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夜の始まりはいつからだった?

 気分が落ち着いた私は、寝間着と下着をきっちり身に付けて、彼が待つベッドのある部屋に戻った。彼は相変わらずベッドに背を預けるような格好で片膝を立てて座っていて、私が部屋に入るなりこちらに視線を寄越す。
 私は咄嗟に「お待たせ」と口走ったけれど、彼が本当に私の帰りを待ってくれていたのかは分からない。ただ、何かしらの段取りがあるらしいということは分かったので、私は特に追求することもなく彼の隣に腰を下ろした。

「寝ないのか」
「二宮くんの段取りに合わせる」
「どういう意味だ」
「そのままの意味だよ」

 彼の視線が突き刺さっているのを感じる。けれど私は素知らぬ顔をして、体操座りをしている自分の足の爪先を見つめていた。

「じゃあ寝ろ」
「え」
「俺用の布団はないのか」
「……ないけど」

 これは真っ赤な嘘だ。本当は来客用の布団セットが一式、押入れの中に眠っている。けれどもその事実をバカ正直に伝えて彼のお目当てである布団を引っ張り出してきてしまったら、今夜彼と同じ布団の中で身を寄せ合って眠るというドキドキワクワクのイベントが消失してしまう。それは避けたい。
 彼は私の返答に対してあからさまにむっと顔を顰めた。仮にも恋人である私と同じ布団に入りたくないというのだろうか。彼の段取りが分からない私は、次に彼がどんな言葉を発し、どんな行動を取るのか、黙って見守ることしかできない。

「今日どうやって寝るつもりだったんだ」
「普通に、一緒に」
「男と女が一緒に寝るのは普通のことだと思っているのか」
「恋人なら普通でしょ」
「……お前は本当に処女なのか?」

 どうしてこの流れで処女であることを確認されなければならないのか。今度は私がむっとした表情で彼へと視線を向ける。

「そうだけど。それが何か問題?」
「問題はない」
「じゃあどうして確認してきたの?」

 普段きっちりした服を身に纏っている彼にしてはラフな寝間着姿。こんな姿を見ることができるのは恋人だけの特権だと思う。今まで彼と付き合ってきた女の子達もこういう姿を見たことがあるのだろうか。
 そんなことを考え始めてしまったところで、私は強制的に思考回路を停止させた。今までのことを気にしていてはいけない。大切なのはこれから私が彼とどういう関係を築いていくか、ということなのだから。

「……寝るぞ」
「え、うん……」

 彼は私の問い掛けに答えることなく立ち上がると、座ったままの私を見下ろしてきた。どうやら先に布団に入れという意味らしい。
 私はのそりと立ち上がってもぞもぞと布団に入り込むと、壁際に寄って彼が入ってくるスペースを作った。彼はガタイがいいというわけではないし、どちらかというと細身ではあるけれど、身長が高くそれなりに男性らしい体付きをしていると思うので、このシングルベッドに私と並んで寝るには、どれだけ寄っても狭く感じるだろう。
 まあ私にとっては、もっともらしい理由で彼とくっ付けるチャンスだ。元々そういう邪な気持ちがあったことは否めない。こんな思考パターンだから、彼に「本当に処女なのか」と確認されてしまうのだろう。

 もぞり。私の隣のスペースに彼が入り込んできた。どくり。心臓が跳ねる。腕と腕がぶつかってどちらからともなく離れたけれど、またすぐにぶつかって、結局触れ合ったままで落ち着いた。いや、心情的には全く何も落ち着いていないけれど。
 お互い仰向けで行儀良く天井を見つめたまま布団に埋れている構図は、傍から見ればさぞかし滑稽だろう。しかし幸いなことに、今この空間には彼と私の二人しかいないから、この状況を笑う者は誰一人として存在しなかった。
 彼の服と私の服という薄くて頼りない布二枚の隔たりを通り越して、彼の温度が時間をかけてじんわりと伝わってくる。その温度の高さに比例するように、私の鼓動が速くなっていく。
 ごそ。私は身体を僅かに捩って、思い切って横向きになった。壁に背を向けて彼の方へ身体を向けたのだ。それによって彼と腕が触れ合うことはなくなったけれど、ほんの少し近付いたら彼の胸元に顔を埋めることができそうな状態になった。
 ここで勇気を出してぺたりと引っ付いたらどんな反応をされるだろう。また先ほどと同じように「本当に処女なのか」と怪訝そうに尋ねられるだろうか。それとも、何のリアクションもされないだろうか。
 何だって良い。拒絶されなければ、何でも良かった。

「電気は消さなくて良いのか」
「あ、そうだね。ちょっと待って」

 彼に飛び付く直前にそんなことを言われたものだから、少し声が上擦っていたかもしれない。しかし私は下手に取り繕うことはせず、何食わぬ顔でほんの少しだけ上半身を起こすと、ヘッドボードに置いてあったリモコンで電気を消した。
 普段真っ暗な部屋で寝るのでいつも通りに消してしまったけれど、これでは目が慣れるまで暫くは何も見えない。そう、彼との距離感も気配でしか分からないのである。

「二宮くん、真っ暗で大丈夫?」
「ああ」
「何も見えないね」
「見えなくても気配があれば十分だ」
「何が十分なの?」

 またしても返答はなし。彼の表情を窺い知ることができないことで、先ほどよりも不安が増す。
 そんな時だった。何かが私の後頭部に回されて、ゴツンと彼の胸板に引き寄せた。何か、って、そんなの彼の手であることは明白だ。つまり私は、彼に頭を引き寄せられたということになるらしい。
 どくどくどく。鼓動は本日最高記録の速さで脈打っていて、これ以上テンポが上がったら心臓が爆発するんじゃないかと思うほどだ。

「に、にのみやくん、」
「なんだ」
「近くない……?」
「離した方が良いならそうする」
「そういうわけじゃないけど、」

 彼の声はいつも通り落ち着いていた。慌てふためいている私が馬鹿みたいだと感じるほど、彼は淡々としている。しすぎている。
 今までこんなに近付いたことはない。触れ合ったこともない。ドキドキするのは当然だ。しかし彼は、ちっともドキドキしていない様子。なぜだろう。私が思い付く答えは一つだけ。今までにこの状況と同じようなことを何度も経験しているから。
 私以外の女の子にもこんな風に触れたのだろうか。こんな風に力強く、それでいて優しく引き寄せたりしたのだろうか。考えないようにしていても、いちいち頭の隅でチラつく。

「二宮くん」
「今度はなんだ」
「キス、しよ」
「……急にどうした」
「どうもしない」

 余計なことは考えたくなかった。だから彼のことだけで頭をいっぱいにしたくて、我ながら支離滅裂なお願いをしてしまったのだ。
 私の唐突なお願いに、彼は少なからず動揺しているようだった。それこそ、見えずとも気配で分かる。

「キスするの嫌?」
「……まったくお前は……俺の段取りに合わせるんじゃなかったのか」
「だってこのまま寝ちゃうのは嫌なんだもん」
「誰が寝かせると言った?」
「え、」

 私は勘違いしていたのかもしれない。「寝ろ」と言われたから、てっきりそのまま健全に朝まで寝るだけだと思い込んでいたけれど、そういう意味じゃなかったのだとしたら? これからが彼の「段取り」の始まりだったとしたら? どくどくどく。また思い出したように、心臓が騒ぎ始める。
 彼がこちらを向いたのが気配で分かった。頬を彼の骨張った指が滑る。擽ったいなどと思う余裕はない。だってこんな空気、今まで感じたことないんだもの。

「二宮くん、」
「最初から寝かせるつもりはない」
「それって」
「なまえが望んだことだろう?」

 後戻りはできない。させるつもりもない。そう言われているようだった。けれど、追い詰められてしまったとは感じない。それはきっと彼の口付けがこれまでされてきたどんな口付けよりも熱くて優しかったからだと思う。