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エスクードをぶち抜きましょう

 自分から「今は顔を見たくない」と言って距離を置いた。だから、きちんと冷静に話ができる状態まで落ち着いたら、私の方から声をかけなければならない。それは分かっているのだけれど、私は未だに彼にコンタクトを取れずにいた。
 一応彼女なので連絡先は知っているし、大学でも同じ講義を選択しているから普通に会う。つまり、声をかける機会はいくらでもある。それなのに私達は一週間も口を聞いていない。
 これは完全に私のせいだ。私のせいでしかない。時間が空けば空くほど気まずさが増すばかりだということは、火を見るより明らかである。しかし、どうしても声をかけられない。それはなぜか。
 答えは簡単。彼が私に「話しかけるなオーラ」を放っているからだ。気のせいなんかじゃない。私じゃなくとも分かるぐらい、彼は強力なバリアを張っている。それも、エスクードなんかよりずっと強固な防御壁を。
 こうしてまた彼のせいにして逃げていてはダメだと、自分自身に何度も言い聞かせている。けれども心と身体が噛み合っていないものだから、私は彼を見る度にそそくさと逃げてしまう。

「元気ないわね」
「望ちゃん…」

 大学の食堂で項垂れている私に声をかけてきたのは加古望。彼のことも私のことも昔からよく知る人物だ。同じボーダー隊員であり、かつては彼と同じ隊に所属していた望ちゃんは、きっと私よりも彼のことを知っているに違いない。
 私に何の断りもなく正面の席に座った望ちゃんは、今からお昼ご飯らしい。そのスレンダーな身体のどこに入るのか分からないけれど、本日の中華定食のチャーハンを口に運び始めた。

「二宮くんも元気がないから、どうせ痴話喧嘩でもしたんでしょ」
「痴話喧嘩…なら良いんだけどね……」
「あら、珍しく本気で喧嘩したの?」

 望ちゃんは器用にも、モグモグと食事を続けながら私との会話を楽しんでいるようだった。確か私が彼と付き合い始めたと伝えた時も、望ちゃんは今のようにあっけらかんとした態度だったような気がする。
 多少の出来事には動じない。さすがA級六位の隊長は肝が据わっている。もっとも、望ちゃんは元々の性格が随分と大らかで豪快だから、A級六位の隊長であることは関係ないかもしれないけれど。
 私と望ちゃんは同じ高校に通っていたから、当時からボーダー内でも他愛ない会話ができる関係だった。それは大学に進学した今でも変わらない。
 それならばなぜ彼とのことに関する悩みを相談しなかったのかという話になるのだけれど、それは単純にタイミングの問題だ。加古隊はここ最近防衛任務で忙しくて大学を休みがちだったし、ボーダー本部でも会うことはなかった。今ここで普通に会話を繰り広げているけれど、会うのは随分と久し振りのことである。
 もしもっと早く望ちゃんに会うことができていたら、私は間違いなく望ちゃんに相談していた。そう断言できる。つまり、太刀川くんなんかにあんな馬鹿げた提案をすることもなかったのだ。
 そこで自分がしでかした人生最大の失態を思い出した私は、また項垂れた。ああ、もう。ほんとに。私は何を血迷っていたんだろう。

「何か面白そうなことがあったのは分かったけど」
「全然面白くないから」
「そんな顔しないで。話を聞くぐらいなら私にもできるわよ」

 私は目を輝かせた。その言葉を待っていたのだ。こんな悩みを相談できるのは望ちゃんしかいない。
 居住まいを正し望ちゃんに向き直る。「随分と畏まるのね」と言いながら餃子を口に運ぶ望ちゃんは相変わらずマイペースだ。
 私は藁にもすがる思いで事の次第を説明した。事の発端となった悩みのこと、その悩みを太刀川くんに相談したこと、その時に起こった事件のこと、その後の彼とのこと。
 今は三限目の真っ最中なので周りに生徒達はいない。だから全てを洗いざらい話すことができた。望ちゃんは食事をしながら話を静かに聞いてくれていて、私が話し終えたのとほぼ同時に食事を終え「ご馳走様でした」と手を合わせる。

「やっぱり面白いことがあったんじゃない」
「望ちゃん! 私は真剣に悩んでるんだよ!」
「悩むって何を?」
「何を、って…それは……」

 それは、の続きが出てこず、私は口を噤む。悩んでいる、と言った。しかし改めて尋ねられると首を傾げる。私は何について悩んでいるのだろう。
 彼に何と声をかけたらいいかということ? どうやって仲直りしたらいいかということ? どう弁明すればいいかということ? これからどんな風に付き合っていけばいいかということ?
 全部正解で、全部間違っているような気がする。結局のところ私は彼とどうなりたいのか。どうしてほしいのか。それが何も明確になっていない。これでは意を決して彼を引き止めたところで、いい方向に話は進まないだろう。

「望ちゃん…私、どうしたらいいんだろう…」
「何も悩む必要ないじゃない」
「え」
「あなた達、いつも難しく考えすぎなのよ。最近は少しマシになったと思ってたのに…また振り出しに戻っちゃったの?」

 優雅にお茶を飲みながら私に呆れたような視線を向けてくる望ちゃんは、何をしても美しい。絵になる。彼と並んだら、それこそお似合いだと、何度思ったことか。
 まだ彼と付き合う前に、私は望ちゃんに尋ねたことがある。「望ちゃんは二宮くんを恋愛対象として見たことないの?」と。その質問を投げかけた時の望ちゃんと言ったら、まるでこの世のものとは思えないものに遭遇して困惑しているような、恐怖しているような、非常に複雑な顔をしていた。
 その顔を見ただけで、望ちゃんにとって彼はそういう対象になり得ないのだということはすぐに分かったのだけれど、同時に新たな疑問が生まれた。どうして望ちゃんは彼をそういう対象として見ようとしないのだろう、という、もっともらしい疑問だ。それに対して望ちゃんはこう答えた。

「二宮くんは恋愛できないタイプだと思うから。私にとっては論外よ」

 恋愛できないタイプ。それは一体どんなタイプだ。私はそれを望ちゃんに訊くことができぬまま、彼と恋人という関係になった。つまり、彼と恋愛しているのだ。恋愛できないタイプと言っていた望ちゃんの意見とは相反している。

「望ちゃんは二宮くんのことを恋愛できないタイプだと思うって言ってたけど、今でもそう思う?」
「あれはそういう意味で言ったんじゃないのよ」
「そういう意味じゃない、ってどういうこと?」
「正しくは、二宮くんは自分が本当に好きだと思った相手としか恋愛できないタイプだと思う、って感じかしら。ほら、二宮くんが私を好きになるなんて有り得ないじゃない? 仮に好きになられたとしても願い下げではあるけど」

 仮にも彼女である私の前であんまりな物言いだとは思ったけれど、望ちゃんの言うことだし、今はそんなことにいちいち気を取られている場合ではないのでスルーしよう。

「じゃあ望ちゃんから見て、二宮くんは今私と恋愛できてると思う?」
「それは…そうね……」

 望ちゃんが言葉を濁した。何でもハキハキと物を言う望ちゃんが、ここで言葉を濁した。ということは、つまり、望ちゃんから見て彼は私と恋愛できているとは思えないということなのだろう。
 あからさまに落ち込む。そうか、そうだったのか。やっぱり独りよがりだったのか。彼から付き合ってほしいと言われて舞い上がっていたけれど、そういえばきちんと好きと言われたことはないし、あれはお試しで付き合ってほしいという意味だったのかもしれない。そうだとしたら、私と一線を超えなかった経緯も頷ける。悲しいことではあるが、これで漸く理解することができた。

「私、二宮くんともう一回ちゃんと話してくる…」
「そうね、それがいいわ」
「ちゃんと終わりにする」
「…待ってなまえちゃん、何か勘違いしてない?」
「大丈夫」

 席を立つ。望ちゃんが怪訝そうな顔をしているのは少し気になったけれど、きっと私が激しく落ち込むんじゃないかと心配してくれているのだろう。でも大丈夫。
 心の整理は散々した。その際に最悪の展開も想定した。そうならなければいいと思っていたけれど、どうやら私はその道を選ばなければならないらしい。
 そう、私は決めたのだ。彼に別れを告げることを。