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 現場の警察官に家まで送り届けてもらった方が良いことは、火を見るよりも明らかだった。一ヶ月ほど前の報道の件があるし、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。私だって、それぐらいの常識はわきまえている。だから最初はきちんと拒んだのだ。
 もう既に迷惑をかけまくっているくせに何を言っているんだと思われるかもしれない。今更だと鼻で嗤われて、呆れられるかもしれない。そんなことを考えていたのに、彼は遠回しに「迷惑じゃない」と言ってくれただけでなく、衝動的に縋りついてしまった私をうざったそうに引き剥がすことなく受け止めてくれた。
 彼は誰にでもこんな対応をするのだろうか。それとも、私だけ特別なのだろうか。そんなことを考えている時点で、私は甘えすぎている。駄目だ。私は自分を叱咤した。
 このまま甘え続けていたら、戻れなくなる。期待したくなる。今より更に彼を求めてしまいそうになる。それが、怖い。のめり込んで、引き返せなくなってから、突き放されることが。だから私は、どんなことをしてでも自分から彼を遠ざけるべきだった。
 それなのに、彼が私を追い詰めるから。下手くそでどうでもよくて、それでいて私が断りにくい「救けたお礼」という理由を突きつけて、どうしても逃がしてくれなかったから。私はのこのこ彼について来てしまった。全部、彼のせいだ。……なんて、言えやしない。最終的について行くことを決めたのは私自身なのだから。

 やっぱり私の選択は間違いだったんだなあと、改めて思い知る。彼と二人きりになったら駄目だということは本能的に察知していた。だからこれは、ある程度予測していた展開だ。
 しかしどれだけ脳内でシミュレーションしていようとも、実際に彼を目の前にしたら、私が思い描いていたようには進まない。それもまた、予測可能だったはずなのに。私はどこまでも浅はかだった。
 さっきまで美味いとも不味いとも言わず麻婆豆腐を貪っていたくせに、何をどうやったらそんなに急速に思考を切り替えることができるのか。その頭の切り替えのスピーディーさには恐れ入る。お陰様で、そそくさと帰ろうとしていた私はあえなく彼に捕まり、リビングに逆戻りさせられるハメになった。
 隙あらば私が逃げ出すとでも思っているのか、彼は私をなかば強引にソファに座らせて自分も隣に座り「話が終わるまで絶対に帰らせねえぞ」というオーラを放っている。ここまできたらさすがに逃げられないだろうと諦めているから、そんなに威嚇するような行動を取らなくてもいいのに。もしかしたら彼は、物理的には逃げられずとも、この話題を上手くかわす方法について私が現在進行形で模索中だということに気付いていて、それに対しても「逃がさねェぞ」と圧をかけてきているのかもしれない。

「なんか言えや」
「……さっき言いたくないって言った」

 そう。私は既に返事をしている。彼は私にどうしたいのかと尋ね、私はそれに対して「答えたくない」という返事をした。それが全てで、それ以上はない。以上終了。
 俯いたまま自分の膝のあたりを見つめ続けている私は彼の表情を確認していない(というか確認する度胸がない)けれど、これでもかと眉間に皺を寄せているのだろうということはなんとなく予想できた。その証拠に、「なんで」と訊いてくる声音が不機嫌さを纏っている。

「それも、さっき言った」
「それが答えになってねェからこんなことになってんだろーが」
「だから! 私は終わっちゃうかもしれないのが嫌なの。戻れなくなるのが嫌なの。ここまで言えばわかるでしょう?」
「戻るってどこに戻んだよ。どうせなら進めや」
「進めや、って……私の言いたいことわかってるくせにそういうこと言って……」
「自惚れんな。言われてねえことがわかるか」

 彼の言うことは、いつも正論で的を得ている。だから、とんでもなく腹が立つ。
 人間は痛いところを突かれると、食ってかかるか黙りを決め込むか。大体の場合、その二つのどちらかの行動を取る。とにかく、自分のボロを隠そうとするからだ。それもこれも、全ては感情があるせい。感情を持たない獣であれば、こんな面倒なことにはならないだろう。
 自分で言うのもなんだけれど、私はこれまでかなり冷静に生きてきた。人間だけれど、獣に近いような感じ。感情をどこかに置き忘れてきたんじゃないかと思うほど、淡々とした人生だったと言える。
 だから彼に出会って、良くも悪くも感情が昂ることが多くなって、自分にも感情というものが存在したのだと、自分は人間だったのだと、再確認した。今もそうだ。私は身体の奥底から溢れ出してくる感情を抑え込むことができずに震えている。
 わからない? 本当に? 賢いあなたが? そんなはずないでしょう? 本当に言わなくちゃわからない? 何も、ひとつも、察することができない? じゃあ言ってあげましょうか? 終わらせてあげましょうか? それがあなたの望みなの?
 私の中で、何かが弾ける音が聞こえた。と同時に、口が勝手に動き出す。そしてそれは、どうやっても制御できなかった。
 
「今までずっと爆豪との関係を断つために行動してきたのに今更何言ってんだって思われるかもしれないけど、もう気付いてると思うけど、私、爆豪のこと、好き、に……なっちゃったの……好きになったら終わりだってわかってるのに、今までみたいに、これで終わりにしましょうって言わなくちゃいけないのに、爆豪が私にどうしたいかってしつこく訊いてくるから答えるしかなくなっちゃって、もう、こんな、自分が自分じゃなくなるみたいなの、ほんとに嫌なの……っ」

 完全に、ヤケクソというやつだった。言いながら何が伝えたいのか自分でわからなくなるなんて、初めてのことだ。ついでにこんなにパニック状態に陥るのも初めてのことで、どんどん冷静さを欠いていく自分が嫌で堪らない。けれど、ずっと胸の奥でつかえていたものがすうっと消えていって少し楽になったような気もする。
 とはいえ、空気はこの上なく気まずい。逃げ出したいのに逃げ出すことは叶わない状況。いっそのこと、罵るなり軽蔑するなり嘲笑うなり呆れるなり、さっさと私を突き放してくれたらいいものを、彼はそれすらもしてくれない。沈黙が痛くて、それ以上に、ひしひしと感じる赤の視線が痛くて。私はただ、その痛みに耐えるために唇を噛み締めることしかできない。

「どうしようもねえ馬鹿だな」

 長い長い沈黙の末、彼は漸く私に呆れるようなセリフを吐き捨ててくれた。すう、はあ。どうやら気付かぬうちに息を止めていたらしく、私は彼の発言を聞いてやっと呼吸の仕方を思い出す。

「わかってる」
「わかってねえだろ、絶対」
「わかってるよ、っ!?」

 置物のように俯いた状態で固まっていた私の顎を掴んで、ぐい、と無理矢理上向かされる。そしてそのまま彼の方へと顔の向きを変えられたけれど、私は咄嗟に視線だけを逸らした。
 話す時は人の目を見ましょう。小学生でも守れるであろう初歩的な約束事を、今の私は守ることができない。

「俺が家に連れ込んだ時点で気付けや」
「……何に?」
「お前みたいな女の面倒見てやれんのは俺ぐらいしかいねえだろーが」

 彼らしからぬ静かなトーンで言われた内容は上手く脳で処理できぬままだけれど、私は逸らしていた視線を彼に向けて、漸く小学生レベルに達することができた。
 どくどくと心臓が必死に脈打っているのがわかる。思っていた以上に至近距離にある彼の顔。交わる視線は柔らかい。だから余計に心臓に悪い。
 そのままの状態で彼の言葉を反芻するのは至難の業だったけれど、私は何度も何度も彼のセリフを頭の中で繰り返し再生した。そして、ぽつり。尋ねる。

「私、爆豪のこと好きなままでいいの?」

 私の問い掛けを聞いた彼は、大きく目を見開いたかと思ったらみるみるうちに険しい表情になり、これでもかと深く眉間に皺を寄せた。どうやら機嫌を損ねてしまったようだけれど、私にとってはとても大事な確認事項だったのだ。

「くだらねえこと確認してくんな!」
「このままで、いいの?」
「しつけェ! 俺に惚れといてそう簡単に諦めようとすんなや!」
「……うん、」

 ラブロマンスの始まりにはほど遠いやりとりだった。実際、ラブロマンスが始まったのかどうかもわからない。ただ、彼との関係を終わらせなくてもいいということだけは確かで、今はそれだけで十分だった。
 安心感からか、やっと表情筋が役割を思い出してくれたようで、私の頬が緩む。彼は少しだけギョッとして、それからすぐに掴んでいた私の顎を離し立ち上がった。まるで私の視線から逃げるみたいに。

「送る」
「爆豪」
「あ?」
「ありがとう」
「ん」

 家まで送ってくれるなんて優しいね。ありがとう。そういう意味で言った「ありがとう」じゃないことを、彼は察してくれているだろうか。察してくれていても、察していなくても、どっちでもいいけど。
 あれほど逃げ出したいと思っていたはずなのに、今はできるだけこの場にとどまっていたいと思っている調子のいい私。のろのろと腰を上げて、彼の背中を追って、玄関まで来て。
 くるり。先を歩いていた彼が靴を履き終えてこちらを向いた。私はわざとゆっくり靴を履く。頭上から「早よしろや」もしくは「遅ェ!」と急かすような声が降ってくるかと思ったけれど、彼は何も言わず待ってくれている。

「早よしろや、とか、遅ェ、とか、言わないんだね」
「言う必要ねーだろ」
「そっか。……ふふ」
「何笑っとんだ」
「靴、全然履けなくて」
「……そうかよ」

 本当はもうほとんど履けているのに、わざともたもた時間を費やす。彼もそのことには気付いているはずなのにやっぱり何も言わずに待ってくれていて、もしかして私と同じように離れ難いと思ってくれているのかな、なんて自惚れたりして。
 私は色気のない殺風景な玄関で、生まれて初めて、恋する乙女の時間を楽しんでいる。


まな板の上の恋