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最悪な日ですね、ごきげんよう

 完全に私の人選ミスだった。それは認めよう。けれども、まさかこんな事態を招くことになろうとは、誰も予想できなかったはずだ。私は自分のしでかしたことを棚に上げて、いるかどうかも分からない神様に恨みの念を送っていた。もしかしたらこんなことをしたら更に酷い仕打ちを受けることになるかもしれないけれど、それでも良いやと投げやりになる程度には、事態は深刻なのだ。
 私は彼氏様からの怒りとも呆れとも軽蔑ともとれる眼差しをひしひしと背中に感じながら打ちひしがれるより他なかった。

◇ ◇ ◇


 話は十数分前に遡る。私は大学構内のベンチに座りサンドイッチをむしゃむしゃと貪りながら、隣のヒゲ男に人生相談をしていた。ちなみに人生相談の謝礼はきな粉餅である。ボーダー本部ではきな粉まみれにしてしまうという理由で食べることを禁じられてしまったそれを、彼は今、隣で幸せそうに頬張っている。案の定、ベンチや服はきな粉まみれだけれど、ここは心地良い風が吹く屋外だから、そのうちきな粉もどこかに吹き飛ばしてくれるだろう。
 さて、私が持ち掛けた人生相談というのは、私と彼との関係についてである。私の彼氏である二宮匡貴は、ボーダー随一を誇る射手であり有能な男だ。少し堅物で頑固ではあるけれど、可愛いところもあったりなかったり…あったりする、兎に角、私には勿体ないほどの相手であることは間違いなかった。そんな彼が、ボーダーのエンジニアである私に興味を抱いてくれた理由はいまだに分からない。けれども、とりあえず、彼は私に好意を寄せてくれていて、だからお付き合いをしているわけだ。
 付き合い始めたのは、もう三ヶ月ほど前のことになる。最初は順調だった。毎日のように私を家まで送り届けてくれて、大学では一緒にお昼ご飯を食べるのが定番となった。望ちゃんや、きな粉餅を頬張っているヒゲ男こと太刀川くんに冷やかされたり、堤くんや来馬くんに温かく祝福されたり、賑やかで擽ったい毎日はなかなか楽しかった。彼も、揶揄われるのは非常にうざったそうだったけれど、本気で嫌がったりはしていなかったと思う。
 恋人らしく手を繋いで出かけることもあったし、流れに任せてキスもした。そこまでは良かった。けれども、それ以上先にはどんなことがあっても進まなかった。これが、私が人生相談をしようと思った最大の原因である。

「つまり、手ぇ出してもらえないってことか」
「いや、うーん…全くってわけじゃ…ない…けど?」
「なんで疑問形なんだ」
「だってキスはしてもらえるもん」
「それは挨拶みたいなもんだろ」
「太刀川くんって外人なの?」
「外人? そう見えるか? ハーフっぽい?」
「…そういう意味じゃないよ」

 太刀川くんは良くも悪くも…いや、良い意味はあまりないかもしれないけれど、女性経験が豊富だと聞いた。本人からではなく風の噂で。でもまあ本人も否定していないということはそういう認識で良いのだろう。だから、どういう女なら手を出したくなるか、参考までに訊いてみようと思ったのだ。
 本当はそれだけを尋ねるつもりだったのだけれど、話の流れで人生相談になってしまい、私と彼との事情はこの口が軽そうな男に筒抜けになってしまった。でもまあ、A級一位の部隊の隊長としてきちんと隠密行動は取れるわけだし。そこら辺は誰彼構わず言いふらしたりしないと信じたい。
 しかし、太刀川くんほどの男になればキスなんて挨拶代わりで手を出したことにはならない、ということか。なるほど、その原理でいくと私は彼に全く手を出されていない。やっぱり私の魅力が足りないから? 好きではあるけれど女としてそそられはしないということ? ここ数日、そんなことばかりを悶々と考えていた私は欲求不満なのだろうか。でも、好きな人とそれなりのことをしたいと思うのは人間の本能なのだから、私は異常じゃないと思う。

「ちなみにみょうじは経験アリ?」
「えっ」
「その反応はナシか」
「な、なにを…!」
「分かりやすいな」

 知っていたことではあるけれど、太刀川くんの辞書にデリカシーという単語は存在しない。だからこそ、こんな真昼間からその手のピンク色な話を堂々としても引かれないという点では有難い。
 そう、私は二十歳にもなっていまだに男性との経験がない。付き合っていた人は何人かいるけれど、長続きしなかったとか、そういうことをするのが怖かったとか、諸々の理由があって初体験の機会に恵まれなかったのだ。それが、彼とならそういうことをしても良いかもと思った。それは単純に好きだからという理由だけでなく、彼が信頼に足る人物だと私の中で納得できているからだろう。この人ならきっと私を大切にしてくれる。そんな漠然とした自信があった。
 しかし、だ。自分からお誘いするというのはかなりハードルが高い。ただでさえ処女なのだ。「私の初めてをもらってください」と迫るなんて重すぎるに決まっている。だから彼からそういうアクションを起こされたらその時にカミングアウトして、それで「心の準備がいる」と言われたら準備ができるまで待てばいいし「別に構わない」とそのまま事に及べるならそれはそれで構わない、という考えでいた。だが困ったことに、そういうアクションを起こされる気配がない。これは一体どういうことなのか。
 彼にだって少なからず性的欲求というものが存在するはずだ。いくら真面目な性格をしているとはいえ、もう三ヶ月以上もキス止まりなんておかしい。何か手を出してこない理由があるに違いない。しかし女である私がどれだけ考えても男の気持ちは分からなかった。そこで太刀川くんに「手を出さない理由があるとすれば何か」と尋ねてみたら。

「俺はその状態に陥ったことがない」
「つまり分からないってこと?」
「ぶっちゃけ、俺なら今すぐみょうじを抱くことも可能だ」
「胸張って言うことじゃないでしょ」
「俺は欲望に忠実に生きてるからな」
「二宮くんと足して二で割ったらちょうど良さそうだね…」

 本能の赴くまま生きている太刀川くんの意見はまるで参考にならなかった。だから私は、サンドイッチを平らげて大好きなミルクティーで喉を潤しながら、もう一度考えてみる。
 彼が私に手を出さない理由。好きじゃないから? それはさすがにないと思いたい。そういうタイミングが訪れないから? いや、私は一人暮らしをしているからその気になればいつでもタイミングを作ることはできる。じゃあやっぱり私に魅力が足りないから? この理由が一番濃厚そうだけれど、何をすれば良いのだろう。プロポーションを見直すとか? ダイエットしたら胸から落ちるんだよなあ…困ったなあ…。
 そうして、ミルクティーを全て飲み干し、ズッズッとストローで紙パックの端っこのミルクティーを啜っている時、私は唐突にある考えに思い至ってしまった。もしかして彼は私が処女だということに気付いているのではないだろうか。だから、処女は重くて面倒臭いし、手を出すのはなあ…と思っているとか。いや、そんなことを思う性格ではなさそうだけれど。でも、少しでもその可能性があるのなら、問題点は潰しておいた方がいいかもしれない。
 私はベンチから勢いよく立ち上がると、ぼけーっと紙パックのジュース(これも私が奢ってあげた)を飲んでいる太刀川くんを見下ろした。「いきなりどうした?」と見上げてくる彼は、とてもじゃないが攻撃手ナンバーワンとは思えない隙のありようだ。

「もしかしたら私が処女だから手を出しにくいって可能性があるんじゃないかと思ったんだけど、どう思う?」
「そういうのは本人に訊け」
「訊けないから太刀川くんなんかに相談してるんでしょ」
「なんかっつったな?」
「それで、そんな太刀川くんにお願いなんだけど」

 周りに誰もいないことを確認し、大きく息を吸って心を落ち着かせる。そして私は、非常に眠たそうな格子の瞳を見つめながら、意を決して言葉を紡いだ。

「私の処女、もらってくれない?」
「はあ?」
「おい、どういうことだ」
「うわあっ!? に、二宮くん……」

 史上最悪のタイミングで背後に現れた彼氏様は、今まで見てきた中で最も不機嫌そうな顔をしていた。周りに人がいないことを確認してから言ったにもかかわらず、どうしてこんなところにいるんだ。隠密か。忍者なのか二宮くんは。
 そんな現実逃避をしたくなるぐらいには信じ難い事態だった。ああもう。こんなことになるぐらいなら太刀川くんに相談なんかするんじゃなかった。私は激しい後悔の念に苛まれる。
 そう、そもそも太刀川くんなんかに相談しなければこんな事態には陥らなかった。私の人選ミス。そしてそれ以上に、私が変な気を起こさなければ済む話だったのだということは分かっている。けれども、全ては後の祭り。背後の彼の顔を一瞬確認した私は、すぐさま正面に顔を戻して食い入るように地面を見つめていた。

「どういうことだと訊いている」
「みょうじは俺に処女をもらってほしいらしい」
「太刀川くん!」
「今そういう話だったろ」
「そうだけど! そうじゃない!」

 やっぱり人選ミスだった。太刀川くんに相談しようと思った過去の自分を恨み、こんな展開にした神様を恨み、今日は今まで生きてきた中で最も恨みを募らせる最悪な日となってしまったけれど、私以上に最悪な状態に陥っているのは彼かもしれない。