自分の過去を洗いざらい話せば大人しく引き下がってくれるかもしれない、なんて考えていた私が甘かった。相手はあの爆豪勝己。こうと決めたらテコでも動かない。自分の考えを貫き通す男。私が上手く突き離せないのは、その頑固さが大きな要因になっていると思う。
彼がどうやっても決めたことを曲げない性格なのはわかった。今までそうやって生きてきたのだろうから、その性格を否定するつもりはない。ただ、彼がどうしてここまで私なんかに固執するのか、それだけがどうしてもわからなかった。
自分が思っている以上に、彼は私の中で特別な存在になってきている。だからこそ、どうしても離れたい。さてどうしたものか。
それを考えている間に、事件が発生した。なんと本日発売の週刊誌に、彼と私が二人で歩いている時の写真がスッパ抜かれてしまったのだ。
デカデカと掲げられているのは「遂に恋が大爆発か!?」という、彼の“個性”と絡めたかっただけであろうセンスのないタイトル。私は頭を抱えるしかなかった。
有名なプロヒーローであるにもかかわらず、今まで浮いた話が一つもなかった彼に女の影が見えた。それはマスコミにとって格好のネタだったのだろう。私と彼が本当に恋仲にあるかどうかなんて、彼らにとってはきっとどうでもいいことなのだ。
父と母は「先に堂々と交際宣言をしておいた方が世間体的には良かったかもしれない」などと言っているけれど、そういう問題ではない。
不覚だった。私としたことが、最初は周りの目を気にして行動していたはずなのに、逢瀬を重ねるごとに注意力が欠如していっていた。そのせいで、彼にこれほど迷惑をかける事態になってしまうなんて。
こんなことになってしまったからには、もう軽々しく会うことはできない。つまり、形はどうあれ、彼と離れる理由ができた。それは私が望んでいた展開なのに、どうも釈然としない。
「テレビにも出てるわよ」
「え!」
母に言われてリビングのテレビを見れば、そこには報道陣に囲まれている彼の姿が映っていた。生中継ということは、なんともタイミングの悪いことに、つい今しがたヴィランの制圧を終えたばかりなのだろう。突然のマスコミの襲来に、彼は心底うざったそうに眉間に皺を寄せている。
しかしマスコミは怯まない。次から次へと矢継ぎ早に彼へ質問を投げ付ける。「週刊誌の内容はご覧になりましたか?」「記事に書かれていることは本当なのでしょうか?」「彼女とはどういったご関係ですか?」「出会いはどちらですか?」「どれぐらいの頻度でお会いになっているんですか?」
こちらが耳を塞ぎたくなってしまうような状況だ。彼がブチ切れるのも時間の問題だろう。私は固唾を飲んでテレビを見つめる。今の私には、そうすることしかできないから。
投げ付け続けられる質問。そろそろ限界ではなかろうかとハラハラして見守っていたけれど、彼は明らかに不機嫌そうな様子を見せているにもかかわらずいつまで経っても怒鳴らないどころか、ずっと口を噤んだまま。そして漸く発した言葉は、
「ノーコメント」
たったそれだけだった。怒鳴るわけでもなく、淡々と。こちらがひやりとしてしまうような冷たささえ感じるほど冷静な一言に、私は呆気に取られる。
「熱愛報道自体は否定されないということですか!?」
「ノーコメントっつっとんだろが」
そのまま彼はテレビカメラから遠ざかっていき、中継が途切れた。と同時に、私の肩からは一気に力が抜けていく。こんなにも緊張したことは、いまだかつてない。
母は呑気に「事務所の方にまだ公言するなって言われてるのかしらねえ」などとぼやいているが、たぶん違うと思う。事務所に口止めされていようとも、彼は自分が言いたいことを言う男だ。そんな性格だから私も困っていた。つい先日までは。
しかしそんな彼だからこそ、先ほどの対応は腑に落ちなかった。私と彼は付き合っていない。つまり熱愛報道は真っ赤な嘘、完全な勘違いだ。彼の性格なら「勝手なことぬかしてんじゃねェ!!!」と記事の内容を一蹴してもおかしくないのに、「ノーコメント」という中途半端なコメントを貫いていた。それがどうも彼らしくないと思ったのだ。
なぜキッパリと否定しなかったのだろう。それこそ事務所に何か言われているのかもしれないけれど、それにしたって。もやもやとした感情は消化しきれないけれど、そんな理由で仕事を休むわけにはいかない。私は朝ご飯を食べるのも忘れて、ぼーっとしたまま家を出た。
仕事中も、ちょっと集中力が切れるたびに彼のことで頭の中がいっぱいになる。おそらく仕事でミスはしていないと思うけれど、きちんとやり切ったとは到底言い切れない有様だった。こんなこと、今まで有り得なかったのに。
仕事からの帰り道、考えるのは彼のことばかり。朝以来テレビは見ていない。ネットニュースも、怖くて見ることができなかった。だから、今日一日、彼がどんな苦労をしたのか、私は知らない。
今回の事態は、少なからず私が原因となって引き起こされている。となれば、やっぱり一言謝罪をしておきたい。謝って済まされるような状況ではないだろうけれど、このまま何も知らぬ存ぜぬを貫き通すのは、私としても居心地が悪かった。
今から連絡したら迷惑だろうか。ただでさえ今日は疲れているだろうし、また日を改めた方が無難かもしれない。しかし、どれぐらいで事態が落ち着くかわからないし、謝るタイミングを逃してしまうのも嫌だ。
迷った結果、私は彼にメッセージを送ってみた。「今少し電話してもいいですか」と、簡潔に用件だけを伝えるための業務連絡のような文面で。
返事がこなければ、今日は諦めよう。明日になっても明後日になっても、一週間以上経っても返事がこなかったら、事務所に謝罪の手紙を書こう。
一人でそう決めてスマホをポケットにしまおうとしたところで、着信音が鳴った。慌てて画面を見れば、そこには爆豪勝己の文字。え。なに。ちょっと早すぎるんですけど。
何の返事もなかったらそれはそれで思うところがあっただろうけれど、反応が早すぎるのも心の準備ができないから正直困る。実際困っている。現在進行形で。とはいえ、ここで電話を無視するという選択肢はない。私は通話ボタンを押して「もしもし」と電話に出る時の常套句を口にした。
「何か用か」
「あ、いや、その、ただちゃんと謝りたかっただけなんだけど、」
「は?」
「ごめんなさい」
「何が」
「何が、って……今朝の週刊誌とかテレビとかの、」
「ああ」
電話口の彼の声はいつも通り低く、面倒臭そうに響いた。けれど、そこに怒気は含まれていないように感じる。とんだ迷惑を被ったと怒りをぶつけられたとしても仕方がないと甘んじて受け入れる覚悟だったのに、なんだか拍子抜けだ。
「ああ、って……大変じゃないの?」
「マスコミがうぜェ」
「だよね。ごめんなさい」
「さっきからなんでテメェが謝んだよ」
「だって、私とのことが勘違いされてこんなことになってるわけでしょう?」
私は当然のことを当然のように言う。しかし彼は当然のことを当然のように思っていなかったらしく、何も違わないのに「違ェわ」と返してきた。そして続けて問い掛けてくる。「お前は」と。
返事に迷った。というか、どうして突然私のことを尋ねてくるのか理解ができなかった。
「え、なに、私?」
「お前ンとこには何も来てねえんかって訊いとんだ」
「ああ……私は一応顔隠されてたし実名報道されてるわけじゃないから……今のところは何も……」
「そうかよ」
彼の方がよっぽど大変な目に遭っていることは火を見るより明らかなのに、私のことを気にかけてくれている。その事実に、胸がきゅうっと疼いた。
わかっている。そこに特別な感情はない、って。彼は普段あんな感じだけれど、根っこの部分で人を思いやれる心がある。この数ヶ月かけて、それを知った。だから相手が私じゃなかったとしても、彼はきっと同じように声をかけるだろう。それがわかっていても、私の胸はやっぱりきゅうきゅうと疼いていた。
家まではあと五分少々といったところだろうか。父や母に彼と電話しているところを見られるのはなんとなく嫌だから、少し回り道をして帰ろうかな。早く電話を切って家に帰ることよりも、どれだけ長引くとしても彼との電話を優先させようとしている自分に気付いてハッとする。
私、電話を切りたくないんだ。なんで? って、理由はわかっているけれど。私はわからぬフリをして、自分を誤魔化す。そんなことしたって、もう手遅れなのに。
「なんで何も言わないの?」
「誰に何を」
「テレビの前で、私とのことを」
「言えることなんざ何もねーだろが」
「否定、すれば良いのに、」
朝からずっと引っかかっていること。どうして私との関係をキッパリ否定しないのか。それに対する彼の返事は、やっぱりどうもスッキリしなかった。
「……否定してほしいってか」
スッキリしないどころか、どうも彼らしくないニュアンスで落とされた呟きに、私は慌てふためいてしまう。だって、その言い方はまるで、彼は私との関係を否定したくないと思っているみたいに聞こえたから。
「そういうわけじゃないけど、」
「なら黙って見てろ。なんかあったら言え。用件終わったなら切るぞ」
「あっ待って!」
捲し立てるように言われ、そのままの勢いで電話を切られそうになったので、私はまたもや慌てて声を発する。彼との電話が始まってからというもの、私はずっと慌てっぱなしだ。妙に心臓がうるさいのは、慌てているせいで心に余裕がないからだろう。
「まだ何かあンのかよ」
「……ありがとう」
「ん」
慌てて止めたくせに、私が発したのはたった五文字だけ。しかし彼は何の文句も言わず、静かにその五文字を受け止めてから電話を切ってくれた。
この現状だ。どうやっても暫くは会えない。会うべきではない。なんならこのまま永遠に会わない方がお互いのためだとすら思う。私は彼との関係を断ち切る方法をずっと模索していた。だから今回の件は絶好の機会、なのに。
どうしよう。私、会いたいって思ってる。これが最後になるのは嫌だって思ってる。
どくりどくり。心臓が跳ねる音の向こうで、やけに静かに蝉の鳴き声が聞こえた。