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言葉はアステロイドにも勝る

 私は、頬杖をつきこちらに射殺すかのような視線を送り続けている男の目の前で、蛇に睨まれた蛙の如く身を縮こまらせていた。分かっている。これは自業自得、自分で蒔いた種だということぐらい。
 未だかつて彼からこんなにも鋭い視線を浴びせられたことがない私は、初めてネイバーの気持ちが分かったような気がした。彼に狙いを定められたネイバーは、きっと死ぬ前こんな気持ちなんだろう。脳内でそんなくだらない現実逃避を始めた時だった。

「まず確認しておきたい」
「は、はい……」

 とうとう長い沈黙を破って彼が口を開いた。私の全身に緊張が走る。
 場所は変わって二宮隊の作戦室。なんとも運の悪いことに、午後の講義は選択していた授業が休講となってしまっていた。だから私は「これから授業だから!」という正当な理由で逃げることができず、ほぼ引き摺られるような形でここまで連れて来られたのだ。
 ちなみに太刀川くんとは途中で別れた。先ほどの出来事は他言無用だとキツくキツく口止めして。もし誰かに今日の出来事や会話を話そうもんなら、今まで私が隠してあげてきた諸々のトップシークレットを忍田本部長に暴露し、模擬戦ができないどころか暫くボーダー本部立ち入り禁止、及びトリガー使用禁止令を出してもらう、と脅しておいたから、恐らく大丈夫だと信じたい。太刀川慶という男にとって一番の苦痛は戦えないこと。だからこれ以上の脅しはないはずだ。
 二宮くんは私と太刀川くんが話をしている間、今よりも更に鋭く研ぎ澄まされた視線を送ってきていた。なんならあの場でトリガーを起動させて、アステロイドをぶっ放されていてもおかしくなかったと思う。命があっただけでも感謝しなければならない。いや、でももしあそこで二宮くんがトリガーを起動させていたら太刀川くんも嬉しそうにトリガーを起動させて戦闘態勢に入っていただろうから、死人は出なかったかなあ…。
 違う、問題はそこじゃない。そこじゃないのだ。私はつい、現実から目を逸らしたくて余計な事ばかり考えてしまう。

「お前は処女なのか」
「えっ」
「この距離で聞こえなかったのか? お前は処女なのかと訊いている」
「いや、え、あの、聞こえてるけど…」

 まず確認しておきたいことってそれ? 私は心の中で疑問符を並べていた。
 私はてっきり「お前は太刀川のことが好きなのか」とか「どういうつもりであんなことを言った?」とか、そういうことを訊かれると思っていたのに、二宮くんはそれよりも先に「処女なのか」という確認をしてきた。それって一体どういうこと? 気持ちの面は二の次にして、私が処女かそうでないか確認したかったってこと? つまり、処女は面倒臭いから願い下げだ、とか…もしかしてそういうことなのでは?
 付き合い始めて三ヶ月が経過した。未だに手を出されていない。そしてこの会話の流れ。私の思考はどんどんネガティブな方向に進んでいった。
 二宮くんは怒っている。それは分かる。けれどもそれは何に対する怒りなのか。自分の所有物だと思っていたものが勝手に他の人のところに行くことが許せなかったから、とか。…彼なら大いに有り得そうなことだった。
 好きな人が自分以外の男と関係を持とうとしている。そのこと自体に怒っているのではなく、自分に何の断りもなく好き勝手されることに怒っているのだとしたら。そしてその相手がよりにもよって太刀川くんという、普段飛びぬけて馬鹿でトリガーを奪われたら確実にC級隊員以下の頭脳の持ち主のくせに(散々な言い方をしているけれども事実だ)、A級一位の隊長。彼がプライドを傷付けられたと思って怒っているのだとしたら、筋は通る。

「……処女だけど、だから何?」
「なぜお前が怒っている」
「そ、れは…確かに理不尽な逆ギレかもしれないけど!」
「理不尽だという自覚があるなら落ち着け」

 こんなことになっているというのに、怒っているオーラを身に纏いながらも冷静沈着なのだから、彼は私と同じ人間なのだろうかと疑問に思う。ああ、でも。彼は最初からこうだった。付き合い始める時でさえも、顔色ひとつ変えなかったなあ、なんて、それほど昔というわけでもない、ごく最近の記憶が蘇る。
 出会った時から、彼は常に一定のテンションで接してくる男だった。彼はその実力を兼ね備えていながら、勉強熱心で向上心がある。エンジニアである私の元にやってきた理由も「合成弾を使用するにあたってトリガーセットの相談がしたい」という内容だった。射手で合成弾を使用する人間は限られているから、前例は少ない。正直なところ、私で力になれるだろうかという不安はあったけれど、エンジニアとして最大限の力添えはしたいと思って尽力した結果、彼と相談しながら何日もかけてセットしたのが今のトリガーだ。
 口数が少なそう。ちょっと怖そう。自分の意見は意地でも曲げなそう。そんな勝手なイメージをしていたけれど、彼は意外と普通だった。必要最低限のことしか喋りはしないが、雑談であっても相手はしてくれる。私みたいなエンジニアの意見にもきちんと耳を傾けてくれて、良いと思ったら自分の意見を曲げてでも取り入れてくれる。彼との時間を怖いと思ったことはなかった。

「二宮隊の隊服ってスーツだよね?」
「それがどうした」
「カッコいいなあと思って! 他の隊と違ってドレッシーっていうか!」
「ドレッシー……」
「褒めてるんだよ」
「……それならいい」

 余談だけれど、私は隊服のモデリングが好きだ。だから全隊の隊服はチェック済み。デザインは勿論のこと、機能性や各隊のカラーまで個人的に研究している。その研究の結果、二宮隊は私の最も好ましいと思える隊服だった。戦闘員ではないから実践においてどうかは分からないけれど、その見た目の美しさは群を抜いているように思えたのだ。
 実は彼が初めて私の元を訪れた時から、ずっと言いたいと思っていた。「二宮隊の隊服大好きなんだ!」と。けれども初対面の女にそんなことを急に言われたらきっとドン引きされてしまうだろう。そう思った私は、ぐっと堪えていたのだ。そして言えたのが出会って二週間後のこと。トリガーのセット内容が決まった時だった。
 私のところに来る時の彼は、いつも換装を解いていた。だから、間近で彼の換装体(というか隊服)を見られなかったのは残念だけれど、最後に感想が伝えられてよかったと勝手に満足していた私に「来い」と彼が短く声をかけてきた時は驚いたものだ。まさか二宮隊の作戦室に招いてくれた挙句、目の前でトリガーまで起動してくれるとは思わなかったから。
 彼曰く「仮想戦闘訓練でこのトリガーが使えるか試してみる。改良が必要ならすぐに対応しろ。そのために連れて来ただけだ」とのことだったけれど、私が戦闘中の彼を見ても改善点は分かりっこないし、改良するにしてもこの隊室では何もできない。つまり、私が来ても意味はなかった。
 彼は私に換装体を見せるためだけに連れて来てくれたのだと悟った時の衝撃が、お分かりいただけるだろうか。分かりにくい。非常に分かりにくいのだけれど、でも、可愛いなと思った。彼に対して「可愛い」という感想を抱くことは絶対に有り得ないと思っていたのだけれど、人生とは何が起こるか分からないものである。
 そうして私達はトリガーセットの相談が終わってからもなんとなく定期的に会うようになっていた。同じ大学に通っていることが分かってからは、大学構内で会うこともあった。私はその期間に彼にどんどん惹かれていった。彼がいつどのタイミングで私に惹かれてくれたのかは分からない。訊いても答えてくれないし。けれどもそれは、私達が付き合っていく上で重要ではなかった。だから追及することはしなかった。

「俺と付き合う気はあるか」
「付き合う?」
「そうだ」
「それは私が二宮くんの彼女になる権利を与えられたってことでいいのかな」
「そういうことになるな」
「…そこは、好きだ、俺と付き合ってくれ、とか、言ってほしかったんだけど」

 眉根を寄せてあからさまに嫌そうな顔をする彼も、ちょっと可愛かった。どうやら私はカッコイイ彼ではなく可愛い彼の方により一層惹かれたらしく、付き合い始めてからは彼の困った顔が見たい一心で、くだらない悪戯を仕掛けた。彼はいつも私の好きな困り顔や呆れ顔をしつつも、そのくだらない行為自体を「やめろ」と止めることはなくて、そんなところも好きだった。そう、好きなのだ。好きなんだけれども。
 彼は怒っても困っても呆れても嬉しくても楽しくても、そのテンションを崩さない。変わるのは身に纏う空気だけ。それが彼だし、別に支障はないからいいや、と思っていたけれど、その考えは今日この瞬間をもって改めよう。
 たまには感情を露わにしてほしい。淡々と、ではなく、きちんとその感情をぶつけてきてほしい。いつもじゃなくていいから、こういう、大事な時には。怒られたいわけじゃない。怒鳴られたいわけでも責められたわけでもない。ただ、私がとんでもない過ちを犯そうとしている現場に遭遇したのに、淡々と事実確認をされるというのは、なんだかとても寂しく感じた。

「二宮くんって、私のこと、そんなに好きじゃないでしょ…?」
「…今はそういう話をしているんじゃない」
「そういう話の延長線上に今回の問題があるんだよ」
「お前が太刀川に迫った理由が、か?」

 迫ったわけじゃない。違う。誤解だ。上手く伝わらない。

「…ごめん二宮くん、この話、また今度でもいいかな…」
「また今度にできる問題じゃないだろう」
「でも、なんか…ごめん。今は二宮くんの顔、見たくない」

 全面的に悪いのは私だ。太刀川くんにとんでもない提案をして、きっと、否、間違いなく彼を傷付けた。分かっているのに、感情のコントロールが上手くできない。まるで私が傷付いた、みたいな、悲劇のヒロインになってしまっている。最低だ。でも、今ここで何をどう弁解しようとも、根本的な修復にはならないと思った。
 冷静になりたかった。今私が彼に本当に伝えるべきことは、伝えたいことは何なのか。きちんと一人で整理したかった。彼の顔を見たら、感情が渋滞を起こす。だから見たくなかった。そういう意味の言葉だった。けれどもその言葉は、言うべきではなかったのだ。
 後に、私は知る。その言葉で、彼が傷付いていたということを。