×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -

 お互い仕事があるし、たとえ土日に休みが重なったとしても、私と彼が会うのは決まって夜だった。もし彼との関係を公にしたら、あるいは白昼堂々デートができるのかもしれないけれど、私は今のところそうすることを望んでいない。おそらく彼も私と同じ考えなのではないかと思っている。
 個室がある店で夜ご飯を食べるか、彼の家に行くか。大半は前者なのだけれど、私は最近そのことで悩んでいた。このままの逢瀬の形を続けていて良いのだろうか、と。具体的には、これを機に私も一人暮らしを始めてみようかな、と。そんなことを考え始めてしまったのである。
 私は実家暮らしだから、二人で会うとなるとどうしても外か彼の家かという選択肢しかない。しかし私が一人暮らしを始めたら、そこに私の家という選択肢が加わる。だから何かが変わるのかと問われれば、それはまあ、今とあまり変化はないのかもしれないけれど、しいて言うなら私は今より自由になれるかもしれなかった。
 私は昔からずっとあの家を出たいと思っている。けれど、中学時代の一件以降、私は文字通りの箱入り娘とならざるを得なかった。両親の意図を汲んで、というのは勿論あるけれど、そもそも私にはあの家を出る理由がなかったのだ。
 しかし今はどうだろう。理由らしい理由ではないかもしれないけれど、少なくとも私は以前より自立したいと思うようになった。誰にも迷惑をかけたくないという後ろ向きな理由だけでなく、一人でも生きていけるようになりたいと考えている。それは間違いなく、彼に出会ってからの変化だ。

 彼は律儀にも毎回私を家の前まで送り届けてくれるけれど、家の中まで入ったことはない。もともとお見合いからスタートした関係だから、私の両親は彼が家に来たところで何も言わないだろう。というか、むしろ歓迎ムードになるかもしれない。いよいよ結婚か、と妙な期待をさせてしまう可能性もある。
 さて、それでは私たちは、この先結婚するのだろうか。お見合いからスタートし、紆余曲折あったが付き合うことになった。とは言え、まだその関係はほんの数ヶ月しか続いていない。彼は何か考えているのだろうか。もしものもしも、結婚することになるのだとしたら、私が一人暮らしを始める理由はなくなってしまうのだけれど、彼はきっとそんなことまで考えていないだろう。
 この関係の始まりは、私が彼に落ちてしまったから。彼は私を見捨てることができなかっただけ。つまり矢印は一方通行である可能性が高いのだ。そんな状態で結婚を見据えているとは到底思えない。

「オイ」
「うん?」
「何考えてんのか言え」
「そんな言い方しなくても」
「ぼーっとしてるお前が悪い」

 彼との食事中に考えることじゃなかったなあと思っても後の祭りだ。目敏い彼は、私が少しぼーっとしているだけで「何かを考えている」とわかってしまうらしかった。これではおちおち考え事もできやしない。今回は隠すようなことでもないからいいけれど、もしどうしても言いたくないことや隠しておきたいことがあったら、彼の前では気を付けなければ。

「一人暮らし始めようかなって」
「はァ?」

 食後のジンジャーエールを飲み干した彼は、あからさまに意味がわからないという反応を示した。眉間に寄せられた皺が深くなったところを見ると、彼は私の一人暮らしに反対のようだ。両親も絶対に反対派だろうから、この時点で私は自分が一人暮らしをする未来は訪れそうにないと察する。

「急にどうした」
「急じゃないよ。社会人になってからずっと一人暮らしはしたいと思ってた。けど、当然許してもらえなくて、反対を押し切ってまでする必要もないかと思って今の状態を維持してただけ」
「今までそうやって納得して実家にいたくせに、一人暮らししてェと思い始めた理由があンだろ」

 相変わらず痛いところを突いてくる男だと苦笑する。細かいところに気付いてしまうのは、単純に彼の頭の回転が早すぎるだけなのだろうか。それとも私の立ち回りが下手くそなのも関係しているのだろうか。彼に出会ってからの私は、どうも人としてポンコツになってきている気がしてならない。
 彼に適当な言い訳をしても意味がないことはわかっている。となれば、このままの流れで訊いてみても良いだろうか。私たちこの先どうなるのかな、って。曖昧すぎる問いかけだけれど、彼なら全てを理解して何かしらの返事をしてくれるような気がする。私がそれなりに納得できるような返事を。

「私たちって、」

 手元のウーロン茶を一口飲んで、そこそこ覚悟を決めて声を発した直後だった。スマホの着信音が鳴り始めて拍子抜けする。まったく、こんな時に誰だろう。画面を確認すれば、そこにはつい最近登録したばかりの人物の名前が表示されていた。
 瀬呂範太。この時間にわざわざ電話をかけてくるということは仕事関連の急務だろうか。私は彼に一言断りを入れて通話ボタンを押した。

「もしもし」
「あ、よかった、出てくれた。ごめん急に。瀬呂だけど。今大丈夫?」
「うん、大丈夫。どうしたの?」
「それが、この前用意した資料、こっちの手違いで不備があったみたいで。明日の朝一で揃えなきゃいけないから、今からか明日の早朝か、どうにかなんないですか」
「結構時間かかる?」
「いや、資料の差し替えだけ。ほんとごめん」
「わかった。今から事務所戻るよ」
「マジ? すげー助かる」
「じゃあ三十分後に事務所で」

 電話を切り彼に事の次第を説明し「じゃあ今日はここで」と言ったら、これでもかと怪訝そうな顔をされた。

「待っとく。家まで送る」
「でも爆豪、明日朝早いんじゃなかった?」
「すぐ終わるんだろうが」
「まあそうだけど……」
「行くぞ」

 急がなければならないのは私の方なのに、なぜか彼の方がちゃっちゃと準備を済ませて席を立つものだから慌ててその後を追う。もしかして帰り道のことを心配してくれているのだろうか。彼の気遣いに思わず頬が緩んでしまう。
 結局、私は彼とともに事務所に戻った。明日のために用意しておいた資料をデスクから取り出す。約束の時間まで、あと五分少々。瀬呂くんも間もなく到着するだろう。
 と、思っていた時だった。足音が聞こえて、おそらく瀬呂くんが来たのだろうと察する。すると、入口の傍の壁に背中をあずけ腕組みをして立っていた彼が顔を上げ、瀬呂くんの顔を見て驚きの表情を見せた。瀬呂くんも彼と同じく驚愕の色を示している。

「なんで爆豪がいんの?」
「それはこっちのセリフだ」
「え……二人って知り合いなの?」

 私の質問に、二人は顔を見合わせた。そして瀬呂くんが言う。

「俺たち高校の同級生」
「え! そうだったの!?」
「俺とみょうじさん、同じ中学校」
「は?」
「すげー偶然だなー」

 まさか彼と瀬呂くんにそんな繋がりがあったとは。そういえば雄英高校といえばヒーロー科が有名だ。プロヒーローの二人が同じ高校出身でもおかしくはない。
 彼の方も私と瀬呂くんとの意外な接点に驚いているようだったけれど、特に何かを尋ねてくる様子はなかった。まあただの同級生というだけだし、つっこまれて困るようなことはひとつもないから、何を尋ねられたって構わないのだけれど。

「で、なんで爆豪とみょうじさんが一緒にいんの?」

 瀬呂くんからのごもっともな指摘に、私はすぐ返事をすることができず口籠る。ちらり、彼へと視線を送ってみたけれど、彼が口を開く素振りはない。その態度はつまり、何も言わない方が良いということなのだろうか。私は当たり障りのない返事を瞬時に考える。

「実は爆豪さんとも仕事の関係でちょっと話があって」
「へぇ……そうなんだ」
「そんなことより書類は?」
「あ、そうだった。これこれ」

 苦しい言い訳だとは思ったけれど、強引ながらもなんとか仕事の方に話を持っていくことができた私は、ほっと胸を撫で下ろす。彼との関係を深く追求されることは回避できたから、とりあえず今日は何事もなく帰ることができそうだ。……と思ったのだけれど。用件はものの五分で終了したというのに、私たち三人の間にはなんとなく微妙な空気が流れている。

「終わったならさっさと行くぞ」
「爆豪は相変わらずだなー。女の子にはもうちょっと優しくしろって」
「うるせえ」

 不機嫌そうに先を歩く彼を追うような形で、私と瀬呂くんが後ろを歩く。高校の同級生というだけあって、彼と瀬呂くんのやりとりに違和感はない。きっとそれなりに仲が良かったのだろう。

「ほんとに助かった。ありがとう」
「どういたしまして」
「みょうじさん、いつか時間ある? お詫びに何か飯でも奢る」
「いいよ。瀬呂くんだけのせいじゃないんだろうし」
「まあお詫びっていうか、俺がみょうじさんと飯行きたいだけなんだけど」
「えっ」

 思わず大きな声が出てしまい両手で口を塞ぐ。前を行く彼との距離はそれなりに離れているけれど、この会話は聞こえただろうか。何の反応もないけれど、それが聞こえていないからなのか、聞こえていても口出しする必要がないと思われているからなのか、私にはわからない。もし前者だったら構わないけれど、後者だったとしたら。そう考えるだけでじくじくと胸が痛む。

「また連絡していい?」
「食事には行けるかどうかわからないよ」
「ダメ元で連絡する。家まで送んなくて大丈夫?」
「うん」
「爆豪と帰んの?」
「同じ方向みたいだから途中まで」
「そっか。じゃあ俺はここで」

 瀬呂くんは爽やかな笑みを残すと「爆豪ー!またなー!」と彼に声をかけて去って行った。彼は瀬呂くんに手を上げて返事をしただけで振り向きもしない。それが彼の通常モードなのかもしれないけれど、どうにも不機嫌オーラが漂っていて近寄り難い。
 それでも私は彼に近付くために小走りで追いかけた。なかなか追いつけないのは、彼が大股で歩いているからだろう。いつもなら歩調を合わせてくれるのに、今の彼はまるで私から逃げているみたいだ。

「爆豪、ちょっと待っ」
「タクシー拾う。さっさと帰れ」
「え、なん、」
「あいつに勘違いされたくねェだろ」
「勘違いって……」
「俺じゃなくてもいいんじゃねーか」
「は……」

 彼は怒っていなかった。むしろいつになく冷静な様子で、温度を感じない声音で淡々と言葉を落とされるのが怖いぐらいだった。特に最後の一言に至っては、私に言っているというより呟いているだけのような、彼らしくない声のボリュームだったように思う。
 宣言通りタクシーを拾った彼は抵抗する間も無く私を車に押し込み、運転手さんに行き先を告げて離れた。家まで送ると言ってくれた彼は一体どこへ行ってしまったのだろう。「またね」も「バイバイ」すらも言わず帰路につくなんて、ここ最近では有り得なかったのに。
 勘違いって何だろう。俺じゃなくてもいいんじゃねーか、ってどういう意味だろう。いくら考えても、私には彼のことがひとつもわからなかった。


何か足りない、何も足りない