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フルガードでも敵わない

※二宮視点


「二宮さんってなまえさんと話してる時だけ表情柔らかくなりますよね」

 唐突に自隊の隊員である犬飼に言われたセリフは、俺に衝撃を与えた。といっても、その衝撃を表情に出してはいないと思う。自慢じゃないが、俺は大抵の人間に、表情が変わらないせいで何を考えているかわかりにくい、と言われる。だからこそ、犬飼の発言には衝撃を受けざるを得なかったのだ。
 なまえと話している時だけ表情が柔らかくなる、と言われても、自分に思い当たる節はなかった。そもそも「柔らかくなる」の定義もわからない。間違っても笑みを浮かべてはいないと思うが、それならば俺はどんな顔をしているというのか。単純に疑問だ。

「たぶん自覚ないですよね」
「……」
「そんなに怖い顔しなくても」

 犬飼は両手をあげて降参ポーズをしながら「もうこの話はやめますよ」と言って、逃げるように作戦室から出て行った。残ったのは俺と、深まった疑問だけ。怖い顔、と指摘されたが、俺は眉ひとつ動かしていないはずなのに、何をもってして怖い顔と見なされたのか。それもやはりわからなかった。
 柔らかい表情も怖い顔も、自分が意識して作り出しているわけではない。怖い顔に関しては常時この表情を崩さないせいでそう受け取られても仕方がないとは思うが、柔らかい表情の方に関してはどう考えてもわからなかった。犬飼以外の人間に指摘されたことはないから、もしかしたら犬飼の目がおかしいのかもしれない。……と思っていたのだが。

「犬飼くんの言ってること、なんとなくわかるよ」

 渦中の人物であるなまえにそのことを伝えたら、まさかの発言が返された。しかもどこか照れ臭そうに、ほんのり耳を赤く染めながら。

「私と話してる時の匡貴くん、ちょっと雰囲気が柔らかくなる気がするから嬉しいなーって……もしかしたら特別なのかなーって、密かに喜んでたの」
「付き合っている時点で特別なのは当然だろう」
「そんな、恥ずかしげもなく堂々と……」
「特別なら雰囲気が変わるものなのか」
「恋をするってそういうことなんですよ、匡貴くん」

 もはや開き直ったというべきだろうか。なまえはわざとらしく胸を張り、俺に諭すような口調で言ってのけた。ほんの数秒前まで妙に照れていたくせに、相変わらずコロコロ表情が変わるやつだ。お陰で、こちらまでつられて頬が緩みかけてしまう。
 ……と、そこでハッとした。そうか。俺はこうして無意識のうちに、僅かながらに頬を緩めていたのかもしれない。それを「柔らかい表情」と言われているのだとしたら、まあ、そうなのだろう。納得はできないが。しかし冷静に振り返ってみれば、なまえとの関係が始まってからというもの、最初から俺が納得できることなんてひとつもなかったかもしれない。

 そもそも俺は、恋愛というものに不向きな性格をしていると思う。なまえと付き合っている今でも恋と愛の違いなんてわからないし、これからも永遠に理解できない気がする。そんなことわからなくても恋愛はできるかもしれないが、そうだとしても、根本的に誰かに対する好意を抱いたことがない時点で、やはり俺は恋愛に不向きだと言えるだろう。
 俺が間違いなく断言できることといったら、なまえ以外の女とプライベートで二人きりになるのは苦痛でしかないこと。そして、自ら会いたい、触れたいと思うのはなまえだけだということ。それぐらいだ。
 今までの人生で恋人ができたことはない。それは単純に、自分の人生において恋人というものは必要ないと思っていたから。求めていなかったから。なまえに出会っていなかったら、今でも俺はそういうスタンスで生きていたに違いない。
 いつから好意を抱いているのか。明確には思い出せない。というより、自分の気持ちに気付いた時には今の状態だった。だから、思い出せないというより、自覚がないからわからないのだ。
 なまえに対する気持ちを自覚して、付き合うようになって、恋愛はこうも難しいものなのかと実感させられた。正直、恋愛の何が楽しいのかとすら思っていた。それでもなまえと付き合い続けているのは、結局「好き」という自分でも制御できない気持ちがあるからなのだろう。

「そういえばずっと訊きそびれてたんだけど」
「なんだ」
「匡貴くん、私のこと大切に想ってるから手出せなかったんだよね?」
「……だったらどうした」
「手出してみて、どうですか?」

 あっけらかんと尋ねてくる女に、内心頭を抱えた。実際には無言でなまえをじとりと睨むだけにとどまっているわけだが、それにしたって、なんとデリカシーのない質問をしてくるのだろう。大体、それを訊いてどうするというのか。俺には質問の意図がわからなかった。
 無言を貫く俺に「答えてくれないの?」「答えられないような感想ってこと?」と、無駄にぐいぐい身体を密着させてくるなまえ。これにはさすがに顔を顰めた。不快だからではない。なまえの危機感のなさに辟易したからだ。

 大切に想っているから手を出せなかった、というのは、正確には間違っている。手を出せなかったのではない。手を出さないように努めていたのだ。
 生まれてこのかた、俺には女性経験がなかった。先にも言ったように、そもそも興味がなかったし、俺には一生縁のないことだと思っていたから、その手の話を情報として吸収しようと考えたこともなかったのだ。だから正直なところ、どれぐらい付き合ったら手を出してもいいものかわからなかったというのもある。しかしそんなことを周りの人間に相談するわけにはいかないし、調べたところで個人差があることは明確。そこで俺は、なまえから踏み込んだ話をされるまで待つことに決めたのだった。
 幸いにも付き合い自体は順調だ(と思っていた)し、俺のこのやり方で問題ないだろう。そう思っていた矢先に、太刀川とのやりとりを目撃した。あの場でトリガーを起動させて太刀川にアステロイドをぶちかまさなかったのはかなり理性的な判断だったと思う。紆余曲折あったとはいえ、それがキッカケになってなまえとの関係は良い方向に深まったわけだが、それはそれとして、なまえは時々突拍子もなさすぎる行動をとることがあって困る。
 処女だということを知らなかったから、もしそれが本当ならば今まで俺が考えていたより更に細心の注意を払って事に及ばなければならないと思い事実確認をしようとしたら不機嫌になられ、顔を見たくないとまで言われた。勝手に「そんなに好きじゃないだろう」と決めつけられて腹が立ち、冷静に話をしようと思ったら今度は別れ話を切り出されそうになった。こっちの気も知らないで急にセックスがしたいと言い出したり、意を決して泊まりに行ったら思いがけずなまえの裸を目にしてしまい段取りが狂わされたり、服を脱がせるところからシミュレーションしてきたのに思い通りに進まず、乱されてばかりだった。
 こうして羅列してみると、俺はなかなか散々な目に遭っているのではないだろうか。全てがなまえだけのせいだとは言わないが、それにしてもひどい有様である。
 しかしなまえは、俺が余裕をなくしている時の方が嬉しそうに見えた。今もそうだ。なまえに密着され答えに詰まっている俺の顔をじぃっと見つめている瞳は、やけに輝いている。これはもしかしなくても揶揄われているのだろうか。だとしたら悪趣味だ。加古にでも入れ知恵されたのかもしれない。

「どう答えてほしいんだ」
「私は率直な意見を聞かせてほしいだけだよ」

 無駄に無邪気な笑みを携えたなまえは、俺を煽っているようにしか見えなかった。ここは俺の部屋で、二人しかいない。イレギュラーゲートが発生し緊急招集がかかるような事態が起こらない限り、今ここで邪魔が入ることはまずないだろう。
 俺は小さく息を吐いた。なるほど。わかった。俺はなまえの誘いにのらなければならないということだな。もちろん嫌なわけではない。ただ、なまえの方から誘ってくるということは、それだけ欲求不満にさせているということかもしれないと思ったら、男として情けないと思っただけだ。
 ランク戦で俺がベイルアウトさせられることはほとんどないが、それでも時々戦略通りに事が進まないことがある。そういう時どうしようもなくなまえを求めたくなるのだが、それはただの八つ当たり、もしくは憂さ晴らしになるからと思い、自分を抑えてきた。しかし、もしかしたら抑える必要はないのかもしれない。自由奔放に、気ままに、深く何かを考える様子もなく俺を求めてくるなまえを見ていたら、そう思わされる。
 それでも俺はこれからも、なまえを想ってブレーキをかけ続けるのだろう。そうしなければ自分自身でもどうなってしまうかわからないから。とはいえ、求められた時は応じるより他ない。つまり俺が今なまえを引き寄せてなかば強引に自分の膝の上に跨らせているのは、不可抗力なのだ。

「手を出してみて良い感想を抱いていなかったらこうしてはいないだろうな」
「それは良かった」
「随分余裕そうだが今の状況がわかっているのか?」
「匡貴くんにだけは余裕そうとか言われたくない」
「……そうでもないんだが」
「え?」

 聞こえなかった、もう一回言って、匡貴くん。そう言って詰め寄ってくるなまえの後頭部に手を回し自分の首元に埋めてやった。今の俺はきっと「柔らかい表情」になっている。それを自覚して、そんな顔を見られるのが嫌で、そうした。これは逃げの策だ。
 それなのになまえは、嬉しそうに俺の首元にぐりぐりと頭を擦り寄せる。それに絆される俺は、男としてまだまだなのだろう。負けるのは心底嫌いだが、なまえが相手なら仕方がない。俺はその柔らかな髪をするりと撫で、頬を緩めた。自らの意思で。