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思考はふわふわ、どぼーん

 とうとう来てしまいました。この時が。
 私の家に二宮匡貴がいる。それだけで緊張感が半端じゃない。我が家にソファなんて洒落たものは存在しないから、彼は安っぽいラグマットの上に胡坐をかいて座っていて、私が淹れた特別美味しくもないであろうコーヒーを啜っている。恐らく、ふーふーと冷ますことなく口をつけたのだろう。少し飲んだ直後「熱い」って反応をしていた。声は出さなかったけど、ビクって震えてたもん。
 ちなみに私はというと、彼の隣に少し距離をおいて正座で座っている。何もやることがないから手持ち無沙汰なのだ。焼肉を食べた後だからお互いにお腹はいっぱいだし、あとはお風呂に入って寝るという作業しか残っていない。そう、私は彼を自分の家の簡素なお風呂に入るよう勧めなければならないのだ。これは難易度の高いミッションである。

「何も飲まないのか」
「なんか…お腹いっぱいで」
「さっきもそれほど食べていたわけじゃないだろう」
「そうなんだけど…少食になったのかな?」
「体調が悪いようなら今日は帰るが」
「大丈夫! 元気! 今ならラーメン三杯ぐらい食べられちゃうかもってぐらい元気!」
「…腹いっぱいなんじゃなかったのか」

 彼は非常に怪訝そうな顔をしながらも、今度はきちんとふーふーと控え目に息を吹きかけてから、コーヒーに口をつけた。無駄に色々なことを考えすぎているせいで、いつものような会話をすることができない。そもそも、今まで彼と二人きりで長時間過ごすということはほとんどなかったから、間が持たないのだ。
 「コーヒー口にあう?」とか「今日の夜って面白いテレビ番組あったっけ?」とか「いつも何時ぐらいに寝るの?」とか、そういうどうでもいい内容でいいから、彼とは何かしらの会話を続けておきたい。今みたいにシーンとしてしまったら、自分の家なのにもの凄く居た堪れない気持ちになってしまう。
 彼は相変わらず表情を変えることなく時々私の部屋に視線をやってはコーヒーを啜っていて、何を見られているのだろうかとドキドキする。見られて困るものは何もないはずだけれど、彼にとっては不愉快なものがあるかもしれない。

「何か変なものでもあった?」
「いや。ただ物珍しいだけだ」
「物珍しい?」
「……女の部屋なんてそうそう入るもんじゃないだろう」

 そう言ってまたコーヒーを飲んだ彼は、そういえば私の家に来てからというもの、こちらに顔を向けてくれていなかった。ゆえに、目も合わない。私もちらちらと彼の横顔を眺めるばかりだから人のことは言えないけれど、彼がそわそわしている感じなのはとても新鮮だった。
 彼は今までどんな女の子の部屋を見てきたのだろう。私の部屋はお世辞にも女の子らしいとは言えないから、過去の女の子達と比べられるとちょっと悲しいなあと思う。ピンク色のものが溢れているわけでも、ぬいぐるみがいっぱいあるわけでもない。もっと言うなら、これから着る予定のパジャマだって可愛いネグリジェとは程遠い。
 事前に彼が今日泊まりに来ると分かっていれば、少しセクシーな…のは無理だとしても、可愛らしくて女の子らしい寝間着を用意しておくことができたかもしれないけれど、完全にノープランでお泊まりの流れになってしまったのだからどうしようもない。せめて下着だけは一番可愛いものをつけようとは思っているけれど、それが彼好みかも分からないから不安は払拭できそうになかった。

「風呂は」
「どうぞ!」
「いや、お前は入ったのか」
「まだだけど、こういう時はお客様から入るのがセオリーでしょ」
「……そうか」
「タオル出してあるから使ってね」
「分かった」

 こちらから切り出す前に彼の方からお風呂の話題を振ってくれて助かった。お陰で私は(恐らく)自然な流れで、彼をお風呂に誘導するというミッションをクリアすることに成功した。
 彼が立ち上がってお風呂場のドアを閉めたところで、ふぅ、と息を吐く。彼と一緒にいてこんなに緊張したことはないと思う。というか、今までの人生の中で一番緊張していると言っても過言ではないかもしれない。それぐらい息が詰まりそうだった。
 きっと全てが初めてだから、こんな風にガッチガチになってしまうのだ。彼が初めてうちに来た。そして初めてのお泊まり。それから恐らく、初めての、セックス。…をすることになる、のだと思う。
 しかし、と。私は彼が先ほど使っていたマグカップを洗いながら考える。彼は私に「考えさせてくれ」と言ったきり、その手の話題には何も触れてきていない。先ほど焼肉屋さんで会話をした時だって、その部分にはノータッチだった。賢い彼のことだ。私との会話を忘れているわけではないだろう。
 ということは、だ。彼はその手の話題を意図的に避けている。それはつまり、彼の中でまだ踏ん切りがついていないということではないだろうか。
 えっ、待って。じゃあ彼はうちに泊まりに来たけど、もしかしてそういうつもりはないかもしれないってこと? いやそんなまさか。健全な成人男性が彼女の家に来て何もしないなんてあるわけ……いや、彼なら十分有り得る。

「私が期待しすぎてるだけだったりして」

 ぽつり。虚しく落とされた独り言は、水道水とともに排水溝に流れていった。蛇口を捻って水を止める。はあ。彼とのステップアップは本当に難しい。
 でもまだ、彼に全くその気がないと決まったわけではない。そうだ。落ち込むには早すぎる。私はドアの向こうのシャワーの音を聞きながら、彼がお風呂から出てくるのを大人しく待つことにした。

◇ ◇ ◇


 男性のお風呂の所要平均時間とは一体どれぐらいなのだろうか。私は時計に視線を向けて首を傾げる。
 彼がお風呂に入ってかれこれ三十分以上が経過していた。シャワーの音は止まっているから湯船に浸かっているのだろうとは思うけれど、浴室から出てきた気配はいまだに感じられない。
 彼は長風呂派なのだろうか。うちの狭い浴槽でリラックスしていただけるのは有難いことだけれど、あまりにも長いと溺れたりのぼせたりしていないだろうかと心配になってくる。
 でもまあ、彼はあのボーダーに所属するB級一位の隊長なわけだし。そんなマヌケなことがあるわけない。うん。きっと今日の疲れをお風呂で癒しているんだろう。だとすれば、どうぞごゆっくりお寛ぎくださいって感じだ。
 しかし、さすがにそれから十分少々が経過しても物音ひとつ聞こえてこないと、何かあったのではないかと不安になってくる。
 まさか寝てるとか? お風呂の中で寝たら溺死するとか聞いたことあるけど、さすがにないよね?
 あまりにも心配になってきた私は、お風呂場のドアを開けて彼がいないことを確認してからそっと中に入ると、控えめに浴室にいるであろう彼に声をかけた。

「二宮くん? 大丈夫?」

 返事がない。と思ったら、ざばぁっと、恐らく湯船から立ち上がったのであろう音が聞こえて、溺死していないことだけは分かった。返事はなかったけど、もしかしてうとうとしてたのかな? とりあえず安否が確認できたから退散しよう。
 そう思って私が浴室に背中を向けたのと、浴室のドアが開くのは、ほぼ同時だった。え。何このタイミング。
 背後に人の気配がする。つまり今の状況は、振り返ったら間違いなく全裸の彼がいるということだろう。

「ごごごめん! すぐ出るから!」
「……ああ」

 いやいや二宮くん「ああ」じゃないよ。何冷静に返事してんの。のぼせて頭おかしくなっちゃったんじゃないの。今自分、私に全裸姿を見られちゃうかもしれない危機なんだよ? そりゃ後からお互い曝け出すことになるかもしれないけど、それとこれとは話が別でしょ!
 一人で焦りまくってお風呂場を出て、ドアをバタンと勢いよく閉める。なんで私だけがこんなにドギマギしなきゃいけないんだ。こんなんじゃ夜が思いやられる。
 別に彼の裸体を目にしたわけでもないというのに、突然のハプニングによって頭の中も心臓もぐちゃぐちゃ。そんな私をよそに、呑気にもブォーンというドライヤーの音が聞こえてくるものだから、彼の思考回路はサッパリ読めないなと頭を抱えることしかできないのだった。