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I

Zの衝撃

 無事に職場体験を終え、いつもの平凡…とは言えないまでも、俺達にとっては普通の日常が戻ってきた。…と言いたいところだが、この雄英高校では束の間の休息すら与えてくれないらしい。目前に控えた夏休みには林間合宿があるようでそれには心が踊ったのだが、その前にクリアしなければならない課題があった。忌々しい期末試験である。
 俺はクラスの中で下から数えた方が早いぐらいの成績だ。つまり、勉強は苦手。得意なヤツなんてそうはいないだろうが、それでも賢いヤツは賢い。
 六月下旬。期末テストまで残り一週間を切ったところで、クラスの話題は期末試験のことで持ちきりだった。勉強に不安のあるヤツらは大半が八百万の家で勉強会をすることになったらしい。本来なら俺もそちらに混ざった方が良かったのかもしれないが、爆豪が教えてやると申し出てくれたので、どうせならマンツーマンで分からないところを教えてもらうことにした。
 爆豪はなんだかんだで男気があって筋の通ったヤツだと思う。言い方とやり方には多少…否、かなり問題があるかもしれないが、その言動自体に大きな間違いはない。時々冷静になる瞬間もあるようだし、その発言には周りを納得させられるだけの説得力みたいなものもある…と俺は思っている。
 あんな感じなのに爆豪の成績がトップスリーに入っているということに、最初は驚いた。しかし、一緒に授業を受けていれば分かる。爆豪はいつ見ても、自分の“個性”の生かし方をきちんと理解した上で最高の力が発揮できるように考えて動いているのだ。そんなの、馬鹿では絶対にできない。

「爆豪んちってすげーのな」
「どこが。普通だわ」

 どこで勉強するかという話をしたら「うち」と間髪入れずに答えられた。その方が爆豪が楽なのだろう。それならばとお言葉に甘えてお邪魔することにした俺は、立派な家に感嘆の声を漏らす。
 爆豪にそっくりなお母さんが明るく出迎えてくれて、ジュースまで出してくれた。正直、もっとこう、豪快な感じの、爆豪の原点みたいなものを感じるお母さん像を勝手に想像していただけに、俺は心の中で密かに驚く。

「爆豪のお父さんって昔ながらの…厳格な感じ?」
「はァ? 全然違ェわ。うちで一番弱ェ」
「弱い」

 俺はますます不思議に思った。それならばこの爆豪勝己の性格を形成しているのは一体何なのだろう。育ってきた環境? 周りの影響? そんなに甘やかされている印象はないが…

「オイ。ヤル気ねえなら帰れや」
「やる! やるやる!」

 ぼさっとしたまま考え事をしていたので、爆豪に怒られてしまった。このまま帰るわけにはいかない。林間合宿に行くためにはどうしても赤点を回避しなければならないのだ。俺は爆豪の部屋のテーブルの上に問題集とノートを開き、勉強モードに入る。
 勉強を始めてまだ三十分少々だが、爆豪の教え方が普通に上手いことを実感するには十分な時間だった。本当に何でもできるんだな、コイツ。上鳴が「才能マン」と言っていた意味がよく分かる。
 爆豪は自分もきちんと試験勉強をしていて、その傍らで俺が分からないところを教えてもらうスタイルだ。この調子だとかなり捗りそうな気がする。
 そう思っていた時だった。コンコン、というノック音が聞こえた数秒後、ひょっこりと見知らぬ女の子が顔を覗かせた。その制服は俺達と同じく雄英高校のものだからヒーロー科ではない雄英生らしいということは分かったが、それ以外の情報は何もない。状況が飲み込めない俺をよそに、爆豪は女の子の存在を確認すると、追い払うのかと思いきや意外な行動に出た。

「どうせ数学が分かんねーんだろ」
「うん。教えて?」
「ったく…こっち来い」
「わーい! あ、ごめんなさい…一緒に勉強させてもらってもいいかな?」
「そりゃ勿論」

 いいと言わざるを得なかった。この部屋の主である爆豪が招き入れたのに、俺がダメだという理由はどこにもない。
 爆豪の隣、そして俺の正面に座った女の子は、みょうじなまえと名乗った。雄英高校のサポート科に通っていて、爆豪と緑谷の幼馴染らしい。それを聞いた俺は、だからこんなにも爆豪に普通に接することができるのかと納得した。

「かっちゃん」
「かっちゃん!?」
「うるせえクソ髪!」
「いや、その呼び方が許されんのって緑谷だけかと思ってたからつい…」
「デクに許した覚えはねェ」
「ねぇかっちゃん、ここの問題なんだけど」
「あ?」

 みょうじさんは随分とマイペースな女の子のようだった。少なからず動揺を見せている俺に見向きもせず、淡々と数学の問題に取り組もうとしている。もしかしたらこういう反応をされるのは慣れているのかもしれない。なんせ爆豪を「かっちゃん」呼びできる女の子なのだ。A組の女子達ですら成し得ないことを平気でやってのける彼女は、少々のことでは動じないだろう。
 それにしても、いくら幼馴染とは言え、爆豪がそう簡単に女の子に気を許すだろうか。この部屋に訪ねてきた時だって、ちっとも躊躇うことなく招き入れた。それも、ほとんど嫌がる素振りを見せずに、だ。きっとA組の連中がいたら、暫く放心状態になってから大騒ぎするに違いない。
 爆豪に解き方を教わったらしい彼女は、サラサラとノートにペンを走らせている。こうしちゃいられない。俺も勉強に集中しなければ。
 そう思って英語の問題に取り組み始めたのだが、時々目の前で繰り広げられる会話にはどうしても耳が傾いてしまうし、みょうじさんと話している時の爆豪は明らかにいつもの爆豪とは違う雰囲気だし、ちっとも集中できない。これは果たして俺のせいなのだろうか。そして俺はこの場にいても良いのだろうか。先にいたのは俺だが、帰った方が良いんじゃないかという気さえしてくる。

「切島くん、だっけ?」
「へ?」
「英語、苦手なの?」
「まあ…」
「私、英語は得意なんだ。教えてあげよっか」
「てめえは死ぬ気でさっき教えてやった問題解いとけや」
「えー…数学ばっかり飽きちゃったんだもん」

 突然声をかけられた俺は、微妙な反応しかできなかった。身を乗り出したみょうじさんは俺のノートを覗き込んできてなかなか魅力的な提案をしてくれたが、爆豪によって阻止されてしまう。しかも俺は何もしていないというのに、なぜか爆豪に睨まれる始末。とんでもないとばっちりだ。
 そこで俺は、とある可能性に辿り着いた。もしかしてこの二人…

「付き合ってんのか?」
「え」
「な、」

 口にしてこれほどに後悔したセリフはなかった。俺の発言を聞いた二人は揃ってぐりんと俺に視線を寄越し、何とも言えない表情を浮かべている。その表情は「違うんだけど否定はしたくないしどうしよう」と訴えているように見えて、非常に居た堪れない気持ちになった。
 みょうじさんとは初めて会うから普段どんな表情をする子なのかは分からないが、爆豪のこんな顔は初めてみる。爆豪でもこういう顔をするのかと、今日は新たな発見が盛り沢山だ。

「ンなわけあるか!」
「私達はただの幼馴染ってだけだよ」
「あー…そっか。悪かった。変なこと訊いて」

 結局、否定はしたくなくとも付き合っているという事実がない以上否定するしかなかったらしい二人は、口を揃えて「付き合っていない」という回答をくれた。
 俺はお世辞にも色恋沙汰に敏感なタイプとは言えない。だから、誰が誰を好きだとか、そういうことには昔から気付けないことがほとんどだった。しかし、この二人はそんな俺でも気付いてしまえるほど分かりやすい。どうしてそういう関係になっていないのか疑問を抱くほどだ。
 俺が気付くぐらいなのだから、この二人と幼馴染である緑谷も気付いているのだろうか。というか、この二人と一緒にいたら地獄ではなかっただろうかと、いらぬことまで考えてしまう。俺ならきっと、この空気に耐えられなくて逃げる。今だって帰った方がいいのではないかという気持ちが大半を占めているが、林間合宿に行けるかどうかがかかっている大事な期末試験が待ち受けている以上、私情を挟んでいるわけにもいかない。
 俺はもう一度自分に気合いを入れ直し、集中力を総動員してノートに視線を落とした。しかしその集中力は呆気なく途切れてしまう。

「分かんないところ教えてもらったし、今日は帰る」
「おう」
「切島くん、邪魔してごめんね」
「いや全然!」
「かっちゃん、いつも教えてくれてありがと」
「別に」

 みょうじさんは可愛らしい笑顔を残してあっさりと帰ってしまった。爆豪も引き留める様子はなかったし、お互い好きだとしても一緒にいたいってわけじゃないのか? という小さな疑問が生まれる。

「みょうじさん、良かったのか?」
「何が」
「いや…なんとなく」
「どうせ明日もうちに来んだからいーんだよ」
「明日も?」
「試験期間中は毎日うちに来る」
「それ、中学ん時から?」
「だったら何だよ」
「…なんか俺、お前のことすっげー見直したわ」
「何わけ分かんねェこと言っとんだ。早よ勉強しろや」
「おう!」

 中学時代から試験期間中に毎日想い人が自分の家に来るというのは、どういう気分なのだろう。俺がいなければ二人きりの空間。それが当たり前。付き合っていない男女の場合、普通なら有り得ないことだ。しかし二人は付き合っていない。まるで少女漫画のようだと思った。ほとんど読んだことはないが。
 どこで勉強するかという話をしたら「うち」と間髪入れずに答えられた時のことを思い出す。爆豪はみょうじさんが来ることが分かっていたから自分の家がいいと言ったのだと、漸く気付いた。なんだか爆豪が健気に思えてくる不思議。
 A組の連中に教えてやりたい。爆豪の意外な一面を。しかし、俺は自分の胸の内だけに留めておくことにした。二人の邪魔をしてはいけない。なんとなくそう思ったからだ。
 今度こそ、とシャーペンを握り直す。それからは集中して勉強することができたし、明日からもこの調子で…と思いながら帰り道を歩いていてハッと気付いた。明日もみょうじさん爆豪んち来るじゃん。俺、邪魔じゃね?
 気付いたところでどうしようもない。勉強を教えてくれると言ったのは爆豪の方だし、俺も赤点は何としてでも回避したいし、二人には申し訳ないが今回だけは大目に見てもらうことにしよう。