×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

 私は父の推薦で今の職場に勤めている。推薦、と言えば聞こえは良いけれど、それは実質、鳥籠の中に入れられたようなものだった。
 正直なところ、私は普通に就活をして、自分の力で自分が選んだ職業に就きたかった。それがたとえ上手くいかず苦労する道になったとしても、自分が納得して選んだ職業なら、やり甲斐をもって、自分自身の責任で頑張りきれると思っていたからだ。
 しかし私には選択の自由など、当然のごとく与えられなかった。一度、危険な目に遭った。それも生死に関わるような危険である。だから父は自分の目が行き届くところに私を就職させ、不測の事態にも最速で対応できるようにしたいと考えたのだろう。
 過保護だと思う。私だって大人になった。あの頃とは違う。“個性”の使い方だってそれなりにわかっている。物理的な攻撃にも太刀打ちできるよう合気道も嗜んだ。だから、自分の身は自分で守れる。そう言って突っ撥ねることもできた。けれど私はそうしなかった。
 自分の身に何が起ころうとも、それは仕方のないことだ。そんな考え方をしているから、例えば死の危険が迫るような事態に陥ったとしても、恐らく私はそんなに動揺しないと思う。
 けれども、私が身勝手な行動を取ったことによって、傷付かなくても良い人が傷付いてしまったら? 失わなくても良い命を失うことになってしまったら? 私はきっと耐えられない。あの時の悪夢が蘇る。だから私は、自ら鳥籠の中に入ることを選んだ。
 全く後悔していないと言えば嘘になるけれど、この選択が間違っていたとも思わない。これで良い。波風立たず穏便に、平和に。それを皆が望んでいるなら、私の気持ちなんてどうでも良い。

 職場で(主に女性社員から)好き勝手言われていることは知っていた。「コネ入社は楽で良いわよね」とか「立派な“個性”をお持ちならヒーローになれば良かったのにね」とか。彼女たちの言い分は理に叶っていると思うから、反論の必要はない。それに、そもそも私は誰に何を言われようがどうでも良いのだ。
 だから見て見ぬフリ、聞こえぬフリを決め込んでいたというのに、彼はそれを良しとしなかったらしい。私が陰口を言われているのを聞いて、彼がわざわざ注意してくれたらしいと小耳に挟んだのは、その件から一週間以上経過してからのことだった。
 彼は面倒事に首を突っ込まないタイプだと思っていたのだけれど、実はそうでもないのだろうか。一度お見合いをした顔見知り程度の女をいちいち庇うメリットは、彼にはないはずだ。となれば、彼を突き動かしたのは、きっと正義感とか良心とか、そういう、私が持ち合わせていない感情なのだろう。ヒーローとは根本的に、お節介な生き物なのかもしれない。
 どんな意図があったにせよ、私は彼に庇われた。彼にそのつもりはなかったかもしれないけれど、結果的には守られたということになるわけだ。そう解釈してしまうと、なんとなくお礼をした方が良いような気がしてきて、私は先ほどから数分間、母親からもらったホテルのディナー招待券と睨めっこをしている。

 彼と同じように「そういう気分だったから」というわけのわからない理由で食事に誘うのは、私のキャラ的に不自然だ。となると、素直に「庇ってくれたお礼に」と声をかけるのが無難だろうか。
 誰も庇ってくれなんてお願いしてないけど。放っておいてくれて良かったけど。……なんて可愛くないことを言うのはやめよう。もともと可愛い女じゃないけれど、今回はそういう問題ではなく。
 私はスマホを取り出して彼の連絡先を表示した。彼の性格上、私の誘いにホイホイと乗っかってくるとは思えないから、断られたら「はいそうですか」と引き下がれば良い。心配せずとも断られるだろうし、こういうのは「何かお礼をしようとした」という気持ちが大切だ。私は彼に限らず、誰かに「守られる」「庇われる」だけの女になりたくない。ただそれだけなのである。
 メッセージアプリを起動させて、ご丁寧に「こんにちは」という挨拶を打ち込んだ私は、直後にその五文字を全消しする。彼は「用件だけ言えや」というタイプだろうと判断したからだ。
 失礼かなと僅かに躊躇しつつも、結局「ディナー招待券をもらいました。使わないと勿体ないので今度は私に付き合ってください」という、なんとも失礼且つ愛想のない文章を送ってしまった。まあ失礼なのも愛想がないのもお互い様というか、私より彼の方が酷いと思うからよしとしよう。
 きちんと送れたことを確認していたら、なんとびっくり。既読マークがついた。たまたまスマホを見ていたのだろうか。まだ仕事中だと思ったのにな、と呑気にスマホの画面を眺め続けていたら、彼から着信がきた。え。早くない?
 そういえば彼は前回私に「見たらすぐに返事しろや」と物申してきた。なるほど。人に指摘するだけのことはある。私はなかば感心しながら通話ボタンを押した。

「もしもs」
「いつ」
「はい?」
「飯」
「え?」
「招待券。期限あんだろ」

 電話に出る時の常套句である「もしもし」を最後まで聞くことなく単語のみで会話しようとするものだから、こちらも疑問符ばかり並べてしまった。しかし、やっとのことで飛び出した単語ではない文章に、私は漸く理解する。
 どうやら彼は私の誘いに乗ってくれるつもりらしい。意外だ。「何が楽しくてテメェと何回も飯食いに行かなきゃなんねンだよ」とでも言ってくるとばかり思っていたのに。誘ったのは私だけれど、まさか本気で行くことになるとは思っていなかったので、自分の予定を確認できていない。ついでに招待券の有効期限も未確認だ。

「えーと、今月一杯なら大丈夫……だったと思う」
「確認してから連絡してこいや」
「だって行くと思わないし」
「売られた喧嘩は買う」
「喧嘩売ったわけじゃなくて食事に誘ったつもりなんだけど」
「なんで」
「……ホテルのディナー招待券が無駄になるのは勿体ないから」
「誰かに譲るなり俺以外の奴を誘うなりできンだろ」

 彼は感情に身を任せて怒鳴り散らすわけのわからない男だと思うこともあるけれど、妙に冷静で賢いと思わされることもある。洞察力に長けているというか、根本的に頭の回転が早いというか。だからどうもペースが乱れる。
 彼の意見はごもっとも。ホテルのディナー招待券を無駄にしたくないという理由だけなら、彼を食事に誘う必要はない。私は正直に理由を伝えることにした。彼に変な取り繕いをしても無駄だろうから。

「一応、庇ってくれたお礼も兼ねてるの」
「庇った?」
「事務所に来た時、私が色々言われてるの聞いて注意してくれたって」
「庇ったわけじゃねえ」
「そう言うと思ったけど、今まで注意してくれる人とかいなかったし。注意してくれたお陰かはわからないけど、最近あんまりコソコソ言われなくなったし」
「次なんか言われたら殺せ」
「ヒーローとは思えないこと言うね」

 あまりにも物騒なことを言うものだから一周回って面白くなってきて、私は思わず電話口で笑いを零してしまった。有名なプロヒーローが「殺せ」って。普通言わないし言っちゃ駄目でしょ。プロヒーローじゃなくても駄目だとは思うけど。
 私の笑いをどう受け取ったのか、彼はそれに関して何の反応も示さずに「で? いつにすんだよ」と話を進めた。どうやら理由を聞いた上で、それでも尚、誘いに乗ってくれるつもりのようだ。彼は案外、義理堅いタイプなのかもしれない。

「私はいつでも」
「来週の金曜か土曜」
「じゃあ金曜日」
「時間と場所は」
「ホテルのロビーに七時ぐらい?」
「ホテルの名前と位置情報」
「後で送る」
「ん」

 必要事項の確認だけという、もはや業務連絡と変わらないやり取りをして、「じゃあまた」などの挨拶すらなく、電話は呆気なく切れた。
 お見合い直後の私なら、なんて不躾な人だろうかと憤慨していたかもしれないけれど、今の私は「彼はそういう人だから仕方がないな」と納得してしまっているから、慣れとは恐ろしい。もっとも、慣れることができるほど、彼と関わってはいないのだけれど。
 来週の金曜日。夜七時。スマホのアプリの自分のスケジュール帳に予定を打ち込む。その流れで彼にホテルの名前と位置情報を送信する私の指先は、驚くほど軽やかだった。


こじつける理由は?