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もうすぐもうすぐ、さようなら

「にっ、二宮くん」
「……なんだ」
「今時間あるかな」
「ない」

 決死の覚悟で声をかけたというのに、彼の返事はひどく辛辣なものだった。慈悲の心ってものが微塵もない。彼はこんなに冷たい声音だっただろうか。凍りつくような目をしていただろうか。それとも私の感覚が狂ってしまったのだろうか。分からない。何も、分からない。
 ほんの一週間。されど一週間。その期間の間に、彼はすっかり別人になってしまったかのような冷酷さを兼ね備えていた。思わず後退りしてしまう。出会いの時から今に至るまでの間で、初めて、彼のことを怖いと感じた。それゆえの防衛本能みたいなもので、咄嗟に足が彼から遠退いたのだろう。
 しかし、ここで引き下がるわけにはいかない。きちんと話をしなければ。私はなけなしの勇気を振り絞って、一歩遠退いた足を元に戻し彼に向き直った。

「今が駄目なら、いつなら話せそう?」
「……今日は防衛任務がある」
「終わってからとか」
「終わるのは夜だ」
「じゃあ明日とか、」
「随分勝手だな」

 まるで拒絶するかのような一言に、心臓がバクバクと脈打ち始める。この様子から察するに、彼はもう私との話し合いを求めていない。そして私から別れを切り出す前に、彼の方から別れを告げてきそうな気配がプンプンする。
 何度も言うように、事の発端は私の軽率でどうしようもない馬鹿な発言だ。彼氏を差し置いて太刀川くんに「私の処女をもらってくれないか」などと言ったのは間違いだったと深く反省している。
 しかし、言い訳がましいとは思うけれど、私にもそう思うに至った経緯というものがあるわけで、元を辿れば彼にもほんの少しぐらいは原因があったと思うのだ。ほんの少し、本当にほんの少しかもしれないけれど。
 そんなに好きじゃないなら最初から「付き合う気はあるか」なんて言ってこないでほしかった。三ヶ月も私を弄ばないでほしかった。そういうタイプじゃないと思っていたけれど、それは私の勝手なイメージの問題で、本当の彼は太刀川くんみたいな遊び人なのかもしれない。…いや、さすがにそれはないと思うけれども。

 勝手。確かにその通りだ。私から距離を置いて、私の気持ちの整理ができたから話し合いましょうと近付いて、全部自分本位であることは否定しようもない。
 しかし、じゃあどうすれば良かったというのだろう。業務連絡のように「明日の夕方四時からご都合いかがでしょうか?」とあらかじめアポを取っておけば良かったとでも言うのだろうか。今はまだ彼氏と彼女なのに、そんな風に他人行儀なことをしなければならなかったのだとしたら、私達の関係はやはり別れの道を辿るしかない。

「勝手だとは思う…けど、話をしなきゃいけないってことは二宮くんも分かってるよね?」
「先に話し合いを放棄したのはお前だろう」
「だからもう一回ちゃんと話し合おうと思って…!」
「俺の気持ちは考えないんだな」
「え」
「それが、勝手だと言っている」

 二宮くんの気持ち。そう言われて口を噤む。そうせざるを得なかった。
 話し合わなきゃって、そればかりが先行していた。こっちの準備ができたからといって相手の準備ができているとは限らないのに、彼はいつも冷静で感情の浮き沈みが激しくないから、いつ何時でも、どんなことにでも淡々と対応してくれるものだと思い込んでいた。でも、そんなはずはない。
 彼だって人間だ。分かりにくくても感情は必ず存在する。嬉しい、楽しい、悲しい、辛い、腹立たしい。この三ヶ月で、私はそれをきちんと見てきたはずなのに。
 こういうところが駄目なのだ。これじゃあ彼にフられたって仕方ない。好きになってもらえなくても、仕方ない。

「……ごめんなさい」
「いや…俺も感情的になりすぎた」
「私はいつでも準備できてるから…二宮くんの都合の良い時に連絡してくれないかな?」
「分かった」

 彼はそれからすぐに防衛任務のためボーダー本部へ向かって歩いて行った。本当は私も同じ目的地を目指して歩かなければならないのだけれど、時間を空けてから向かった方が良いだろう。
 今までは隣を歩くことが普通だった。それが当たり前だと思っていた。しかし、今になって思い知る。あれは特別なことだったのだと。
 まだ、別れてはいない。まだ、肩書きは彼女のまま。しかし、その終わりは近い。「準備できてるから」なんて言ったけれど、私はちっとも準備なんてできていないようだった。だって、どうしよう。視界が、滲む。

◇ ◇ ◇


 彼からの連絡が来たのは、それから三日後の昼過ぎのことだった。常にシンプルな文面だからどんな気持ちでこの一文を綴ったのかはさっぱり分からない。
 絵文字も、句読点すらもなく「今日の夜なら空いている」と、本当に用件だけの数文字。しかし、何の連絡もされないよりはマシなので文句は言わない。それに、急にテンション高めの文面が届いたら、それはそれで「本当に二宮くんか?」と疑ってしまうから、これぐらいがちょうどいいような気もした。
 私は私で「分かった。じゃあ会おう」という用件だけの文面を送る。そうして何回かやり取りをして、私と彼は今日の夜六時、二宮隊の作戦室で落ち合うこととなった。
 二宮隊の作戦室と言えば、あの事件の直後に話をした、私達にとって苦い記憶が鮮明に刻み込まれている場所だ。トラウマとまでは言わないけれど、もはやそれに近いものを感じる。
 しかし、私に選ぶ権利はない。他に落ち着いて話ができる場所があるなら場所の変更を提案することができるかもしれないけれど、それが思い浮かばない以上、拒むことはできなかった。私はまたあの場所で苦い思い出を作るのか。そんなどんよりした気分に陥る。

「なまえさん?」
「え、あ、犬飼くん…」
「ここら辺にいるの珍しいですね」

 何という不運だろう。大切な約束に遅れるわけにはいかないと、予定時刻の三十分も前から作戦室の近くをうろうろしていたのが仇となり、私は彼と同じ隊に所属する犬飼くんに見つかって声をかけられてしまった。
 犬飼くんはあまり緊張しない性格なのか、初対面の時から気さくに話しかけてくるタイプで、ボーダー本部内で出くわすと必ず挨拶をしてくれる。私が自分の所属する隊の隊長である二宮匡貴の彼女だから気を遣っているだけなのかもしれないけれど、何にせよ、できた子だと思う。
 しかし今日だけはスルーしてほしかった。確かに私は基本的に自分の仕事場に引きこもっていて作戦室まで自ら赴くことはほとんどない。彼女だからといって、何の用事もないのに作戦室に遊びに行けるほど、私は神経が図太くなかった。
 不思議そうにしながらも、犬飼くんは私がここにいる理由を彼に会いに来たのだろうと推測したらしい。「入らないんですか?」と作戦室の方を示した。
 入るよ。入りますよ。あと三十分後に。でも今は入りたくない。だって彼がもう中にいたらどうするの? きっと「お前は時間を守ることもできないのか」って思われるに違いない。ただでさえ重苦しい話をしようとしているというのに、そんな最低最悪なスタートダッシュは御免である。

「たぶん二宮さん、中にいるんじゃないかな」
「えっ」

 いやいや、それなら絶対に入りたくないです。お気遣いありがとう犬飼くん。
 私は心の中でそんなことを呟きながら愛想笑いを返す。それが精一杯の対応だったのだ。一向に作戦室に入ろうとしない私を見た犬飼くんは、何かを察してくれたのだろう。「ただ通りすがっただけでした?」と冗談交じりに尋ねてくることで空気を軽くしてくれた。やっぱりできる子である。

「あとで会う約束してて、」
「なんだ、早く会いたくて来ちゃったってやつか。相思相愛すぎて妬けちゃうな〜」
「そんなんじゃないよ」
「あの二宮さんに彼女ができたって時点で驚きだったのに、まさかここまで溺愛するとは思わなかったもんな〜」
「溺愛?」
「あ、やば」

 犬飼くんはなぜか慌てて口を噤んだ。その上「今のは聞かなかったことにしてください」と言うではないか。そんなのどう考えたって無理だ。聞き捨てならない単語がしっかり耳に入ってきてしまったもの。
 私が「ちょっと今の発言どういう意味?」と詰め寄る前に、犬飼くんは「おれは通りすがりなんで二人の邪魔はしませんよ」と言い残してさっさと退散してしまったから、真相を深掘りすることは叶わなかった。
 私の見立てでいくと、彼は本気で恋愛していない。明言は避けていたけれど、望ちゃんだってそういう見解だったはずだ。それなのに犬飼くんときたら、彼が私を溺愛している、みたいな口振りだった。
 溺愛というのが一般的にどういう言動のことを指すのかはイマイチ分からないけれど、私は残念ながら、彼から溺愛されていると感じたことは一度もない。犬飼くんは何を以ってして溺愛などという単語を口にしたのだろうか。とても気になる。
 が、犬飼くんは既に逃げるように立ち去ってしまったので、もはや確認のしようがない。それに、これから話し合いをして彼と別れることになるであろう私には、もう知る必要のないことだった。
 あと三十分、否、二十五分後。私は扉を隔てた向こう側で、どんな顔をしているのだろうか。