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 新しい年が始まって数時間。冷たい空気が気持ち良く感じる清々しい朝だった。今年はどんな一年になるだろうか。彼と出会ってから、私は確実に変化している。だから今年はきっと、今までとは違う一年になるはずだ。できることなら、今年も彼と平和に過ごせたらいい。
 そう思いながらテレビをつけたら画面いっぱいに彼の顔が映し出されていて「今年度に入って二度目の熱愛報道! 真相はいかに!?」というテロップが流れていた時の私の気持ちがおわかりいただけるだろうか。平和を願った直後にこの仕打ち。とんだ一年の幕開けである。そりゃあまあいつかはまたこういう日がくるかもしれないとある程度覚悟はしていたけれど、何も元日に報道しなくてもいいじゃないかと思ってしまう。
 以前と同じように迷惑をかけて申し訳ないと思いながら画面を見つめることしかできない私と違って、彼は大勢の報道陣に囲まれながら堂々と交際宣言をした。彼の事務所から頃合いを見計らってマスコミに発表しようと言われていたのに、クリスマスだからと浮かれて二人してコンビニに行ったりしたのがまずかったかもしれない……と、過去を振り返っても後の祭りだ。

「勝己くん、なまえのこと大事にしてくれてるのね」
「え?」
「手を出すな、って、きっとなまえのことを守るためのセリフでしょう? 普通テレビであそこまで言わないわよ。いいお相手を見つけたわね」

 一緒にテレビを見ていた母が機嫌良さそうに言うのを聞いて、全身がじんわりと熱くなるのを感じた。そうか。私はまた彼に守られているのか。大切にされているのか。そう思ったらすぐにでも会いたくなったけれど、報道があったばかりで彼に会うのは無理だろうと早々に諦めた。
 せめて声が聞けたらいいのにと思ったものの、仕事中なら邪魔をしてしまうかもしれない。いつ頃になったら仕事が終わるだろうか。スマホを握り締めて悶々としていた時にちょうど彼からの着信があったものだから、私はほぼ反射的に通話ボタンをタップしていた。
 まずは迷惑をかけてしまっていることを謝ろうとしたのだけれど、彼は私の思考も言動もお見通しだったのだろう。私が口を開く前に「謝ったら殺す」と物騒なことを言われてしまったので、言おうとした言葉を飲み込まざるを得なかった。
 そこからはあれよあれよと言う間に彼のペースにハマってしまって、タクシーで彼の家まで行き、結局お泊まりコース。もちろん嫌ではなかった。私は彼と一緒にいることを望んでいたから。
 しかし懸念していた通り、私が彼の家に入っていく様子はばっちり撮られていて、翌日の朝にはきっちり報道されたのだった。彼は「勝手に言わせときゃいいんだよ」と気にしていない様子だったけれど、私はどうしても気になってしまう。
 これからずっとこの調子で周りの目を気にし続けなければならないのだろうか。有名なプロヒーローと付き合っているのだから仕方がないと言えばそれまでだけれど、彼の相手が私のような女でいいのだろうかと、それだけはいつも不安でならない。
 そんな悩みを抱えたまま日々を過ごしていたら、いつの間にか一月下旬に差し掛かっていた。私の心配は杞憂に終わり、彼との熱愛報道は沈静化しつつある。最初の二週間程度は彼の周りにチラチラと記者の影が見えていたけれど、ここ最近はぱったりと見かけなくなった。きっと同じ話題を報道してもつまらないと判断したのだろう。
 定期的に会って、食事をして、時々彼の家に泊まって。私たちの関係が報道されてからというもの、彼はなんとなく機嫌がいい。それまでは無意識のうちに人目を気にしてコソコソしていた部分があったけれど、報道後は堂々と一緒にいられるようになって窮屈さがなくなったからだろうか。
 私も、彼と堂々と一緒にいられることは素直に嬉しい。しかし彼ほど手放しで喜べないのは、私が彼の隣にいる自分に自信が持てないからだと思う。彼の相手として相応しいのかどうか、誰からどう見られているのか、気にしないようにしようとしても気になってしまうのは、もうどうしようもない。

「今日は帰るね」
「……なまえ。話がある」

 いつものように夕食で使った食器を洗い終え手を拭いていた私を、彼はやけに真剣味を帯びた声音で呼んだ。改まって「話がある」と言われると、何かよくない話題ではないかと身構えてしまう。
 もしかして、ここにきてまさかの別れ話とか? いやいやそんな素振りは全くなかった。しかし、絶対にないとは言い切れないのが悲しいところ。愛されていないとは微塵も思わないけれど、私はどうやっても自分自身に自信がないままだから。こればっかりは彼がどうこうできる問題ではない。私の心の奥底に根付いているネガティブな思考をどうにかしなければ解決しないのだ。

「急に何?」
「前から考えてた」
「……何を?」

 話があると言われた手前帰る準備をするわけにもいかず何食わぬ顔で彼の隣に腰かけたけれど、私の心拍数は人知れず上昇し始めていた。私が座ったと同時にソファから立ち上がった彼。どうやら何かを取りに行ったようだけれど、私にはそれが何なのか見当もつかない。
 もし彼と結婚していたら離婚届を突き出されるのだろうと推察したくなるような空気だけれど、生憎私たちはそういう関係まで発展していないし、付き合っている男女が別れる時に必要な書類などはないはずだ。それならば私は今から何を突きつけられるのだろうか。
 嫌なドキドキを胸に彼がテーブルの上に置いたものを見た私は、目を数回瞬かせて固まった。そこにあるのは小さな鍵。たったそれだけ。それだけなのだけれど、私はそれがどれだけ大切なものかよく知っている。

「これ、勝己の家の鍵でしょ?」
「ああ。やっと用意できた」
「私の?」
「他に誰がいンだよ」
「でも、勝己がいない時に来ることは基本的にないと思うんだけど」
「定期的に来いっつー意味で用意したんじゃねェわ」

 え? じゃあどういう意味で用意したの?
 彼の意図していることが汲み取れず呆けていると、彼が少しイラついた様子で言葉を吐き出した。きっと、そんぐらいわかれや! とでも思っているのだろう。けれども私はそこまで察しがいい女ではないから、はっきり言ってもらわないとわからないのだ。

「ここに住めっつっとんだ!」
「私が?」
「当たり前だろうが!」
「ここで勝己と一緒に?」
「文句あンのか? あ?」
「それって同棲になっちゃうけど大丈夫?」
「大丈夫じゃねェ理由があったら教えてくれや」
「マスコミとか事務所とか、世間体的に……」
「ったく……毎度毎度、テメェは周りのことばっかりだな」

 ハッ、と鼻で笑った彼はそう吐き捨てると、テーブルの上に置いてあった鍵を乱雑に取り上げリビングを出て行ってしまった。バタンとドアが閉まる音が響いて、しーんと静まり返る部屋。それまでとは違う理由で心臓がうるさくなる。彼は私に怒っているのだろうか。……違う。あの顔は、幻滅している、ように見えた。
 私は何か間違ったことを言ってしまっただろうか。たぶん客観的に見たら何も間違っていないと思う。私は至極当たり前の指摘をしたはずだ。しかし、私と彼、二人だけの関係に焦点を当てたら、間違っていた。そのことに、ようやく気付く。
 付き合う前からそうだ。彼はいつも「私がどうしたいか」を尋ねてきていた。そのたびに私は迷って、悩んで、みっともなく思っていることをぶち撒けて、それを彼は上手に受け止めてくれて、一般的には、とか、周りの人は、とか、そういうことは全く気にせず、私の気持ちを優先してくれていた。
 今回もきっと、彼は「私がどうしたいか」確認したかったに違いない。それなのに私ときたら、この数ヶ月の間に何も成長していないせいで、彼の求めていない建前をつらつらと重ねるだけだった。だから彼は、私のことを見限ってしまったのだ。

 いつも彼から歩み寄ってくれるのを待つばかりのくせに、自分の中の「好き」を抑えきれなくなったら彼にぶつけて、彼にもそれと同じ気持ちを求めて、とんだわがまま女である。その上、彼の求めていることには気付きもしない鈍感女。周りの目を気にしているくせに、世間一般のことなんかちゃんとわかっていない面倒な箱入り娘。これじゃあ見限られても仕方がない。
 しかし、今までどんなことも執着せずに手放してきた私が、彼だけは譲れなくなっていた。だから、このままでいいわけがない。どれだけ自分に自信がなくたって、手放したくないなら踏み出さなければ。遅いかもしれないけれど、ちゃんと伝えよう。
 本当はすごく嬉しかった。一緒に住もうって言ってくれて。鍵を用意してくれて。一緒にいられる時間を増やそうとしてくれて。あなたのテリトリーに私を招き入れてくれて。私もあなたと一緒にいたいです。って。
 リビングの扉を開けて勢いよく飛び出す。と、足が何かにぶつかって転びそうになった。どうにか無様に転ぶことは免れたもののよろけながら後退した私を、足元の「何か」が支えてくれる。

「急に出てくんなや」
「そこにいると思わなくて……」

 リビングの扉の向こう側で蹲っていた彼こそが「何か」の正体だった。バツが悪そうにそっぽを向いている彼にお構いなしで、がばりと抱き付く。体勢を崩しながらもよろけることなく抱きとめてくれるのはさすがというべきか。

「どういう風の吹き回しだ」
「鍵ほしい」
「……なんで」
「勝己とここに住みたいから」
「それは本心か?」
「うん」

 まだ半信半疑といった様子の彼のぶ厚い胸板に回していた腕の力をぎゅっと強める。今まで素直に伝えられなかったぶん、少しでも本心が伝わるように。

「もし同棲してることがバレてダイナマイトの熱烈なファンに嫌がらせされたら守ってくれる?」
「誰に言っとんだ。当たり前だろうが。ンなことするヤツは問答無用でブッ」
「殺すのはだめだからね」
「チッ……お前は甘ェんだよ」
「鍵、用意してくれてありがとう。嬉しい」
「それなら最初からそう言えや」

 どこか不貞腐れたように言った彼が、やっと私のことを抱き締め返してくれた。どうやら私の気持ちは彼に届いてくれたらしい。
 父と母は許してくれるだろうか。相手が彼だから大丈夫だとは思うけれど、今まで実家から出たいなんて言ったことがないから、急に同棲しますと言い出したら少なからず驚かれるに違いない。

「お前の親には俺からちゃんと言う」
「いいよ」
「よくねーわ」
「勝己って意外と形式的なところ気にするよね」
「今後のこと考えりゃ当然だろ」

 今後のことって? と呆けたことを言うほど、私は馬鹿ではない。彼の考える「今後」に私がいる。そのことに頬が緩んで、ニヤけた表情を隠すために彼の胸板に顔を押し付けた。彼は何も言わず当然のようにその行動を受け入れる。私なんかよりずっと、彼の方が甘い。
 今だって自分に自信は持てないままだ。マスコミや彼のファンにチクチクねちねち嫌がらせをされたらどうしよう。彼にはできるだけ迷惑をかけたくない。そういう根本的な考え方は変わっていないけれど、でも、もっと正直に彼のことが好きな気持ちを優先してもいいのかもしれないって思えるようにはなったから。彼の甘さに甘えてみよう。


甘い毒の海に飛び込め