満了して座に還れば諦めざるを得ないものだろうが、どうしてか彼にはその座に還る日が遠くに思えたのだった。

「考えても仕方がない、か」

窓辺へと移動して懐から愛用の煙草を一本とジッポーライターを取り出した彼は、ジュッと音を立てて先端に火を付けて咥えた。ゆらゆらと煙が燻ぶって青空へと溶けていく様をぼんやりと眺めるが、特異な力を持たずに英霊の座へと迎え入れられた青年には何かが見える訳でも無く。自嘲気味に鼻で笑った緑の王は、その煙をふうと吐き出すのだった。

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