×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

その糸は絡まりすぎている

 非常に重苦しい空気が流れていた。覚悟はしていたし予想もできていたつもりだったけれど、それらを遥かに上回る重苦しさに息が詰まる。そりゃあデートの計画を立てるわけじゃないんだから、ハッピーるんるんお花が飛んでます、みたいな空気にしろとは言わないけれど、ここまでどんよりとしたお通夜みたいな雰囲気じゃなくても良いんじゃないだろうか。
 現状は理解しているが、私にはどうも緊張感というものが足りないらしい。これから別れ話をしようというのに、一体何を望んでいるのだろうか。我ながら、おめでたい考え方をしているなあと自嘲するしかなかった。
 彼は私の目の前で腕組みをして椅子に深く腰をかけており、見た目だけで言うならいつも通りの様子である。そう、見た目だけは。その身に纏う空気は、先ほどから言っているように途轍もなく重苦しい。まるで全身にレッドバレットを撃ち込まれたみたいだ。

「言いたいことがあるんだろう」
「う、うん」
「先に言っておくが」
「はい…」
「別れ話なら聞くつもりはないからな」
「えっ」

 私は思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。そのお陰で、私が別れ話を切り出そうとしていたことはすぐにバレてしまって、彼は非常に怪訝そうな顔をしている。いや、でも、そんな、私の考えていることがこれほど筒抜けだとは思わなかったし。今までの流れ的に別れるのは必然って感じだったし。…なんてことを言ったら彼は益々その顔を歪めるだろうから、私は大人しく口を噤んだままだ。
 それにしても、どうしてここまで私の思考が手に取るように分かるくせに、肝心なところでその能力を発揮してくれないのだろう。私が何に思い悩み、どんなことで苦しみ、どういう心境でこの場に座っているのか。聡い彼なら少し考えれば分かるだろうに。

「俺と別れるつもりだったんだな?」
「だって…そういう雰囲気だったし…」
「雰囲気?」
「二宮くんが、もうお前には愛想を尽かした、みたいな空気を醸し出してるから…」
「それはどんな空気だ」

 いやいや、そんな、大真面目な顔をして「どんな空気だ」って訊かれましても。口で説明できるような簡単なものじゃないんですよ。ていうか無自覚なの? 今この部屋に充満している空気も、全く意識することなくこんなに重たくしてるの? だとしたら怖すぎる。今後、空気で人を殺しかねない。
 なんて、冗談はさておき(半分ぐらいは本気だったけれども)、彼は私と別れるつもりがないらしい。それは嬉しいことだ。しかしそうなると、確認しておきたいことがある。ずばり、彼は私のことが本当に好きなのかということだ。
 自分の所有物がなくなるのは嫌だから、という理由で別れ話を受け入れたくないと思っているのなら、どれだけ辛くとも私は彼との別れを決意している。生半可な気持ちでここに来たわけじゃないのだ。しかし、もしも彼の口から私に対する好意が感じられる言葉がでてきたら、別れる必要はない。ごくり。唾を飲み込む。彼も私もこの上なく真剣な面持ちである。

「二宮くんは、どうして私と別れたくないの?」
「そんなに俺と別れたいのか」
「そうじゃなくて、私と別れたくない理由を聞きたいの」
「理由なんて決まっている」

 俺はお前以外の女に興味がないからだ。

 私以外の女性に興味がない。つまり、それぐらい私のことを特別な存在と思ってくれているという解釈で良いのだろうか。回りくどすぎるけれども、私のことがそれぐらい好きだ、と。そういうことなら嬉しいし納得もできるのだけれど。
 答えてやったぞ、と言わんばかりの表情で私を見つめている彼に、私は今一度確認の意味を込めて問う。「それは二宮くんが私のことを好きだと思ってくれてるってことで良いんだよね?」と。すると彼は瞬きひとつしなくなり、石像のように固まってしまった。
 なんだこの反応は。今までに見たことがない。珍しいことに、あの頭脳明晰、向かうところほぼ敵なしと言っても過言ではないほどの男、二宮匡貴がフリーズしている。彼の脳みそ的にフリーズするような質問はしていないと思うのだけれど、一体何が彼をこうさせているのだろうか。
 待つこと数秒。漸くぱちりと瞬きをした彼は、またもや珍しくきょろりと目を泳がせた。どうやら動揺しているらしい。まあフリーズした時点で相当動揺していることは窺い知ることができていたけれども。

「いちいち確認するようなことでもないだろう…」
「大切なことだよ」
「…そうか」
「だってついさっきまで、二宮くんは私のこと好きじゃないと思ってたもん」
「は?」

 今日は珍しいことが立て続けに起こる。彼の驚いた顔はなかなかレアなのだ。それを数秒の間、私に見せてくれるなんて、珍しいこと以外の何ものでもない。呆けた表情はいつもの堅苦しさが抜けて少し可愛い。可愛い、なんて言葉を使ったらまた気難しい表情に逆戻りしてしまうだろうから言わないけれど。

「私は二宮くんのことが好きだけど」
「な、」
「え? 何?」
「……お前は俺のことが、好き、なのか…」
「は…?」

 およそ三ヶ月も恋人という関係を続けておきながら、私達は何を今更驚き合っているのだろう。犬飼くんあたりに見られていたら爆笑されそうだ。辻くんだって呆れ顔をするかもしれない。それぐらい、今更なことだった。
 好きだから付き合う。そういう当たり前の部分を、私達は確認していなかったのだ。なんとなく付き合い始めて、なんとなく一緒に過ごして、全てがなんとなく進んでいって。だから何事にも自信が持てなくて、擦れ違って、こんなことになった。なんとも馬鹿馬鹿しい。

「二宮くん分かりにくいから」
「お前に言われたくない」
「私は結構アピールしてたよ」
「身に覚えがないな」
「えぇ…」
「俺の方が散々行動で示してきた」

 そう言われてこの三ヶ月を振り返る。確かに彼は、防衛任務と大学の講義で忙しいはずなのに、時間を見つけては私に会いに来てくれていた。昼ご飯を一緒に食べるのだって、ボーダー本部から家まで送ってくれるのだって、全部私が頼んだわけじゃない。彼が自らそうしてくれていたのだ。
 私は漸く、甘えていたということに気付いた。彼が口下手なのは付き合い始める前から分かっていたことだ。だから「好き」という言葉を聞きたいなんて、その気持ちを言葉で表してほしいなんて、彼にしてみればとんでもない無茶ぶりだった。

「そうだね…ごめん」
「謝られることじゃない」
「ねぇ二宮くん」
「なんだ」

 彼は私のことが好き。私も彼のことが好き。それは分かった。これでめでたしめでたし、ではない。今回の事件は、それだけでは解決したとは言えないのだ。
 私は今までよりも更に真剣さを込めた瞳で彼を見据え、やや前のめりの姿勢で言った。

「私、二宮くんとセックスしたい」

 ガタガタッと机と椅子が派手な音を立てた。それもそのはず。彼が突然椅子から立ち上がって、机に身体をぶつけたのである。かなり激しくぶつけたように見えたけれど、痛くないのだろうか。今は換装体ではなく生身の身体のはずだから、結構痛そうだけどな。
 そんなことを思いながら見上げた彼は、片手で顔を覆い何かを考えているようだった。セックスしたい、なんて言ったからとんだ痴女だと思われただろうか。処女のくせに何を言っているんだこの女は、と幻滅されただろうか。折角お互いの気持ちを確かめ合った後だというのに、それは悲しい。
 沈黙が三十秒ほど続いた。私は彼の言葉を待つしかないから、口を噤んだままだ。そうして漸く彼の口から飛び出した言葉は。

「……ちょっと考えさせてくれ」

 私のことを好きだと思っているはずなのにセックスに難色を示す。その理由とは。やっぱり処女だから重たいんですか。面倒なんですか。男の人ってそういうことに興味がある生き物じゃないんですか。
 彼と恋愛していたら、悩みも疑問も尽きることはない。