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沈みたいのか浮きたいのか

 浴室に入ってどれぐらいが経過したのだろう。どこをどう洗ったのかもよく覚えていない。もはや洗い残しさえなければ何でも良いや、と投げやりな気持ちになっているのは、これからのことで頭がいっぱいになっているせいだ。
 湯船に浸かって、ここを出てからの自分の動きを真剣にシミュレーションする。彼には既に私が処女だということはバレているから、そこは気が楽だ。しかし、だからと言って彼に全てを丸投げしようとは思っていない。
 所謂、マグロというやつにはなりたくないと思っている。かと言って、無駄によく分からない動きをしたら彼に引かれてしまうだろう。上手に可愛い女の子を演じたい。演じたい、というか、彼に少しでも「お前が彼女で良かった」と感じてもらうために、私にできることなら何でもしたい、というか。兎に角、私は彼にがっかりされたくないのだった。

「はぁ……」

 私は先ほどから、溜息を吐いては洗いすぎだろと言いたくなるぐらい顔に何度もお湯を浴びせていた。待たせすぎるのはよくないと思い脱出を試みては「いやでも待てよ」と引き返すことを繰り返しているせいで、結局かなりの時間、彼を待たせてしまっている。いい加減、本当に出なければならない。
 私はザバァと湯船から出ると、漸く浴室から脱衣所へと足を踏み入れた。さすがに浸かりすぎたのか、頭がぼーっとする。
 身体を拭いている間もずっと頭がクラクラしていることから考えると、どうやらのぼせてしまったらしい。適当に拭いて服を着たら水を飲みに行こう。そう思っていた矢先に、視界がぐらりと揺れた。
 あ、やばい。…と思った直後、私は派手な音を立てて見事に倒れてしまった。情けない。何をやってるんだ。しかし、悠長に倒れたまま自分を責めている場合ではなかった。彼が音を聞きつけて脱衣所の扉を開けて入ってきたからである。
 当たり前のことながら、まだ身体を拭いている途中だった私は素っ裸。隠す余裕もなかったから、彼の目には無様に床に倒れた憐れな裸体の女の姿が映っていることだろう。
 まさかベッドの上ではなくこんなところで彼に裸を見られることになろうとは思わなかった。穴があったら入りたい。しかし、今はそんなことよりも早くこの曝け出された身体を隠さなければ。私はぼーっとしながらも何とかタオルで身体を覆った。
 そこへ、立ち尽くしていた彼が駆け寄ってくる。私の身体をバッチリ見たはずなのに、彼の表情はいつもと全く変わらない。

「頭は打ってないか?」
「痛くないからたぶん大丈夫……」
「随分長く入っていたからな。のぼせたんだろう」
「ごめん…少し放置してもらえたら復活するから」
「水を持ってくる」
「ありがとう」

 冷静沈着。彼の行動は誰がどう見たって正しい。けれど私は、彼に少しぐらい動揺してほしかった。
 私の裸を見ても、彼は何とも思わないのか。そんなことを考えると、一気に身体の熱が冷めていく。もっとも、それは感覚だけで実際に火照った身体が冷めたわけではないのだけれど。
 ゆっくりと身体を起こしていると、彼がコップに入れた水を持ってきてくれた。「飲めるか?」と労ってくれる優しさは嬉しいけれど、それをどこか不満に思っている自分がいる。こんなの、我儘以外の何ものでもない。

「気分が悪いのか」
「ううん。大丈夫だから、リビングで待ってて」
「……それはできない」

 彼はやや小さめの声で呟くなり、私が水を飲み干したコップを床に置いたのを見て近付いてきたかと思うと、私の身体を抱きかかえた。所謂お姫様抱っこというやつである。
 「重いから降ろして!」とか「急に何するの!」とか、言わなければならないことは沢山あるはずなのに、言いたいことがありすぎてフリーズしてしまった私は、彼の首にしがみ付くこと以外何もできなかった。
 何がどうなってこんな夢みたいな状況に陥っているのか、全く分からない。彼の頭の中は一体どういう構造になっているのだろうか。私のような凡人では一生理解できないような気がする。
 タオルが引っかかっていたお陰で、かろうじて胸から太腿辺りにかけての部分は隠れていたけれど、勝手に入られた寝室のベッドに寝かされた衝撃でタオルがずり落ちて胸が露わになってしまった。私は慌ててタオルを引っ張り上げて身体を隠しつつ身を縮こまらせる。

「今のは見ていない」
「その言い方、さっきは見たってことだよね?」
「……あの状況では仕方がないだろう」
「そうだけどっ」
「もう気分は悪くないのか」
「ちょっとぼーっとするぐらいだから大丈夫…って、ちょっと!」

 私に背を向け、部屋を出ようとしているらしい彼を思わず呼び止めた。「なんだ?」と立ち止まった彼は、相変わらず機械的な動きをしている。

「どこ、行くの」
「着替えを持って来た方がいいだろう。脱衣所に取りに行ってくる」
「行かなくていい!」

 彼は驚きのあまり、私の方に身体を向けた。大きな声に驚いたのもあるだろうけれど、その発言自体に驚いているのだろう。
 「行かなくていい」。その言葉の真意は二つ。一つは、彼に今から身に付ける予定の下着を見られたくなかったから。そしてもう一つは、あわよくばこのままそういう状況に持ち込めないかと思ったからだ。

「ここにいてほしい」
「いても何もしてやれない」
「できるよ」
「俺にできることといったら、精々水を持ってくることぐらいだろう」

 この状況で、彼はどこまでも理性的だった。もしかしたら最初から、彼は今日の夜、私を抱く予定なんて立てていなかったのかもしれない。だから、こんなにも冷静でいられるのかもしれない。

「ちょっとぐらいドキッとしてくれても良いのに」

 彼に聞こえるか聞こえないぐらいの声の大きさで呟きを落とす。その呟きは、紛れもない本音だ。
 無様にものぼせて、素っ裸を見られた。それだけでも恥ずかしくて死にそうな出来事なのに、私の素肌に手を伸ばして抱きかかえ、ここまで運ばれてしまったのだ。
 これだけ刺激的なことがあったら、普通の男の人はもう少し取り乱すのではないだろうか。彼が普通じゃないということは分かっていたつもりだけれど、こういうところは普通であってほしかった。女として惨めになるから。

「そんな状態のお前に手を出すようなマネはしない」
「じゃあ元気になったら手出してくれるの?」
「お前がそれを望むなら」
「……意気地なし」

 私はぷいっと横を向くと、どうにかこうにか布団の中に潜り込んだ。
 私がそれを望むなら。その言い方は優しいようでいて残酷だ。私が望んでいると言ったら、彼は自分にそういう気がなくても手を出してくれるだろう。逆に私が望んでいないと言ったら、彼は自分が手を出したいと思っていても出さないだろう。私に全てを委ねる。そうすることで、彼は自分自身の選択をせずに逃げているように感じた。
 常にクールな装いの彼だって、理性を崩す瞬間はあるはずだ。その引き金を引くことができなかったのは悲しいけれど、私の力不足だと思うしかない。

「なまえ」
「リビングで時間潰してて」
「ここにいてほしいんじゃなかったのか」
「別にもういいっ」
「……体調はいいのか」
「しつこいなあ! 大丈夫だって言ってるでしょ!」
「そうか」
「だからあっちに、っ!」

 途端、布団が思いっきり剥ぐられて、またもや私の裸体が彼の眼前に曝け出されてしまった。ちょっと! なんなの!? ムラっともしない、欲情しない身体を何度も眺めたって面白くもなんともないだろうに。

「誰が意気地なしだ」
「……二宮くん」
「大切にしていると言え」
「何でもいいけど布団返して」
「お前はこっちの気も知らないで勝手なことばかり言う」

 ベッドサイドに立ったまま私を見下ろしながら淡々とした口調で責めてくる彼に負けまいと、渾身の力を振り絞って睨みつけてやる。裸だから凄んでも効力はほとんどないだろうけれど、何もしないよりはマシだ。
 彼は「こっちの気も知らないで」と言ったけれど、それは私のセリフである。お門違いもいいところだ。

「初めてなんだろう」
「確認しなくても知ってるでしょ」
「女にとって初めてというのは大切なんだろう」
「そうだよ。だから二宮くんが良いって思ってるのにっ」

 どうしてこんなにイライラしているのか、自分でもよく分からなかった。けれど、一度始まったイライラはなかなか落ち着かない。
 そんな私の頭をくしゃっと撫でた後、ベッドを背凭れにするように座り込んだ彼は、なぜか項垂れた。片手を額に当てて、完全に頭を抱えている。

「体調がよくなったなら服を着て来い」
「やだ」
「お前が服を着ないと脱がせられないだろう」
「……ん?」
「こっちにも段取りがある」

 あんなに落ち着かないと思っていたイライラが、一瞬で沈静化した。服を着ないと脱がせられない? どうせ脱ぐのに? 逆に「脱がせる手間が省けてラッキー!」とは思わないんだ?
 彼の言う段取りとやらがどんなものかは分からない。けれど、どうやら全くの望みなしというわけではなさそうで気分が上向く。
 こうなったら彼の言う通り、服と下着を身に付けて彼の前に現れてやろうじゃないか。