彼との関係は、良くも悪くも中途半端に続いている。といっても、ホテルディナー以降プライベートでは会っていない。ただ、偶然なのか意図的なのかはわからないけれど、仕事で顔を合わせることは数回あった。
仕事の時はきちんと仕事モードで話をする。敬語でよそよそしく「お疲れ様です」なんて言ってみたり、わざとらしく作り笑いを浮かべてみたり。その度に彼が眉を顰めて「うぜェ」と舌打ちするのを見るのが、なんとなく面白かったのだ。
らしくないことをしているという自覚はある。一人の男性と、こんな戯れるみたいなやり取りをして、ほんの少しでも楽しいとか面白いとかプラスの感情を抱いているなんて、おかしなことだ。
そんなことを繰り返していたら梅雨に突入していて、いつの間にか蒸し暑い七月が始まっていた。土日休みの私の行動パターンは、土曜日にやらなければならないことを片付けておき、日曜日は余暇を楽しむ、という流れになっている。
余暇を楽しむと言っても私には趣味がないから、基本的にはぼーっと無駄に時間を費やしているだけだ。というわけで、いつも通り日曜日の午後をどうやって過ごそうかとぼんやりしていた私のところにやって来たのは、なんとも珍しいことに父だった。
実の父だというのに、顔を合わせてもほとんど会話はない。それが私たちの普通。プライベートに関する話なんて、お見合いの話題を除けば、生まれてから今に至るまで一度もしたことがないんじゃないだろうか。
そんな父がわざわざ私の部屋にやって来て「話がある」と、しかも「仕事の話ではない」と前置きをして「時間があるなら今から話をしないか」と声をかけてきたのだ。一体何の話をされるのかと身構えてしまうのは、当然の反応である。
父の部屋に行き、まるで面接官を前にした就活生のように背筋をピンと伸ばして座っている私は、父の第一声に目を見開いた。
「爆豪くんとは上手くいっているようだな」
「上手く……?」
「お前が見合い相手と何度も会うことなんて今まで一度もなかっただろう」
父も母と同じことを言うのだなと失笑した。母からどう聞いているのかは知らないけれど、父も母も勘違いしている。
二人の指摘通り、私は確かに今までにない行動を取っていると思う。しかし、だからといって、それがイコール上手くいっているとは言い切れないというのに。
「やはり彼を選んで正解だった」
「どういうこと?」
「そろそろ言っておくべきか」
含みのある言い方に嫌な予感がした。けれど、彼に関することならば聞かないという選択肢はない。私は静かに父の話に耳を傾けるしかなかった。
「神野の悪夢を覚えているか?」
「神野って……私が学生の頃の、あの事件のこと?」
「ああ」
「それはもちろん覚えてるけど」
「あの時に誘拐された少年が爆豪くんだ」
一瞬、時が止まった。それぐらい、私にとっては衝撃的な事実だったのだ。
神野の悪夢は、忘れることができるような事件ではない。だから大まかな内容は記憶にある。ただ、私はその手の、オールフォーワンに関する情報は、自分の嫌な過去を思い出してしまうからという理由で、意図的に取り込むことを拒絶している節があった。だから、誘拐された少年が誰か、なんていう、世間一般ではわりと知れ渡っているかもしれない情報も知らずに生きてきた。
たとえ誘拐された少年の情報が非公開になっていたとしても、父は警察関係者だから当然のように知っているのだろう。職権濫用もいいところである。
今しがた父から得た情報と「今回の見合いで最後にして良い」と言われた理由。それが私の頭の中でぴったり繋がった。
全く同じではないにしろ、彼は私と同じような経験をしている。彼の場合は私と違って、誰かの命が奪われるという事態には陥らなかったにしろ、その代わりに(という言い方をしたら重たいかもしれないけれど)、オールマイトという唯一無二のヒーローを失う結果となってしまった。
もちろん、全てが彼のせいというわけではない。けれど、頑固で誰よりも強さを求めているであろう彼なら、きっと思ったはずだ。自分のせいで、自分が誘拐されてしまったせいで、自分を助けるために、オールマイトは力を使い果たしてしまったのだ、と。
何にせよ、父は私と似たような経験を持つ彼となら、いつかお互いを理解し合うことができるだろうと考えたに違いない。まったく、浅はかな考えに反吐が出そうだった。
いくら同じような経験があっても、私と彼とでは根本的に考え方が違う。彼は自分の経験を生かし、自分自身だけでなく他人をも守れるヒーローになった。
しかし私はどうだろう。あの頃から何も変わっていない。二度と誰かを傷付けぬようにと逃げることしかできず、いざとなったら結局守られることしかできないまま。何一つ成長していない。つまり、私と彼が理解し合える日など永遠に来ないのだ。
「……教えてくれてありがとう」
「これからも上手くやりなさい」
上手く、って何だ。それじゃあまるで私が彼を利用しているみたいじゃないか。私を守らせるための駒として使おうとしているみたいな言い方はやめてほしい。
彼は私のような女が縛り付けて良い男ではない……というか、縛り付けられるようなタマではない。今まで通り、そして今まで以上に、誰かを救けるヒーローであり続けるのだろうから。
このままずるずると宙ぶらりんな関係を続けているうちに、いつか彼は私の過去を知るだろう。その時、どんな反応をするのか。それが怖い。
面倒ごとには巻き込まれたくないと、厄介な女には関わりたくないと、完全に拒絶されるかもしれない。それが当然だし、いっそのことそちらの方が楽になれる。
拒絶されるよりも怖いのは、受け入れられることだ。「そんなことかよ」と一蹴し、鼻で笑い、全てを知っても尚、彼は「逃げんな」と言うかもしれない。巻き込みたくないのに、いつか私のせいで何かしら彼に不利益を被る事態が訪れるかもしれない。それが一番怖かった。
何度も思ったことだ。彼との関係はきっぱり断つべきだと。これが最後のお見合いだという約束だ。だから彼との縁談をきちんと断れば、私はこの先一生一人でいられる。そっちの方が楽だ。こんな時でも私は、私のことしか考えていない。そういう女なのだ。
何度目かの決意を固め、彼に「話をしたい」と改まって連絡を入れる。すると彼はあっさりと「わかった」と了承の返事をくれた。
珍しく仕事が立て込んでいるようで、食事の席ではなく彼の事務所に呼び出される。いつもと違う環境にそわそわしつつ、おそるおそる訪れた慣れない空間には彼しかいなかった。それにまた私が人知れず緊張感を高めていることなど、彼はきっと気付かないだろう。
ずっと、どうやって話を切り出そうか考えながらここまで来た。しかし、考えたって仕方のないことだった。どんな話であろうと、彼には端的に話をするのが一番良いという結論に至ったからだ。
「あなた、神野の時の人だったのね」
「あ? なんでンなこと……」
「私の父、警察関係者だから」
「そういやそうだったな。ったく、個人情報管理がなってねェ」
一瞬驚いた表情を見せつつも、彼は手元の仕事から視線を逸らすことはなく淡々としていた。口調は相変わらず刺々しいが、怒っている様子はない。
頭の良い彼のことだ。もしかしたらいつかこうなることを予測していたんじゃないだろうか。だからこんなにも冷静でいられるのだと思う。
「あなたは、すごいと思う」
「なんだ急に。気色悪ィ」
「私とは、違う」
「何の話だ」
「だからやっぱり、会うのはこれで最後にしましょう」
彼が手を止めて顔を上げた。視線が交わる。どくり。心臓が跳ねた。赤の瞳は、いつだって、私の心臓を突き刺す。