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I

Eの鎮撫

 体育祭。それはプロヒーローを目指す上で大切な行事の一つだ。活躍することができれば大手事務所に注目してもらえるかもしれない、絶好の機会なのである。
 体育祭の二週間ほど前だっただろうか。B組だか普通科だかなんだか知らないが、ザコ共が教室に押しかけてきたことがあった。例の事件を受けてわざわざ喧嘩を売りにきたらしい。敵情視察? 宣戦布告? ンなモン勝手にやってろ。上に上がりゃ関係ねえ。それに俺は、テメェらの相手なんざしとる場合じゃねェんだよ。
 そうして結果的に、俺は喧嘩を売ったことになるのだろう。否、売られた喧嘩を買っただけと言うべきか。まあ別にどちらでもいい。俺は自分が他人より秀でていることを信じて疑わない。だから「一位になる」というのは俺の中で必要最低条件。そういう意味を込めて「宣誓」してやったのだ。「俺が一位になる」と。
 あの選手宣誓の言葉は、誰に向けて言ったわけでもなく、俺自身のために言った。だからクソモブ共に何を言われようが気にならなかった。気にする必要がなかったのだ。
 蓋を開けてみれば、何のことはない。俺は体育祭で見事一位になっていた。有言実行である。しかし、そんなもの、何の意味もなかった。
 一回戦、俺はデクの野郎に負けた。俺は三位でデクは一位。俺はまた、負けたのだ。リベンジを誓い臨んだ二回戦。俺は最後までアイツのハチマキを取ることができなかった。それならば直接対決で決着をつけてやろうと意気込んでいた最終種目のトーナメント。俺はデクと直接“殺り合う”こともできず、デクを退けた半分野郎は、デクを相手にした時に見せた力を俺に使わなかった。それによって俺は一位になった。
 こんな内容で、誰が一位という結果を喜べるというのだろう。世間が認めても俺が認めなければ何の意味もない。この俺の胸糞悪ィ気分を理解できるヤツはどれほどいるのか。そもそもそんなヤツ、存在するのだろうか。そう考えた時に間髪入れず頭に思い浮かんだのは、あの女の顔だった。
 まさかそのせいで、とまでは思わなかったが、体育祭の翌日、昼頃に目を覚ました俺の家になまえがやってきた時は何事かと思った。昔からの腐れ縁で親同士の交流があるからだろうか。もはやそれとは関係ないようにも思えるが、兎に角、なまえとうちの親は仲が良い。だから、まるで我が家で寛いでいるかのようにリビングでコーヒーとケーキを貪っていても、何らおかしいとは思わなかった。

「何しに来た」
「暇だったから、おめでとうって言いに来たの」
「テメェ…」
「かっちゃんにとって不本意なのは分かるよ。でも、一位は一位だから」

 俺の心理を悟った上で、それでも「おめでとう」と言ってくるこの女は、本当に神経が図太い。神経を逆撫でしようなどとは微塵も思っていないのだろう。コイツは本気で俺が一位になったことをめでたいと思っている。そして俺がどんな経緯で一位になったのか知っていても尚、俺を認めようとしている。腹が立つ。なまえに認められているのなら、事実は事実として受け止めようと思ってしまっている自分自身に。
 苺ののったショートケーキの欠片を口に運んでむしゃむしゃと咀嚼している女の、斜め前にどかりと座る。「かっちゃんもいる?」と、もう一欠片をフォークに突き刺してこちらに寄越してきたのを「いらねえ」と一蹴すれば、その一欠片はなまえの口に吸い込まれていった。食い意地の張った女である。

「用が済んだらとっとと帰れや」
「かっちゃんママは、ゆっくりしていってね、って言ってたもん」
「知るか」
「機嫌悪いねえ…いつものことか」
「てめえ、本当は何しに来た?」

 ぎろりと睨むように視線を向けた俺に怯むことなく、ショートケーキの最後の一口を頬張ったなまえは、優雅にコーヒーを喉に流し込んでから「御馳走様でした」と手を合わせた。俺の前でこんなことができる女はコイツぐらいのものである。

「かっちゃんを慰めてあげようかと思ってたんだけど」
「はァ?」
「思ったより元気そうで安心した」
「何腑抜けたこと言っとんだ」
「ごめんごめん。でもなんか、最近色々あったみたいだし」
「……デクに聞いたんかよ」
「詳しいことは何も。でも、かっちゃんが色々変わったのはなんとなく分かるよ。幼馴染だもん」

 どこか得意気な顔をしている女に思わず舌打ちしてしまう。俺のことは何でもお見通しだと言われているようで頭にきたが、それよりも先に「分かる」と言われたことに心のどこかで安堵してしまったことの方が由々しき事態だ。なまえのことは言えない。これでは俺の方がとんだ腑抜けになってしまう。
 何もやることがないくせに帰ろうとする素振りを見せないどころか、携帯を取り出して何やら画面を眺め始めたなまえに眉根を寄せる。「やることねえなら帰れ」と言っても気のない返事をしてきやがって、本当に何をしに来たんだと怒鳴りたい衝動に駆られた。

「かっちゃんは自分に厳しすぎるから」
「急に何だ」
「ストイックなのはいいことかもしれないけど、たまには自分のことちゃんと褒めてあげてね」
「てめえに言われる筋合いねェわ」
「まあ私が何を言ったところで、かっちゃんはかっちゃんのままだろうって、分かってるよ」
「意味分かんねえこと言ってねェでとっとと帰れ」
「かっちゃん」
「だから、」
「かっちゃんは、一番カッコ良かったと思うよ」

 何度目かの「帰れ」を言おうとした口は、言葉を発することができずに固まる。何度も思った。世間が認めても俺が認めなければ何の意味もない、と。誰に何と言われようと、俺が俺を認めない限り、満足する結果は得られないと。それなのに、いつもコイツは俺に例外を与える。
 カッコ良かった。そんな陳腐で幼稚でクソどうでもいい感想を言われたところで、俺が俺自身を認める要因にはならない。しかしなまえの言葉だけは、俺にとって特別な意味をもたらす。昔からそうだ。どれだけありふれた言葉でも、死ぬほどつまらない一言でも、俺は無意識のうちにこの女に絆されている。そんな自分を認めたくないと思う反面、認めてしまえばもう少し楽になるのだろうかと考えてしまうのが情けなくて、俺はいつも目を逸らす。自分から。この女から。
 きっと俺は「カッコ良かった」という単語に反応したのではない。「一番」という単語に反応してしまったのだ。なまえにとっての「一番」がどういうことか。それは自分自身がよく知っている。それでも。

「ンなこと言われても嬉しくもなんともねェ…」
「喜んでもらうために言ったんじゃないもん。私が言いたいから言ったんだもん」
「そうかよ」

 口から飛び出した言葉は果たして本音だったのか。深くは考えないことにした。考えだしたらキリがないからだ。
 なまえはいじっていた携帯をポケットにしまうと、ソファから立ち上がった。空になったコーヒーとケーキの皿をご丁寧にも流しに持って行き「言いたいこと言ったから帰るね」と言う女の自由奔放さには呆れてものも言えない。

「明日からまた学校だね」
「それがどうした」
「ヒーロー科は何をするの?」
「知るか」
「サポート科はね、本格的に色々作る授業が始まるんだって」
「…良かったな」

 俺がぽろりと吐き出した声を掬ったなまえは「かっちゃんがそんな風に言ってくれると思わなかった!」と、なぜか大袈裟に喜びを露わにしていた。何をそんなに喜んでいるのかは分からないが、なまえの長年の夢を耳にタコができるほど聞いている俺からしてみれば当然の呟きだ。

「かっちゃんのコスチューム、いつか私がデザインしてあげるね」
「願い下げだわ」
「またそんなこと言うんだから」
「精々頑張れや」
「うん…頑張るよ。かっちゃんとデクくんに負けないように」

 そこで出てきたデクの名前にぴくりと反応してしまったものの、どうにか心を落ち着けて、玄関に向かうなまえの後を追った。見送りをしようと思ったからではない。俺もそちらに用があっただけだ。「じゃあまたね」と笑顔で手を振ってあっさりと帰って行った女の後姿の残像を見遣る。
 今日、目を覚ましてからずっとムカついていたはずの胸は、すっきりと澄んでいた。