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 自分でも奇怪な行動を取っているという自覚はある。女から食事に誘われホイホイ予定を取り付けるなんて、どう考えたっておかしい。おかしいのだが、俺は自分が嫌々何かをする性格じゃないことを十分すぎるほど理解している。だから、納得はできないが、女との食事は俺の中の「嫌なこと」に該当していないのだと思う。
 金曜日の夜七時。指定されたホテルのロビーに行くと、女は既にソファに腰掛けて待っていた。ホテルディナーだからだろう。普段着とは言えない小綺麗な黒いドレスにヒールの高い靴という格好。それがどうにも見慣れなくて、不覚にも若干視線が泳いだ。
 俺に気付いた女が、ソファから立ち上がってこちらにやって来る。歩みを進めるたびにカツンと響く靴音は、やはり慣れない。

「スーツとか着るんだ」
「そっちも人のこと言えねえだろ」
「お互い馬子にも衣装って感じ」
「一緒にすんな!」
「ネクタイした方がキマるのに」
「ほっとけ!」

 首元が締まるネクタイは昔から苦手だ。必ず正装で、と指定された時は渋々身に付けるが、そうでなければ絶対に身に付けない。
 そんなエピソードをいちいち説明する必要はないだろうと判断し適当にあしらえば、女はそれ以上つっこんでこなかった。この女のこういうところが、面倒臭くなくて楽だと思う。
 俺の前で「エレベーターどこだろう」とキョロキョロしている女を尻目に、感覚的にこっちだろうと思う方へ足を向ける。すると、俺が向かう方に目的のエレベーターを発見した。

「おい。こっち」
「エレベーターそっちにあったん、!」
「ばっ……!」

 俺の声で振り向き二、三歩進んだところで、何もないのにつまづいた女の腕を咄嗟に掴む。お陰で派手に転けることはなかったが、危うく大惨事になって食事どころではなくなるところだった。
 まったく、勘弁してほしい。ドジで抜けている印象はさほどなかったが、もしかして隠しているだけだったのだろうか。女が「ごめんなさい」と言いつつ体勢を整えたのを確認して手を離す。見る限り、足を挫いた様子はなさそうだ。

「そういえば誘っておいてこんなこと言うのもなんだけど、私とこんなところで食事しても大丈夫?」
「なんで」
「一応有名なヒーローだから」
「一応じゃねーわ!」
「変な噂が流れたら困るのかなって」
「俺の話聞いてんのか!」
「そっちこそ、私の話聞いてる?」
「……噂されるようなことしてねンだからいいだろ」
「有名ヒーローさんがそう言うなら安心しました」
「馬鹿にすんな」
「してないよ」

 エレベーターに乗りレストランに着くまでの僅かな時間、やり取りしたのはそれだけだった。通された席は窓際で、無駄に夜景が綺麗に見える位置。指定したわけではないらしいが、こういう場所はあまり好きではない。女の方も居た堪れないのか、少し落ち着かない様子でメニュー表を眺めている。
 それから何を言い出すかと思えば「メニュー選んで良いよ」ときたものだから思わず眉を顰めた。面倒事を押し付けやがって、と思ったが、こんな場所で大声を張り上げるのはさすがに気が引ける。ということで、結局この手のホテルディナーの料理は美味いのかどうかを判断できるほどの量が食えないので、どれを頼んでも同じだろうと踏んで、適当なコースメニューを頼んだ。
 ご丁寧に一品ずつちまちまと運ばれてくる料理を、大体一口で平らげていく。会話はほとんどない。時々女が「美味しい」だの「これ何だろう」だのぽそぽそ呟くのを、俺が拾ったり拾わなかったり。それでも不思議と居心地が悪いとは思わなかった。
 コース料理も終盤に差し掛かり、残すのはデザートのみ。腹に空きはあるが、甘いものを押し込みたい気分ではない。女が欲しいと言えば、俺の分も食わせるか。そんなことを考えていた時だった。

「お、お客様、何を、」
「全員伏せろ! 言うこと聞かねぇ奴がいたら撃つぞ!」

 入口の方が騒がしいと思ったら、どうやらヴィランが襲撃してきたらしい。わざわざ大声を張り上げて自分がヴィランだと主張している男の右手には、鈍く銀色に光る銃が握り締められている。その銃が本物なのか、はたまたクソヴィランの“個性”に関連したシロモノなのか。現段階では判断できない。
 客も店員も、ひとしきり悲鳴をあげた後は皆ヴィランの言う通り身体を床に伏せている。そして俺はというと、身を屈めつつテーブルの陰に隠れるようにしてヴィランに近付いていた。
 このヴィランも運が悪い。俺みたいなプロヒーローがこの場に偶然居合わせるなんて、夢にも思っていないだろう。幸いにも、俺がゆっくり近付いていることは気付かれていない様子。となれば、ヴィランがこの場の誰かに危害を加える前に、さっさと拘束してやるのが得策だ。
 どうやら金目的の強盗のようで、ヴィランは入口のレジカウンターで店員に「金を入れろ」と鞄を投げ付けている。クソくだらねェ理由で俺の飯の時間を邪魔しやがった罪は重い。覚悟しやがれ。
 あともう少し。五秒もあれば制圧できる、というタイミングで、ハプニングが起こった。俺たちのすぐ近くの席にいた幼稚園児ぐらいのガキが急に立ち上がり、泣き始めたのだ。
 親は必死になって泣き止まそうと努力しているが、恐怖のあまり泣き止み方を忘れてしまったのか、ガキの泣き方はどんどんエスカレートしていく。そしてそれに比例して、ヴィランの神経は逆撫でされていくようだった。

「そこのクソガキ! それ以上泣くようなら撃つぞ! 死にてぇのか!」
「待ってください! 今泣き止ませますから! この子だけはどうか、お願いします……」
「うるせぇ! 親子まとめて殺してやろうか!」

 俺が言うのもなんだが、随分と短気な性格をした奴である。このままでは怪我人、最悪の場合は死人が出てしまいかねない状況だ。腹立たしいが、俺一人でできることには限界がある。確実にヴィランを仕留めるためにはもう少し近付きたいところだが、そうも言っていられないか。
 ガチャリと銃口が泣きじゃくっているガキに向けられて、いよいよ飛び出すしかないと脚に力を込めた刹那、誰かがガキの前に立ち塞がった。両親ではない。俺は目を疑う。その誰かとは、先ほどまで俺の目の前で飯を食っていたあの女だったのだ。あのクソバカ女!

「なんだ? 殺されてぇのか?」
「こんなことしたって、あなたはすぐに捕まる」
「なんだと?」
「なんのためにヒーローがいると思ってるの? あなたみたいな人を野放しにしないためよ」

 わざと逆上させるようなことを言っているのは、俺が奴に近付く時間稼ぎをするためだと思いたい。そうでなければ本当にただのバカだ。
 女に向けられる銃口。しかし女は怯まない。それに余計腹を立てたのか、ヴィランの額に青筋が浮かんだのを俺は見逃さなかった。
 迷っている暇はない。今動かなければ。俺は最速のスピードでヴィランのところまで駆け抜け、銃を吹っ飛ばした。突然の襲撃に何が起こったのか理解できなかったのか、ヴィランは呆気なく俺に制圧されてくれて、漸く緊張の糸が解ける。
 時間にしたら、ほんの数分の出来事。しかし、五時間ぐらい働いた時と同じぐらいの疲労感があるのはなぜだろう。理由はわからないが、ここ最近の仕事での現場より数倍緊張感があったのは確かだ。

 それからほどなくして、通報を受けた警察がヴィランを引き取りに来た。顔見知り程度の刑事に事の経緯を説明し、女の元に戻る。
 女はやっとのことで泣き止み始めたガキに「怖かったね。頑張ったね」と声をかけながら頭を撫でてやっているところだった。両親がペコペコと何度も頭を下げているのに対し「大丈夫ですよ」などと言っているが、何が「大丈夫」なのか。
 下手したら死ぬところだった。一般人が飛び出して良い状況ではなかった。それなのに女はヘラヘラ笑いながら「大丈夫」と言う。ガキの頭を撫でる手を微かに震わせながら。

「オイ」
「あ。ほら、さっき助けてくれたヒーローのお兄ちゃんだよ」
「お兄ちゃんありがとう」

 我ながらドスの効いた声で呼んだというのに、不覚にもガキにほんの少し毒気を抜かれた。続いてガキの両親にも何度も礼を言われ、女をこの場で咎めることはいよいよ難しくなる。
 礼を言われる覚えはない。俺はヒーローとして当然のことをしたまでだからだ。それならこの女は? ヒーローでもないのに、どうして自分の身をなげうった? それが、わからない。

「テメェは死ぬつもりか」

 ガキどもと別れ帰路につく道すがら、俺は漸く女に苦言を呈することができた。本当なら「何やっとんだてめェは!」と怒鳴るつもりだったが、事件から少し時間が経ったせいか俺も少しずつ冷静になってきているようで、思っていたよりも静かに切り出すことができて自分でも驚いている。

「私には“個性”関連の攻撃は効かないから、」
「“個性”以外の攻撃なら普通に食らうだろーが!」
「合気道習ってるの。だからそれなりに護身はできるかなって」
「銃相手じゃンなもん意味ねェわ!」

 楽観的なのか何も考えていないだけのバカなのか、それともそれ以外の何かが原因なのか。どうにも女は、自分のことをどうやっても軽視したいようだった。
 二度と同じようなことはするな。そう釘を刺そうとした俺より先に、女が口を開く。

「それに、あの場にはあなたがいたから。絶対に助けてくれるような気がしたの」
「あァ?」
「だってあなた、ヒーローなんでしょう?」

 ふざけんな。勝手に命あずけてんじゃねェよ。ヒーローをなんだと思ってんだ。
 そう言えば良かった。普段の俺なら言っていた。しかし、女に対しては言えなかった。
 女は今「ヒーロー」を頼っているような発言をしたが、実際のところ助けられるのを当たり前だとは思っていない気がする。だから、あんな無茶な行動に出たのだろう。振り返って、思う。あれはまるで、自分のことは自分で守るのが当然だと身体に染み込んでいる人間の動きだった、と。
 確かに、女の“個性”があれば大抵の攻撃は防御できるかもしれない。合気道を習っているなら、それこそ物理的な攻撃にも太刀打ちできる可能性は高いだろう。
 しかし、それは絶対じゃない。女は全てが終わった後、震えていた。ガキも、ガキの両親も気付いていなかっただろうが、その程度の微かな震えだったが、震えていたということは恐怖を感じていたということに他ならない。
 女は怖かったのだ。指摘しても認めないかもしれないが、命の危機にあることを理解していた上で、銃口を向けられても逃げなかった。無意識に自分の“個性”に頼っているからなのか、女は自分の危険を顧みないのが常態化しているように思えてならない。

「腹へった。飯付き合え」
「さっき食べたのに?」
「あんなもん腹の足しになんねえわ」
「デザート食べそびれたから、デザートがあるところなら付き合う」
「ラーメン屋」
「私の話聞いてないの?」

 この女の危うさは、果たして“個性”だけが原因なのだろうか。俺が気にするようなことではない。しかし、弱さを見せまいとしているような女の姿がなんとなく自分自身の姿に重なって見えて、気にせずにはいられなくなってしまった。
 ラーメンを食いながらなら、少しは会話が弾むのだろうか。そんなことを考えている俺は、やっぱり、どう考えたっておかしい。


絶対、なんて絶対にない