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その世界は不可侵だった

※犬飼視点


 うちの隊長は思っていることが顔に出ない、所謂ポーカーフェイスがお得意な(というかそれが通常モードと化している)人だ。表情が乏しい、ちょっと人間味が薄い、という言い方をしたら悪口のようだが、決して悪い意味で言っているわけではない。むしろ敵に考えを悟らせないという意味では、非常に素晴らしい能力だと羨望の気持ちすら抱いている。いつも都合よく適当に笑って誤魔化すおれには、とても真似できない芸当だから。
 そんなわけで、たとえ彼女ができたってうちの隊長はそれまでと何も変わらないのだろうと思っていたのだが、その推測は大きく外れた。たとえ二宮さんであっても、恋に落ちたらおれたちと同じくただの男になる。それがわかってちょっと安心した。

 二宮さんの彼女であるなまえさんは、そこそこ真面目で、ちょっと鈍い。大きな声では言えないが、二宮さんも似たような性格だと思う。似た者同士だからこそ、お互い同じことを考えて同じことで悩んでそうだなあと、少し楽しみながら眺めていたのは秘密だ。
 表情にこそ出ないが、二宮さんはなまえさんのことがめちゃくちゃ好きだし、めちゃくちゃ大切に想っている。なまえさんの名前を聞いただけでぴくりと反応するし、食堂で見かけたという話を耳にしたら何食わぬ顔をして食堂の方に向かって歩いて行くし、防衛任務じゃない限り基本的に家まで送り届けているし。
 そんな二宮さんを知っているから、ボーダー本部近くのスーパーで仲睦まじく二人並んで買い物をしている姿を見かけても、何も不思議には思わなかった。ピチピチの大学生カップルというより、どこか熟年夫婦のような雰囲気を醸し出しているあたり、二宮さんたちらしいなあと微笑ましく感じる。二人は買い物に夢中で、おれの存在には気付いていない。
 そういえば二宮さんたちって二人きりの時どんな話してるんだろう。二人が付き合っていることは有名だが、二人きりで話しているところはほとんど見かけないし、見かけたとしても挨拶程度の会話を交わしているだけのような気がする。
 いまだにおれがここにいることは二人に気付かれていない。となれば、おれの好奇心が擽られるのは当然のこと。気付かれたらその時点で適当に誤魔化すことにして、ここはひとつ、ギリギリまで近付いて二人の会話を聞いてみようではないか。
 おれは自然な流れで二人に近付き、少し離れた位置から耳をそばだててみる。二人はそんなに大きな声で話しているわけではないが、なんとか聞こえそうだ。

「匡貴くんは何が食べたい?」
「何でもいい」
「それが一番困るって前にも言ったでしょ」
「なまえが食べたいものにしたらいいだろう」
「匡貴くんと食べる時は匡貴くんが食べたいものを作りたいの」

 なまえさんの言い分はごもっとも。しかし、あの二宮さんが論破されているのは、おれからして見ればレアなことだった。おれたち隊員の前で見せることのない少し困った顔をしているのも新鮮で辻ちゃんやひゃみちゃんにもぜひ見せたいと思ったが、さすがにここで写真を撮るわけにはいかないのでおれの記憶の中だけにとどめておくことにする。
 買い物カゴを持ってお肉を真剣に選んでいるなまえさんは、二宮さんからの返事はないと決め込んでいるようだ。もしかしたら買い物のたびに毎回この手のやりとりをしているのかもしれない。

「魚より肉だよねぇ」
「そうだな」
「生姜焼きでいい?」
「ああ」
「……ありがと」

 ちゃっちゃと豚肉を選んだなまえさんの手から買い物カゴを奪う二宮さんに、再び写真を撮りたい気持ちが膨らんでいく。だって、買い物カゴを持ってる二宮さんだよ? みんな見たくない? こんな所帯じみた二宮さん、おれたちと一緒にいる時には絶対見られないし。太刀川さんとか加古さんあたりが見たらゲラゲラ笑いそうだな。
 その後も、夜ご飯の材料となる食材をどんどんカゴの中に入れていくなまえさんと、それに大人しくついていく二宮さん。そしてその後ろをこっそりついて行くおれ。会話はほとんどなくて「味噌汁何いれる?」とか「豆腐あったっけ? 覚えてる?」とか、基本的になまえさんが二宮さんに話しかけるばかり。やっぱり、カップルというより夫婦みたいだ。
 最初は新鮮な光景だったが、ずっと見ていると慣れてくるもので、おれはこの十数分で尾行にあきてきていた。レジに並んでいるから、あとは会計をすませて帰るだけだろう。
 さて、じゃあおれもそろそろ帰ろうかな。そう思ってその場を離れようとした時だ。走ってきた五歳ぐらいの男の子が二宮さんの足にぶつかった。しかも最悪なことにその手にはアイスキャンディーを持っていたものだから、二宮さんのズボンはアイスでびしょ濡れである。
 うわあ。二宮さんどうするんだろう。さすがに見ず知らずの男の子を怒鳴りつけたりはしないと思うが、睨みつけるぐらいはしそうだな。ていうか、おれなら睨みつけられなくてもその雰囲気だけで涙目になりそうだけど。
 二宮さんのオーラに恐れ慄いてか、アイスキャンディーが食べられなくなってしまったことがショックだからなのか。理由は定かではないが、案の定と言うべきか、男の子は目をうるうるさせて今にも泣きそうになっていた。ああやばい。男の子の親はどこにいるのだろうか。

「ご、ごめんなさい……」
「…………一人か」
「おかあさんときた」
「そうか」

 意外にも二宮さんは普通に男の子と会話をしていた。しかも怒るどころか、男の子の心配をしている様子だ。二宮さん、子どもは苦手そうだけどそうでもないのかな。
 とはいえ、二宮さんはいつもの仏頂面……もとい、ポーカーフェイスのままだから、男の子は身体を強張らせたまま。そんな男の子の前にしゃがみ込んだのはなまえさんだ。にっこり笑って「痛いところない?」と話しかけただけで男の子の強張りが解けていくのがわかる。

「だいじょうぶ」
「そっか。よかった」
「おにいちゃん、おこってない?」
「怒ってないよ。ね、匡貴くん?」
「ああ」
「ふく、よごしちゃってごめんなさい」
「そんなことよりアイスはいいのか」

 男の子は「うん」と言いながらも表情を曇らせる。そこへやっと男の子のお母さんがやって来て、二宮さんとなまえさんに謝り始めた。それに対して、二宮さんもなまえさんも「大丈夫です」という返事を繰り返している。
 そして漸くお母さんが謝り倒すのをやめたところで、二宮さんが動いた。ポケットをごそごそして財布を取り出し何をするのかと思いきや、五百円玉を取り出して男の子に差し出したではないか。男の子もお母さんも、そしてなまえさんも、この行動にはびっくりしている。

「これで新しいアイスを買え」
「いえ、そんな、」
「次は駄目にするな。わかったか?」
「……うん! ありがとう、おにいちゃん!」

 断ろうとしているお母さんの言葉を遮って渡した五百円玉で、男の子は笑顔になる。そしておれは見逃さなかった。なまえさんが二宮さんのことを愛おしそうに見つめて微笑んでいるのを。
 お母さんは何度もお礼を言って男の子とともに去って行った。残された二人が顔を見合わせて、なまえさんが笑う。二宮さんはこういう時でも表情を変えない。けど、なんとなく気まずそうというか、照れているように見えた。

「匡貴くん、子ども苦手でしょ」
「得意ではない」
「でも今の対応はまあまあ良かったよ」
「まあまあ?」
「表情が硬い」
「大きなお世話だ」
「笑ったらだいぶ印象変わるのに」
「……大きなお世話だ」

 言いながら、ふっ、と。二宮さんが笑った。本当に一瞬、確かに笑った。しかしおれはその表情を、見なかったことにする。あの顔はおれが見ちゃいけないものだと思ったからだ。
 あの表情はなまえさんにだけしか見せない顔。なまえさんが相手だから許して見せたもの。だからおれが盗み見るのはタブーだった。そんな気がする。
 その後の二人がどんな会話をして、どんな表情をしていたのか、おれは知らない。ずっとこそこそ尾行していたくせに今更だが、二人の世界は二人だけのものだと思いしったから。
 あーあ。おれも彼女ほしくなっちゃったなあ。