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 薄々、ではなく、ほぼ完全に。気付いていた。みょうじなまえは俺に惚れている、と。それなのに俺は、どうしても「そうである」という事実を女の口から言わせたかった。俺の自惚れではないという確証がほしかったのだ。
 捲し立てるように言われたセリフは思っていた以上に俺を舞い上がらせたが、浮き足立っていたことには気付かれていないと思う。俺よりも女の方が、完全に心ここに在らずの状態だったから。
 兎にも角にも、俺たちの関係はお互いの納得する形に丸く収まった。とりあえずはこれでいい……と思いかけたところで、俺は気付く。女の方には気持ちを吐露させておいて、自分は明確なことを何一つ言っていなかったということに。「言われてねえことがわかるか」と言ったのは自分のくせに何をやっているのか。自分に心底幻滅する。
 だから俺は、次に会った時にきちんとケリをつけようと決めていた。ケリをつける。それはつまり、俺も言葉で気持ちを伝えるということ。女が俺にそうしてくれたように。
 むこうが現状をどう受け止めているのかはわからないが、このままでは負けているような気がして俺の気が済まない。どうせなら早く伝えてしまいたい。だから、早く会いたい。俺はあの女に出会ってから、どうも頭がイカれてしまったようだ。

 さて、そんなことを思っていたくせに、気付けばあの日から二週間以上が経過していた。というのも、あの日の翌日からずっと遠方に泊まりがけの仕事に赴いていたせいで、どうやっても会える状況ではなかったのだ。
 会えないなら連絡しても意味がない、というか、連絡する理由がない。俺が連絡しなかったことにはそういう経緯があるわけだが、女の方から一つも連絡がなかったのはなぜなのか。女々しいことを気にしている自分に腹が立ちすぎて、俺は久し振りに自分の家に帰る日の朝、勢い任せにメッセージを送ってしまった。
 たった一文。「今日の夜なら会える」と。暗に「今日の夜会いたい」という意味を孕んだ一言を。女のことだから、意味を汲み取ることなんて容易にできるだろう。……と思っていたのに、昼になっても夕方になっても何の返事もないとはどういうことなのか。俺の苛立ちは募っていく一方だ。
 家に帰ってきて荷物を放り投げ、ソファに深く沈みこんでスマホを眺める。悩んだのはコンマ五秒ぐらい。俺は女の番号に電話をかけた。ワンコール、ツーコール、そして「もしもし?」という間の抜けた声。
 何を呑気に出とんだ。連絡見たなら返事しろや。文句は喉元まで出かかっていたが、特に変わりなく過ごしていた様子の女に安堵して毒気を抜かれてしまった俺は、それらをぐっと飲み込んだ。

「今どこにいんだよ」
「買い物からの帰り道だけど」
「それがどこかっつっとんだ!」
「……どこでしょう?」

 およそ二週間ぶりの会話で俺のことを揶揄う度胸と余裕があるとは驚きだ。まあ出会った当初から、女は俺の顔色を窺うようなタイプではなかったから、平常運転といえばそうかもしれない。

「爆豪は?」
「あ?」
「今どこ?」
「…………家」

 俺は答えながら玄関先へ向かい扉を開けた。するとそこには、案の定と言うべきか、びっくりした表情の女が立っている。その顔には「どうしてわかったの?」と書いてあるが、そんなの簡単なことだ。
 電話口の声が微かに外から聞こえてきたような気がした。そして廊下を歩く足音が俺の部屋の前で止まったような気がした。だから、もしかして、と期待しながら扉を開けたら女がいた。それだけのことである。

「びっくりした……」
「こっちのセリフだわ」
「爆豪は全然驚いてなさそうに見えるけど」

 今から行くという連絡はおろか、俺がわざわざ送ってやったメッセージに何の返事も寄越さなかったくせに、突然目の前に現れてすっとぼけたことを言う。この女は俺を何だと思っているのだろうか。

「連絡もなしに来やがって」
「夜なら会えるって連絡くれたから顔見たいなあと思って……ダメだった?」

 ダメかダメじゃないかで言ったらそりゃあ後者だが、そういう問題ではない。しかし俺は、所帯じみた買い物袋を手に持ったまま見上げてくる女に、何も文句を言うことができなかった。
 女の言葉を反芻する。「顔見たいなあと思って」。そのワンフレーズがしつこく脳内で再生されるものだから、いつも通りに思考回路が働かないのだ。いつから俺はこんなにポンコツになったのだろう。だんだん頭が痛くなってきた。

「夜ご飯まだでしょう? 一緒に食べようかなと思って適当に材料買ってきたの。それで色々バタバタしてたから返事するの忘れてて」
「……今日は疲れたから帰れっつったら?」
「帰るよ。爆豪の元気そうな姿見れただけで安心したし。少し会えただけで嬉しかったし。はい、これどうぞ」

 帰れなんて一言も言っていない。今言ったことはただの例え話なのに女はすっかり帰る気になっていて、手に持っている買い物袋を俺に差し出してくる。
 違う。そうじゃない。いや、女の選択は正しい。しかし俺が求めていた返事はそうじゃないのだ。ああ、くそ。調子が狂う。ずっと、狂わされている。これが惚れているということなのかと、実感せざるを得ない。

「ったく……」
「爆豪?」
「入れや!」
「え、でも、」
「うるせェ!」

 買い物袋を差し出していた腕を掴んで、戸惑っている女を家の中に引っ張り入れる。玄関の扉がバタンと閉まり、この家の中には俺と女の二人きり。このシチュエーションが初めてというわけでもなければ、いちいち気にとめるような状況でもない。俺はそんなに純情ではないのだ。
 しかしどういうわけか、俺は動揺していた。もしかしたら好きだと言われた前回よりも余裕がないかもしれない。会えただけで嬉しかったなどと、あからさまに好意を持っているとわかるような言葉を投げつけられ、今更のようにじわじわと、どう受け止めたら良いかわからなくなっているのだ。
 少なくとも出会ったばかりの頃の女は、自分の感情をこれほどまでにストレートに伝えてくることはなかったと思う。特に好意的な内容に関しては。それが今はどうだ。恥ずかしがる素振りも見せず、思ったことをそのままぶつけてくる。それが「あなたは特別だから」と暗に言われているように思えて、そう解釈してしまう自分が気持ち悪くて、むず痒い。

 こっちが引き入れたのに「疲れてるんじゃないの? 入っていいの?」と確認され「ああ」と答えた俺の声は、自分でも驚くほど落ち着いた音色を奏でていた。内心はちっとも落ち着いていないのに、表面上はこれでもかと落ち着きはらっているのが滑稽だ。
 俺の返事を聞いて漸く納得したのか、女は俺の後ろを大人しくついてきて、台所に食材を置いた。いちいち伺いを立てる必要などないのに冷蔵庫を開けても良いかと尋ねてくるあたり、女は律儀な性格だと思う。
 女がここに来るのはこれで二回目。そう。たったの二回目なのだ。そりゃあそれなりに二人きりであることを意識はする。しかし不思議と、妙な違和感や緊張感はなかった。それどころか、まるでこれが当たり前の日常であるかのような空気が漂っている。
 他人と同じ空間で時間を共有するのは嫌いだ。相手に気遣われるのも、こっちがそれを気にするのも煩わしいと感じるから。しかし、赤の他人であるはずの女には、それを感じさせない何かがあった。

「明日も仕事?」
「休み」
「じゃあゆっくりできるね」
「お前は」
「私は仕事。平日だもん」

 その返答に少なからず落胆した自分を殴りたくなった。もし女が休みだと言ったら、俺はどうするつもりだった? 何を期待していた? まだ何のケジメもつけていないくせに、僅かでも一線を越えることを考えた自分が許せない。
 俺はずっと苛ついている。女にではなく、自分自身に。そんなことなど知る由もない女は着々と飯の準備を進めていて「豚キムチにしようと思うんだけどすぐ食べる?」などと訊いてきた。俺はそれに頷くことで返事をしながら、心を鎮めようと試みる。
 もともと俺は、お世辞にも自分の感情をコントロールするのが得意とは言えないが、学生の頃に比べれば少しはマシになったと思う。それでも、いまだに苦戦をしいられているのは事実だ。特に今抱えているようなぶつけようのない感情は、どう処理したら良いかわからない。

「お皿と箸とコップ、どこにあるんだっけ」
「箸は右の引き出し。皿とコップは上の棚」
「えーっと……」

 食材を切り終えて、調味料もどうにかこうにか自分で探し当てたのだろう。いつの間にか炊飯器に米もセットされていて、あとは炒めれば完成というところまできていた。
 女は俺に言われた通り上の棚へ手を伸ばしているが、少し高い位置にあるため取り難そうだ。俺はおもむろに女の背後に立ち、食器類を取り出す。振り向いてこちらを見上げてきた女が俺と目を合わせるなりすぐに逸らしたのは気になったが、その後は特におかしな様子もなく向かい合わせに座って飯を食った。
 会話は、ぽつりぽつりと続く程度。ぎこちないと言えばそうだが、無理に会話を続けなければという雰囲気でもなく、俺としては苦痛のない時間が続く。そして食事を終え、ちょうどお茶を啜っている最中だった。女が突拍子もないことを尋ねてきたのは。

「今日泊まっちゃだめ?」
「ブフッ、ゴホゴホッ」

 生まれて初めてお茶を噴き出しかけた。盛大にむせる俺に「大丈夫?」と声をかけてくる女は、一体何を考えているのか。誰のせいでこんなことになったと思ってやがる。

「明日仕事だっつっとっただろーが!」
「じゃあ明日が休みだったら泊まっても良かったの?」

 さっき自分で自分に問いかけたことを、女の口から問われる。休みだったら、俺はどうしていた? 何を、期待している?
 すでに導き出されている答えを口に出すことはできず、俺は眉間に深く皺を寄せることで返事をした。そうすることしかできなかった。俺はまだ、何も伝えられていないから。

「ごめん、冗談。片付けしたらすぐ帰る」
「……送る」
「いいよ。一人で帰れる」

 無言の返答を、女はどう解釈したのだろう。明らかに落ちた声のトーンから察するに、俺が暗に拒絶したとでも思っているのだろうか。俺がこの家に招き入れた時点で、そんなことは有り得ないというのに。
 
「俺が送ってやるっつっとんだ。黙って有り難く送られとけや」
「また週刊誌に撮られちゃうから」
「好都合じゃねェか」
「え」

 そそくさと片付けを始めた女の動きが、ぴしりと止まった。俺を見つめる丸い瞳には、驚きと困惑の色が入り混じっている。そんなに驚くことじゃねえだろうが。

「付き合ってちゃ悪ィかって言ってやりゃ良い」
「……爆豪、私と付き合ってると思ってるの?」
「あ?」

 そこからかよ、と言いたくなったが、そうだ。俺はまだ言っていないから。今日言うと決めていたではないか。何日も前からケジメをつけると。それなのに俺の口からは、頭に浮かんでいる言葉がどうしても出てこない。

「そういうことにしちゃっていいの?」
「何勘違いしてんだか知らねェが、前にも言っただろうが。俺が家に入れてやってる時点で察せ!」
「そんなの無理。言ってくれなきゃわかんないのは私も同じだよ」

 その通りだ。ぐうの音も出ない。察せ、などと言って、また有耶無耶にするつもりか。何度も自分を叱咤するが、それでもクソみたいに頑固な俺は、脳内で馬鹿みたいに繰り返しているその言葉を紡げない。
 恥ずかしい、とは違う。俺には覚悟が足りないのだ。この女にそれを伝えられるだけの覚悟が。自分がその言葉を言うことで、女がどれほど救われるかわかっているから。今はまだ、言えない。

「お前は俺の女だって自覚しとけっつったらわかるかよ!」
「……今日はそれで我慢してあげる」

 苦し紛れに吐き捨てたセリフを、女は嬉しそうに拾う。それに安堵すると同時に、自分の不甲斐なさに打ちひしがれた。
 俺はいつの間にか、こんなにもどうしようもなくこの女に惚れている。だからこそ、中途半端に言いたくなかった、なんて。俺は言い訳が下手すぎる。


確固たる覚悟の問題