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 十月に入り、朝晩は冷え込むことが多くなった気がする。彼とはあの日以来ぎくしゃくしたままだ。とはいえ、気まずいながらも夜ご飯を食べに行ったり連絡を取り合ったりは細々と続けていたから、そのうち元に戻るんじゃないだろうかと淡い期待を抱いていた。
 あの日の彼の発言の真意を言及したら何かが変わるのだろうかと何度も考えたけれど、結局触れられぬまま。そしてそんな状態の中、空気が悪くなることを承知の上で「瀬呂くんと明日夜ご飯行く予定なんだけど」と伝えたら、彼は興味なさそうに「勝手に行きゃいいだろ」と吐き捨てた。
 だから私は今、瀬呂くんと顔を突き合わせて食事をしている。瀬呂くんはきっとセンスが良いのだろう。隠れ家的な創作居酒屋の店内は半個室になっていて、雰囲気を出すためか少し照明が暗めになっている。料理の味も申し分ない。彼とは来たことがないタイプのお店だ。

「お腹いっぱいになった?」
「うん。本当にご馳走になっちゃっていいの?」
「もちろん。お詫びって名目なんで」

 穏やかに繰り広げられる会話。瀬呂くんは聞き上手だし話し上手だから、私が妙な気を遣うことはない。こういう人が彼氏だったらきっと幸せなんだろうなあ、と漠然と思う。しかし不思議なことに、私は瀬呂くんと付き合いたいとは思わないのだ。
 そして失礼ながら、私は瀬呂くんと一緒に過ごしているにもかかわらず、彼のことばかり考えてしまっていた。彼だったらこういう時どんな話をするだろう。どんな反応をするだろう。そんなことばかりが頭の中を埋め尽くしていく。
 だから、察しが良い瀬呂くんは気付いてしまった。私の気持ちに。

「もしかして、ていうか、もしかしなくてもなんだけど」
「うん?」
「みょうじさんって爆豪のこと好き?」

 お店を出てからの帰り道。並んで歩きながら単刀直入に尋ねられた私は、どう答えるべきか悩んだ。付き合っているかどうか、ではなく、好きかどうか。それだけを答えるなら、彼に迷惑はかからないのではないだろうか。私が勝手に好きなだけ。そういうことにしておいた方が、瀬呂くんには納得してもらえるような気がする。
 誰かに自分の恋心を暴露するのは、思っていた以上に恥ずかしい。けれど、彼が好きだという事実は変えられないから。私は息を吸って、それから、答える。

「好きだよ」

 予想外に大きな声で宣言してしまったせいで、羞恥心が倍増する。頬が熱い。瀬呂くんは「そっか」と短く返事をして、それからもう一度「そっかあ」と笑った。

「良かった」
「良かった?」
「みょうじさんはちゃんと爆豪のことわかってんだなと思って」
「わかってないよ、全然」
「わかってないと好きになんないよ」
「そう、かな」

 もしかしたら瀬呂くんは事務所で鉢合わせた時から、なんとなくわかっていたのかもしれない。私が彼を好きだということも、それだけじゃないってことも。
 それでも何も訊いてこなかった。深入りしてこなかった。中学時代は知らなかったけれど、瀬呂くんはすごく良い人だ。だから私なんかにうつつを抜かしていたらもったいない。

「じゃあまた、仕事の時に」
「うん。今日はありがとう」
「こちらこそ。爆豪のことならいつでも相談にのるから」
「え?」
「ちゃんとオトモダチとして。応援する」

 タクシーを拾って私をエスコートしてくれた瀬呂くんは、やっぱり良い人だった。

 瀬呂くんとのことは、これで一件落着と見て良いだろう。となると、整理しなければならないのは彼とのことだけだ。
 私は帰りのタクシーの中で彼に電話をかけた。声が聞きたくて。会いたくて。きちんと話をしたくて。しかし彼が電話に出てくれることはなかった。まだ仕事中なのかもしれない。
 電話は諦めてメッセージを送る。いつも通り、明日夜ご飯を一緒に食べないかという内容だけをシンプルに。彼は意外と真面目だから、メッセージを見たら返事をくれるだろう。
 そう思っていたのに、その夜も、翌日になっても、彼からの返事はなかった。忙しいのかも。返事するのを忘れているだけかも。色々考えてはみたけれど、どうも腑に落ちない。嫌な予感がした。
 明らかに仕事が終わっているだろうと思われる時間に電話をかけても出てもらえない。メッセージは当然のように返ってこないし、これはもう避けられているとしか思えなかった。

 気付けば彼と連絡が取れぬまま、二週間近くが経過しようとしていた。このまま私たちの関係は途切れてしまうのだろうか。何もなかったことになってしまうのだろうか。瀬呂くん絡みで気まずくなったことは間違いない。しかし、全ての連絡を無視するほどの出来事なんてなかったはずだ。
 彼氏がいるにもかかわらず瀬呂くんと二人で食事に行った私に愛想を尽かしたのだろうか。一応きちんと断りを入れたけれど、それでも許せなかったのだろうか。
 悶々としたまま過ごす日々は苦しくて、生きた心地がしなくて。自分がどれほど彼を想っているか思いしらされた。だから私は、どうせ終わるならせめて最後に話をさせてほしいと、強行突破に出る。
 仕事終わり、彼の家へと足を運ぶ。インターホンを鳴らしても応答はない。人の気配が感じられないから、まだ帰って来ていないのだろう。私は彼に鬱陶しがられるのを覚悟の上で、家の前で待ち伏せすることにした。
 十月半ば。時折吹き付ける風は冷たい。コートを身体の前でぎゅっと握り締め、玄関前で蹲る。ああ、きっと彼はこういう面倒な女は嫌いだろうな。ますます愛想尽かされちゃうな。でも、どうやってでも会いたいんだよ、声が聞きたいんだよ、爆豪。
 そんな思いが届いたのだろうか。足音が聞こえて顔を上げれば、そこには待ち侘びていた人物の姿。大きく目を見開いて明らかに驚いた様子の彼は、第一声「何やっとんだテメェは!」と叫んだ。

「爆豪に、会いたくて、」

 震える声。呟くようにしか紡げなかったけれど、それでも彼には聞こえたらしい。さすがにここで「帰れ」と言えるほど非情にはなりきれなかったのか、ぼそぼそと「入れ」と玄関の扉を開けてくれた。
 何度も、と言えるほどお邪魔したことはないのに、不思議と落ち着く空間。座れ、と促されるままソファの隅に腰をかけると、彼が隣にどかりと座った。お互い外気を身に纏っているせいか、屋外ほどではないけれどひんやりとした空気が漂う。
 さて、突然押しかけたはいいものの、何をどう切り出したら良いものか。これほどまでに感情に身を任せて行動したのは初めてのことで、冷静さを欠きすぎている自分に笑うしかない。いや、今は笑っている場合ではないのだけれど。
 私が思考を巡らせている間に、私より頭の回転が早い彼の方が先に口を開いた。相変わらずの不機嫌そうな声音が、私の鼓膜を震わせる。

「アイツは」
「アイツって?」
「しょうゆ顔」
「しょうゆ顔?」
「瀬呂のことに決まっとんだろが! わかれや!」
「えぇ……そんなのわかんないよ……」

 理不尽なことを言われ、気まずさを感じていたはずなのに思わず小さく笑ってしまった。瀬呂くん、高校時代しょうゆ顔ってあだ名だったのかな。名付け親は間違いなく彼だろうけれど、もう少しマシなあだ名があっただろうに。

「瀬呂くんとは仕事以外で会ってないよ」
「は?」
「会う用事もないし」
「……好きなんだろ、アイツが。だったら、」
「え、ちょ、待って、違う、何それ、違う、なんで、え?」
 
 彼の口から飛び出した思わぬ発言に、私は慌てて否定の言葉を並べる。その戸惑い方に眉根を寄せている彼は、私の否定の言葉を信じてくれていないのだろうか。
 いつどんな流れでそんな勘違いが生まれたのか、全くわからない。しかし、とにかく違うのだ。私が好きなのは瀬呂くんじゃない。

「私が好きなのは爆豪だよ」

 すらすらと。恥ずかしげもなく。私は彼にストレートな告白をしていた。それだけ必死だったのだ。彼に変な誤解をされたまま終わりになんてしたくなかったから。
 それでも彼は苦虫を噛み潰したような顔をして私を睨んでいた。好きだと正面から伝えても、まだ私の気持ちは彼に届かないのだろうか。だとしたらもう、手の打ちようがない。

「よく言うわ」
「なんでそんな言い方……!」
「アイツに言ってただろうが。……好きだって」
「何それ、そんなこと、」

 言ってない、と啖呵を切ろうとしたところで口籠ったのは、瀬呂くんと夜ご飯を食べた帰り道のことを思い出したからだ。思い返してみれば、あの日を境に彼は私を避けるようになった。
 もしかして、いや、ここまできたらもしかしなくても、彼はあの日、私たちのやり取りが聞こえるところにいたのではないだろうか。だとしたら、彼が「好きだよ」の部分だけを聞いて勘違いしている可能性は大いにあり得る。

「もしかして爆豪、あの日、」
「身に覚えあンじゃねェか」
「違う」
「さっきから何が違ェんだよ。テメェは俺に惚れてたんじゃねーのかよ」
「そうだよ。だから私は爆豪が好きだって言っただけ」
「は?」

 まともに交わることがなかった視線が、ここにきて初めて交わる。信じてもらえるかどうかはわからない。けれど私には事実を説明することしかできないから。あの日の会話を思い出しながら、彼の目を見て包み隠さず話した。
 すると全てを聞いた彼は、相当バツが悪かったのだろう。ふいっと視線を宙に彷徨わせかと思うと「紛らわしいことすんなや!」と吐き捨てた。
 紛らわしいこと? 私は何も紛らわしいことなんてしていない。勝手に盗み聞きして、勝手に勘違いしたのは彼だ。それを全て私のせいにされたら困る。
 
「勝手に盗み聞きして勘違いしただけのくせに」
「なんだと?」
「爆豪は、ずるい」
「あ?」
「私は爆豪のこと好きだってちゃんと伝えたし、真剣に向き合おうとしてる。でも爆豪は、私のことどう思ってるのかも、これからどうなりたいのかも、どうしたいのかも、何も言ってくれないじゃない」

 今まで溜め込んできたものが、今回のことをキッカケに溢れてしまった。うざい女だと思われても良い。これで私に嫌気がさしたというのなら、それまでの関係だったということだ。ここで躓くなら今後も上手くやっていけるわけがない。完全に開き直りだった。ここまできたらもう、ちょうど良い機会だったと思うしかない。
 彼は私のセリフに目を見開き、チッと舌打ちをした。ああ、これはきっと駄目なやつだ。「うぜェ」。その一言で終わらされてしまう。そんな予感がする。
 彼の口から深く吐き出される息。伸びてくる手。もしかして腹が立ちすぎて手を上げようというのだろうか。私は反射的にぎゅっと目を瞑り、衝撃に耐える準備をした。
 しかし、彼の手が私に衝撃を与えることはなかった。伸びてきた手は後頭部に回され、ぐいっと引き寄せられる。え、と戸惑う間もなく唇がぶつかって、離れてもすぐに距離をゼロにされ、遂にはそれだけにとどまらず舌まで捩じ込まれて。私はもう何が何だかわからない。
 漸く解放された時には、鏡で見なくても赤くなっていることが自覚できるぐらい顔に熱が集中していた。今更遅いとわかりながらも彼を押し返して、手の甲で口元を覆いながら睨みつける。息が弾む。心臓がうるさい。
 急に何をするんだ。何も答えてくれてないくせに。ちゃんと伝えてくれてないくせに。そんな気持ちを込めて恨めしそうに睨んでも、彼は満足そうに笑っているだけだから悔しい。そしてその表情に堪らなく惹かれているのも、悔しくて堪らない。

「俺が好きでもねえ女にこんなことすると思うか?」
「……ずるい」
「またそれかよ」
「これ以上好きにさせようとするのは、ずるいよ」

 どう考えたって彼の方が悪い流れだったのに、気付いたら上手く丸め込まれていた。完全に惚れた弱み。所詮、恋愛は惚れた方が負けなのだ。
 いまだに身体に集まった熱が冷めることはない。息も整わないし、心臓に至っては爆発しそうなほど暴れている。
 そんな私を、彼はどうしたいのか。「どっちがずりィんだか」と呟いた後、再び距離を詰めてきた。また口を塞ぐつもりなのかと身構える私に、彼は何の前触れもなく「なまえ」と。出会ってから今に至るまで呼んだことのない私の名前を、とんでもなく慈しみを含めた音色で呼んだのである。
 ずるい。ずるいのはやっぱり彼の方だ。唇が触れ合う寸前で、再び囁くように掠れた声で呼ばれた名前。私の返事は彼の口内に消えていった。


恋じゃなくて愛に落ちた