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 なぜ女が必死に俺から距離を取りたがるのか、俺との「最後」を求めているのか、その理由はなんとなくわかっていた。女は自分自身の存在の優先順位を常に最低に位置付けている。それを察してから、俺は自然と女の考えが読めるようになってしまったのだと思う。
 詳しいことはわからないしわかりたくもない。知ったところで、俺の考えは何一つ変わらないと断言できる。だから、女が過去に自分の“個性”を奪うためにオールフォーワン絡みの事件に巻き込まれたことを聞いても、その事件の時に自分を守るために命を失った人間が何人かいたことを知っても、俺の口から出てくる一言は変わらなかった。

「テメェは馬鹿の一つ覚えかよ」
「な、」
「話はそれだけか」
「それだけって……、」
「俺がそんな話聞いて、はいそうですかって素直に引き下がるようなヤツだと思ってんのか?」

 俺は心底機嫌が悪かった。後味の悪い昔話を聞かされたからからではない。過去と今を混同させて、俺を昔話のモブ共と同等だと思っている女に、この上なく腹が立っていたのだ。

「今の話聞いてた? 理解してる?」
「俺に喧嘩売ってんのか? あ?」
「だって私に関わったら、」
「さっきからテメェ、俺を誰だと思っとんだ! どんなヴィランだろうが俺なら一瞬でブッ殺したるわ!」

 俺の発言を聞いた女は、困惑の中に「はあ?」いう呆れを含ませたような妙な顔をして口籠った。「だって私に関わったら、」の続きは恐らく「いつかあなたも危険な目に遭わせてしまうかもしれない」とか、そういうくだらない内容だろう。まったく、反吐が出る。
 この女は俺のことを何もわかっていない。というか、そもそもわかろうとしていない。俺の方もわかってほしいとは思っていないから、わかられていないのは構わないが、俺のことを心配するというのは、イコール俺を弱いと見做しているということだ。それは何が何でも許せない。
 俺のイライラをやっと察知したのか、女は静かに息を吐いて少し冷静さを取り戻したようだった。自分の発言の過ちに気付いたならさっさと前言撤回しやがれ。……と思いながら待っていてやったのに、女はどこまでも俺の予想の斜め上をいく。

「……あなたが私に固執するのは、私を屈服させたいからでしょう?」
「はあ?」
「だとしたらもう、……、」

 不自然なところで言葉を切った女に「もう、何なんだよ」と切り返す。しかし女はやはり口を噤んだまま固まってしまった。
 何かを言おうとして踏み止まったのは明らかだ。「もう」の続きは、わかるようなわからないような、中途半端ですっきりしない。なぜこの女は常に俺の神経を逆撫でするのだろう。中途半端な覚悟で、重要に違いない内容を吐き出そうとするのだろう。いちいち小さな苛立ちが降り積もる。
 しかし、こんな状態なのにこの女を突き放せない俺は相当イカれていた。この女の何が俺をそこまで引き止めるのか。面倒事に首を突っ込ませるのか。それもまた、わかるようなわからないような、中途半端な状態だ。
 女の言う通り、ただ屈服させたいだけなら簡単だった。腹が立ったら「二度とそのツラ見せんな!」と突き飛ばすだけで良い。だが俺がそうしない、できない理由がある。それをこの女はわかっていない。そして俺も、その理由を明確な言葉で示すことはできないのだった。

「俺とお前は違う」
「え、」
「さっきテメェが言ったことだろうが。そんなん当たり前だわ。一緒でたまるか」
「……たぶんあなたが思ってるような意味で言ったセリフじゃないと思うんだけど」
「何考えてんのか知ンねェけどなァ、てめえが何をしようが何を言ってこようが、俺は俺が納得するまで引き下がるつもりはねえ。わかったら帰んぞ」
「えっちょっ、」

 俺にしては饒舌に、捲し立てるように言葉を投げ付けて、事務所の出口の方へ大股で向かう。まるで言い逃げするみたいだと思うと自分自身に苛立ちが募ったが、今はこれで良いのだと言い聞かせた。
 女は俺が事務所の扉を閉めようとするのを見て慌てて外に飛び出す。俺の言ったことは到底理解しきれていないと思うが、この女に百パーセント理解させようと思ったらどれだけ時間がかかるかわかったもんじゃないから、これぐらい強引に事を進めなければいつまで経っても帰れない。
 事務所の鍵をかけて通りに出る。女の歩調は俺より随分遅いので、気付いたらかなりの距離があく。女は見ての通り大の大人だし、おそらく根っこの部分ではしっかりした性格なのだと思う。が、俺からしてみれば、気を付けていなければフラフラと迷子になってしまいそうな子どものようだった。
 隣を歩けとは言わないし思わない。しかしせめて、はぐれないようにはしておきたい。はぐれたら最後、そのまま消えてしまいそうだと、この俺に現実的には有り得ないことを思わせるだけの危うさが女にはあった。
 一定の距離を保ちながら歩く。いつまで、どこまで行くのかは決めていない。しかし、大人しく付いて来ているところを見ると、女も同じ方向を目指しているのだろうと思えた。

「私、こっちだから」
「ああ」
「さっきの話、」
「忘れた」
「……じゃあまた、言いにくる」
「頑固かよ」
「それはお互い様でしょう?」

 女が交差点で立ち止まり、その気配を察知した俺も足を止めて、くだらない会話をした。くだらなすぎて笑えるぐらい、どうでもいい会話だった。女は俺がほんの少し頬の筋肉を緩めただけで目を丸くさせている。

「今の私たちって、どういう関係なんだろうね」

 ひとしきり驚きの表情を見せた後、ぽつりと落とされた言葉。俺はそれをすくえるだけの裁量を持ち合わせていなくて、歯軋りをした。そして苦し紛れに返す。

「いちいち関係に名前がいるンかよ」
 
 女はいちいち驚いて、いちいち表情を和らげる。それが妙に擽ったくて居た堪れなかった。冷たく言い返しただけなのに、どうして安心したような表情を浮かべるのか、俺にはわからない。

「そうだね」
「早よ帰れや。明日寝坊すんぞ」
「そんなに子どもじゃないよ」
「ガキみたいなもんだろ」
「守られてばっかりだから?」
「……そういう意味で言ったんじゃねーわ」

 どこまでも自虐的で自分をドン底に突き落とすのが好きな女は、やっぱり消えてしまいそうだった。だからだろう。頭で考えるより先に、身体が動いていた。
 一定に保ち続けていた距離を埋めて近付き、俯き気味の頭をぐしゃっと撫でる。そしてすぐにハッとして我に帰った。俺は何をやっとんだ!
 素早く離れて背中を向けたから、女がどんな顔をしているのかは確認できない。何も言ってこないのが逆に俺の焦りを助長するが「なんか言えや!」と言える状況じゃないことぐらい、さすがの俺でもわかる。

「おやすみ」
「……ん」

 結局、女はごく一般的な挨拶だけを残して俺に背を向け歩いて行った。女の気配が遠退くのに比例して、いつからか肩に入りまくっていた力が徐々に抜けていく。俺が緊張していた? あの女のことで? ……そんなまさか。
 振り返っても、当然のことながら女の姿はもうない。自分の右手を見遣る。グー、パー、と何度か握ったり開いたりを繰り返しながら先ほどの自分の行動を振り返って、じんわりと熱が戻ってくるのがむず痒かった。
 女に触れたことがないわけではない。しかし、無意識に、衝動に駆られて触れたのは、間違いなく経験のないことだった。自分のことを制御しきれないなんて、俺もまだまだガキだ。人のことは言えない。
 あの女は今頃どこを歩いているだろうか。迷子にならず、消えることもなく、家に辿り着けるだろうか。そんなことを考えている自分に鳥肌がたった。
 最初は、子どものことを気にかける親みたいだ、と鼻で笑ってやろうと思っていたが、これはそれとは違う何かだ。気付かなければ良かったのに、俺は気付き始めてしまっていた。自分の気持ち悪い感情の変化に。
 七月。まだ暑さはそれほど本格化していないというのに、俺の身体は熱い。夏が、そこまで来ている。


迷子を探す迷子のように