Yの胸騒
期末試験。今回はクソ髪というオプション付きだったが、いつも通りなまえに教えながらでも筆記試験の方は余裕でクリアできた。しかし、問題は演習試験の方だった。
そもそも共闘というものが苦手…というか嫌いな俺にとって最悪な試験内容だとは思っていたが、まさかよりにもよってデクと組まされることになるなんて思いも寄らなかった。あのクソ教師、絶対に図ってやがったな、と思ったところで決定事項を覆せるわけでもないので、俺は歯を食いしばって文句を飲み込む。そしてそんな俺に追い打ちをかける更なる不運は、ヴィラン役がオールマイトだということ。俺にとって、そしてデクにとって最も戦い難い相手だった。
職場体験を終えた後のデクの動きは明らかに変わっていた。わざわざ人の神経を逆撫でするようなことをしてきやがって、心底胸糞悪いヤツだ。また、俺の知らないところでアイツだけが進んでいる。そう思わされることに、途轍もない憤りを感じた。
試験中もクソほどムカついた。自分の力だけではどうにもならなかったことが。「負け」を一瞬でも受け入れようとしてしまったことが。オールマイトの言葉よりデクの声に耳を傾けてしまったことが。兎に角、ただただムカついた。デクにも、自分自身にも。
目を覚ましたらベッドの上だった。自分を捻じ曲げてでも勝ちたいと思ったからこそ選んだ方法は、果たして「勝ち」という結果をもたらしたのだろうか。オールマイトに散々殴られた俺は、途中で気絶してしまったらしく記憶が全くない。
「あ、起きた?」
「…なんでテメェがいんだよ……」
「デクくんに聞いた」
「ったくあのクソナードは…余計なことしかしやがらねェ」
聞き覚えのありすぎる声がしてそちらに視線を向ければ、そこには案の定、なまえの姿があった。窓の外には夕焼け空が広がっていて、俺が相当長い時間気絶したままだったことを物語っている。なまえは授業が終わってからずっとここにいたのだろうか。どれぐらいの時間待っていたのかは知らないが、物好きな女である。
俺はゆっくりと上半身を起こした。身体のあらゆるところに痛みが走るし、全身の倦怠感は半端じゃないが、動けないというほどではない。きっとリカバリーガールのお陰だろう。あのバアさんの力を借りなければならないほど馬鹿なマネはしたくないと思っていたが、今回ばかりは仕方がないと思うことにする。俺は自分の力を見誤ったわけではなく、勝つための選択をしただけなのだから。
「演習試験、条件達成したって」
「そうかよ」
「あんまり嬉しそうじゃないね」
「あれで条件達成できてなかったらアイツを殺してたわ」
「物騒だね、相変わらず」
「…で、てめーは何しに来た?」
ぱちぱち。俺の問いかけを聞いて数回瞬きし「何言ってんのかっちゃん」とでも言いたげな呆けた表情で俺を見つめてくるなまえから、なんとなく視線を逸らす。この女から注がれる視線は、いつも俺に妙な感情を抱かせるから苦手だ。嫌だとは思わないが、自分が自分じゃいられなくなるような気がしてならない。
「かっちゃんの様子を見に来たの」
「それだけかよ」
「それだけだよ」
「暇人か」
「全然暇じゃないけど」
それはもう流れるような会話のやり取りだった。逸らした視線を元に戻して確認したなまえの表情は変わらない。
俺の様子を見に来た。ただそれだけ。暇でもないくせに何十分、何時間ここにいたのか。暇じゃないならいなければいいのに、コイツはさも当然であるかのようにそこにいる。
俺となまえは幼馴染という関係でしかない。ただの幼馴染のためにそこまでするかよ普通。これが俺じゃなくデクだったとしても同じことすんのかよ。
そんなことを考えてしまった自分に引いた。我ながら矮小な考えすぎて反吐が出る。なんで俺はいつもアイツと自分を比べたがっているのか。その原点は間違いなく、この女にある。
「暗くなる前に早よ帰れ」
「帰ってる間に暗くなっちゃうよ」
「……ちょっと待ってろ」
「どこ行くの?」
「着替えてくる」
立ち上がった俺に値踏みでもするかのような視線を寄越してきているのは、動いても大丈夫かどうか客観的に判断するためなのだろう。なまえのこういう妙に冷静なところは、嫌いじゃない。
更衣室でコスチュームから制服に着替える。そういえばあのバアさんの姿が見えなかったが、帰るなら一声かけるべきだろうか。治してくれと頼んだわけではないが、ここまで動けるようにさせてもらったのだから無言で帰るのは釈然としない。
俺は着替えを済ませると、教室に鞄を取りに行ってから再び元いた部屋に足を運ぶ。そして中に入ろうとした俺は、話し声が聞こえたことで扉を開ける手を止めた。声の主はあのバアさんとなまえである。
「あんた、あの子の恋人かい?」
「まさか。ただの幼馴染です」
「随分と心配性な幼馴染がいたもんだ」
「心配性?」
「ただの幼馴染のために二時間も待ってたら十分心配性さね」
「…心配されるのは、迷惑、ですかね、」
なまえの声が曇るのがはっきりと分かった。俺は扉にかけていた手を、まだ動かせない。
「迷惑かどうかは人によるよ」
「ですよね」
「目覚めた時、あの子は迷惑だって言ったのかい?」
「それはさすがに言われてませんけど…」
「じゃあそういうことさね」
「そういうこと?」
「あの子は迷惑なら迷惑だってハッキリ言う子だろ。違うのかい?」
違わない。あの子というのが俺のことを指しているのなら、それは、違わない。心配されるのは、正直好きではないし、人によってはイラつく。心配するということは、俺を弱いと認識しているせいだと思うからだ。
しかしなまえに心配されて、そんな感情は湧いてこなかった。そこにいたことに驚きはしたが、出て行けとは思わなかった。バアさんの言う通り、つまりはそういうことだ。
ガラリ。扉を開ける。振り返って俺の存在を確認したなまえは、バアさんに礼を言ってこちらに駆け寄ってきた。まるで犬のようだ。バアさんには「無茶しなさんなよ」と小言を言われた気がするが、返事はしなかった。
学校を出て、いつもの帰り道をいつものように並んで歩く。普段なら「うるせえ黙れ」と言うほどくだらない話を振ってくるなまえが、今日はやけに静かなのが落ち着かない。先ほどのバアさんとの会話をまだ引き摺っているのだろうか。
「オイ」
「うん?」
「何か喋れや」
「いつもは黙れって言うくせに」
「うるせえ」
話さないなら話さなくてもいい。沈黙が苦痛なわけではないからだ。しかし、どうも辛気臭い雰囲気は拭いきれておらず、それがどうにも気になった。言いたいことがあるなら言えばいい。なまえに言われて本気で嫌なことは、ほぼない。そう言い切れる。
「ヒーロー科は林間合宿があるんだってね」
「ああ」
「私も負けてらんないなあ」
「そっちはねえのかよ」
「合宿みたいなのはないけど、夏期講習っていうか…選択制での特別授業はあるよ」
「参加すんだろ」
「勿論」
「精々頑張れや」
「うん」
俺の最大限のエールを素直に受け取ったなまえは、いつの間にかスッキリした顔をしていた。コイツは自分の中のわだかまりを自分で消化する能力に長けている。昔からそうだ。何があってもなまえは俺を頼らない。それが歯痒くて堪らない。しかし救いなのは、俺だけじゃなく誰にも頼らないということ。その事実に安堵している。俺はとんでもないクソガキだ。
「怪我しないように気を付けて」
「誰に言っとんだてめーは」
「でもほら、怪我はしなくても物騒な事件に巻き込まれたりするかもしんないじゃん」
「ンなこと考えるだけ無駄だろ」
「かっちゃんに何かあったら心配だからさ」
「…俺は大丈夫だ」
「心配なんかされてたまるか」と言わなかったのは、少なからず先ほどの会話の記憶が残っていたからだろう。心配されるのは迷惑ではないと気付かせてやりたかった。心配されたいというわけではないし、心配するだけ無駄だとは思う。しかしその気持ちが迷惑だとは感じない、と柄にもないことを伝えたかった。あの言い方で伝わったかどうかは定かではないが。
まさか本当に物騒な事件に巻き込まれて拉致監禁されるハメになるとは、この時の俺は微塵も思っていなかった。連れ去られる時に感じたのは、自分の非力さに対する腹立たしさと悔しさ。そして事態を理解し冷静になってから湧き起こったのは「なまえに大丈夫だと言ったからには約束を守らなければならない」という使命感だった。