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これぞまさに、青天の霹靂

「二宮くん、あの、話するんじゃ…」
「そうだ。だからこうして席を設けている」
「なんで焼肉……」
「焼肉の気分だったんだろう」

 確かに私はあの時、苦し紛れにそんなことを言ったけれども。まさかあの発言を本気だと捉えて焼肉屋さんに連れて来てくれるなんて思わないじゃないか。嬉しいけど。焼肉好きだけど。彼は変なところで鈍いというか、天然だ。
 お揃いのジンジャーエールのジョッキを前に注文したお肉が届くのを待つ時間は、まるで格上の人型ネイバーを前に丸腰で立たされた、みたいな感覚だった。つまりは死刑執行を待つ死刑囚と同じ心境である。死刑囚になったことはないけれど、たぶん「自分の命はここで潰えるのか」という絶望感は同じだろう。
 別に、そこまで深刻な状況ではないはずなのだ。出水くんにうっかり私が処女だってことがバレてしまって、ついでに二宮さんと初体験を済ませたという誤情報を与えてしまったという、めちゃくちゃ恥ずかしい失態を犯しました、という、ただそれだけのこと。いや、それだけ、という表現ができるほど軽い失態ではないのだけれど。
 こういうデリケートな話は、できるだけ他人に口外したくない。出水くんは口外するような子じゃないと思うし、あんなにテンパってわたわたしていた私が全面的に事態を拗らせた原因だと、反省はしている。もっと落ち着いて、それこそ二宮くんみたいにポーカーフェイスを貫き通せたら良かったとも思う。けれど、全ては後の祭りだ。

「出水と何かあったのか」
「それが…えーっと…」

 お肉が届いて、それを網にのせながらさらりと本題を振ってくる彼に倣って、私も事の次第を正直に、さらりと話す。半個室になっているとはいえ、ボーダー本部からほど近いこのお店にはボーダー隊員達がよく訪れるから、できるだけ声のボリュームは下げた。こんな話、赤の他人にだって聞かれたくない。
 太刀川くんの失言も含めて全てを話し終えた後、「そんな大したことじゃないのに騒いじゃってごめんね! お肉食べよっか!」と場の空気を朗らかにさせようとした私に、彼は生肉専用トングを持ったまま固まっており、何の返事もしてくれなかった。とても虚しい。空回りだ。
 じゅうじゅうとお肉が焼ける美味しそうな音だけが聞こえる。焦げないように細心の注意を払って引っ繰り返し、無言の彼に「お肉焼けたよー食べるよー」と、再び声をかける。と、彼は漸くトングを動かし始めた。そんなにお肉が食べたかったのか。二宮くん、焼肉好きだもんね。なんて悠長に和やかな気持ちになったのは数秒のこと。彼が口を開くと、その空気は一瞬でぴりりとしたものに変化する。

「太刀川と出水は勘違いしたままということか」
「え、あ、うん、そうだね、そうだけど、そこはまあ…当たらず障らずでいいかなって…」
「出水はともかくとして、太刀川が信用ならんのはよく分かっただろう」
「それはもう痛いほど」
「……まあ、言い振らされて困ることでもないが」
「えっ」

 私は口に運ぼうとしていたお肉をぽろりと落としてしまった。ぺしゃ、と焼肉のタレの海に逆戻りしたお肉のせいで、タレが飛び散って机が汚れる。服はぎりぎりセーフ。良かった。…じゃなくて。
 言い振らされて困ることでもない? 何が? さっきの、私が必死に隠そうとしていた情報を? いやいや困るでしょ。困るっていうか嫌でしょ。そんなプライベートすぎる話を言い振らされるのは。二宮くん、そういうので突かれるの絶対嫌いなはずじゃん。どうしちゃったの。
 衝撃発言によっていまだにぽかんとしている私に「肉が焦げるぞ」と声をかけ淡々と食事を続ける彼は、どういう心境なのだろう。元々感情が読み取れない人だったが、今日ほど理解できなかったことはないかもしれない。

「言い触らされたら困るよ私は。しょ、処女とか…二宮くんと済ませたとか…」
「済ませたなら処女じゃないだろう」
「そういうことじゃなくて! 私達の肉体関係のあれやこれやについて色んな人に知られるのは嫌でしょってこと!」
「なまえ、声が大きいぞ」
「……ごめん」

 元はと言えば彼が突拍子もない発言をしたせいでボルテージが上がってしまったのだから、冷静に注意されると余計に腹が立つ。しかし、私は非常に不服ながらも、大人しく小さな声で謝り、気持ちを落ち着かせた。先ほど落としてしまった肉を口の中に放り込み咀嚼。ちょっとタレが纏わり付きすぎて辛い。けど美味しい。
 頼んだお肉を丁寧に焼いては食べ、焼いては食べを繰り返すこと三十分弱。彼との食事中は私が話しかけない限り無言のことが多いけれど、今日も例に違わず無言で肉を貪り続けた。これも一応デートとして分類されるのならば、こんなデートは非常に盛り上がらないよなあと他人事のように思う。まあ私は食事に集中したいタイプだし、全然構わないのだけれど。
 お互いの箸が止まったところで、ジンジャーエールで口の中を潤したらしい彼が「帰るか」と言った。あの話はもう終わりらしい。まあここで何を話したところで対策の立てようもないし、そもそも私と二宮くんは恋人関係なのだから、もし色々なことがバレてしまったとしても問題はない。気持ち的に居た堪れなさはあるけれど。
 ごく自然な流れで彼が会計を済ませ、店を出る。半分は払うと言うのに半分以下のお金しか受け取ってくれないのは付き合い始めた当初からだ。(私が押し付けるから)全く受け取ってくれないということはほとんどないのだけれど、自分の方が多く食べているからという理由で、半額以上は受け取らないと決めているらしい。面倒臭くなるぐらい律儀な性格をしている人だ。
 焼肉屋さんから、私が一人暮らしをしているアパートまでの道のりを歩く。彼と私の住むアパートはわりと近い位置にあって、歩いても五分少々だ。だから送ってもらうのにもそこまで気兼ねすることはない。

「明日、本部で仕事はあるのか」
「土曜日だからそんなに急いで行かなきゃいけないってことはないかな…二宮くんは?」
「夕方からだ」
「そっか。じゃあちょっとゆっくりできるね」
「……ああ」

 沈黙。でも私達の会話は大体こんな感じだから、気まずさはない。ただ、今日は彼の足取りがやや遅いような気がして違和感を覚えた。
 焼肉屋さんでの会話を振り返って、何か考え事をしているのかもしれない。二宮くん、ちょっと変なこと口走ってたもんね。どうかしてたなって反省してるところなのかも。考え事をしている時の彼は、こちらがいくら話しかけてもきちんと返事をしてくれない。だから私は、ぼんやりと見慣れた街並みを眺めながら歩くことしかできなかった。

「なまえ」
「うん? 何?」
「今日、泊まりに行ってもいいか」
「えっ!? は? な、なんで急に……!?」
「急じゃない。ずっと考えていた」

 ずっと考え事をしていることには気付いていたけれど、まさか泊まりに行こうかどうしようか迷っていたのだろうか。だとしたら、並大抵の覚悟で泊まりに来ようとしているわけではないような気がする。もしかして、保留になっているあれを実行しようとしているとか…?
 そんなことを考えると、私の対応も俄然違ってくる。部屋、片付いてたっけ。洗濯物干しっぱなしだからさっさと取り込まなくちゃ。ベッドシーツ、洗濯しとけばよかった。来客用の布団があるからそっちで寝てもらえば…いやでも一緒に…寝るかも…しれないし…

「いいのか。悪いのか。はっきりしろ」
「い、いい! よ! どうぞ! いくらでも!」
「分かった。じゃあ支度ができたらそっちに行く」
「うんっ」

 付き合い始めて三ヶ月以上。初めてのお泊まりだというのに、彼は淡々としていた。けれども、私をアパートの前まで送り届けてくれて別れた直後、電柱にぶつかりそうになっていたところを見ると、意外と彼も動揺しているのかもしれない。あの大きな身体でポーカーフェイスを貫きながら電柱にぶつかりそうになって焦っている彼を、正面から見たかった。…などと、悠長に彼の背中を見つめている場合ではない。私は慌てて家に帰ると、部屋と洗濯物の片づけを急ピッチで進めた。
 みょうじなまえ、今日、彼に処女を奪われるかもしれません。