Dの邂逅
何事もない平凡な日常。それが当たり前だと思っていた。しかし、どうやらこの雄英高校では当たり前ではないらしい。
今日が臨時休校となったのは、昨日の授業中にヴィランの襲撃事件が起こったからだと聞いた。それも襲撃場所は雄英高校ではなく、一年A組が授業を受けているUSJ。昨日の放課後の時点でヴィラン襲撃事件については噂が広まっていたし、臨時休校の知らせがくるとその噂は更に現実味を帯びた。
どうして雄英高校にヴィランが? ここのセキュリティは万全ではなかったのか? そういえばつい最近、セキュリティゲートが突破されたことがあったけれどそれと関連しているのか? 今後同じようなことが起こる可能性があるのでは? 噂は噂を呼び、あることないこと憶測が飛び交う中、私は全く違うことを考えていた。
ナンバーワンヒーローになる。そう豪語していた彼は、本物のヴィランと相対してどう感じただろうか。どのような行動に出ただろうか。彼のことだから、臆することなく敵に向かっていったんだろうな。どんな相手だったのだろう。怪我はしていないだろうか。私の頭の中は彼のことだけでいっぱいだった。
そしてそれが落ち着いたら、今度はデクくんのことも心配になる。詳しくは知らないけれど、デクくんは怪我をしやすい“個性”を有しているようだ。となれば、今回の襲撃事件の時にも何かしらの怪我を負ってしまったかもしれない。誰かを護るためなら自分のことなど二の次。デクくんはそういう人だと知っているから、余計に心配である。
とは言え、どれだけ心の中で心配していようとも、私が彼らにできることは何もなかった。だから、連絡を取ることもしていない。襲撃事件は既に幕を閉じている。たとえ二人が、あるいは二人のうちのどちらかが重傷を負っているとしても、今の私にはお見舞いに行って林檎の皮剥きをする程度のことしかできないだろう。そう思ってのことだった。もしもリカバリーガールのような“個性”を持っていたら何かしらのアクションを起こしていたかもしれないけれど、生憎、私の“個性”はそんなに大それたものではない。
そんなわけで、突然の臨時休校となった今日、私は買い物に出かけていた。買い物といってもウインドウショッピングみたいなオシャレなものではなく、ただの夜ご飯の買い出し。正直、外に出かける準備をするのは少し面倒臭いなあと思ったけれど、特にすることもなくグータラ家の中で過ごしている私には、お母さんからの指令を断る理由は存在しなかったのである。
四月中旬。風は暖かくて心地良い。日によっては生温かい、初夏を思わせるような空気を運んでくることがあるけれど、今日はそうでもないようだ。何かいいことがありそう。
そんな当たりもしない予感を抱きつつ、平凡なスーパーの野菜売り場で人参を選ぶ。そして、適当な一本に手を伸ばした時だった。その人参に私以外の手が伸びてきて、私とほぼ同じタイミングでそれを掴む。勿論私はわざとではないし、恐らく向こうもわざとではないのだろうけれど、沢山あるうちのたった一本の人参を同時に手に取るなんて、どんな偶然だ。
もしかしてこれが運命の出会い…? などと妙にメルヘンチックなことを考えながら顔を上げた私は、一瞬にして現実に引き戻された。そうだよね。同じ人参を手に取った、なんてマヌケな運命の出会い、あるわけないよね。知ってました。
「なんでてめえがこんなとこにいンだよ」
「それはこっちのセリフでもあるけどね。かっちゃんもおつかい?」
「違えわ」
「じゃあお母さんと一緒にお買い物?」
「ンなんじゃねえ」
「じゃあなんで人参買ってるの」
「うるせえ。さっさと人参寄こせや」
人参なんて他にも沢山あるのに、と思いながらもこんなところでその人参を取り合うなんて馬鹿げていて恥ずかしいことはしたくないので、私は素直に人参から手を離し違う一本を取ってカゴに入れた。結局おつかいなのかお母さんと来ているのかは分からなかったけれど、どちらでも良いことなので追及はしない。
しかしその代わりに、私は違う話題を振ってみることにした。彼は人参だけを持って私の少し後ろを歩いているから、話しかけたら返事ぐらいはしてくれるだろう。
「昨日、大変だったね」
「何が」
「ヴィランの襲撃にあったって聞いたから怪我とかしてないかなあって、ちょっと心配してた」
「あんなもんで怪我なんかするかクソが」
「あんなもんって言われても私はどんなもんか知らないから何とも言えないんだけど、でもまあ…うん、いつものかっちゃんで安心した」
じゃがいもを手に取る。そういえば今日はカレーにするって言ってたな。玉ねぎも買わなくちゃ。
依然として野菜売り場をうろうろする私の少し後ろを付いてくる彼は暇なのだろうか。私が話しかけたものだから離れにくくなってしまったのだとしたら申し訳ない。おつかいにしろ、お母さんと来ているにしろ、その人参を買わなければならないのだろうに。
「話は以上なので、もう行ってもいいです」
「てめえに指図されてたまるか!」
「……じゃあ一緒に買い物する?」
「しねえわ!」
「だよねえ。じゃあまた、学校で?」
まったく、つくづく天邪鬼な性格だと小さく息を吐きながら別れを告げる言葉を贈れば「おい」と呼び止められたので足を止める。ちょうど玉ねぎコーナーの横だったので玉ねぎをカゴの中に入れながら「なあに?」と尋ねると、彼は珍しい単語を口にした。「デクのことはきかねえのか」と。彼は確かにそう言ったのだ。
まさか彼の口からその人物の名前が積極的に繰り出される日がくるなんて、望みこそすれ、実現するのは無理、あるいは遠い未来の話だと思っていただけに、私はぽかんと口を開けて固まってしまう。一体どういう心境の変化だろうか。もしかしてデクくんが自分の“個性”の話をしてから、彼の中で何かが変わったのかもしれない。何がどう変わったかまでは分からないけれど、もしそうだとしたら喜ばしいことである。
「じゃあきくけど、デクくんは大丈夫だった?」
「……クソデクは保健室行きだ」
「あらら。入学してからずっとだね」
「だからアイツはヒーローになれねえっつっとんだ」
「確かに…今のままじゃ難しいかもしれないね」
カレーの付け合わせのサラダの材料となるレタスやキュウリ、トマトを順番にカゴに入れながら、私は静かに言葉を紡ぐ。
「でも、それを一番分かってるのはデクくんだと思うから」
「テメェはうぜえほどあのクソを庇いたがるな」
「庇ってるんじゃないよ。事実を言ってるだけ。かっちゃんだって、」
「俺は! あんなクソ野郎とは違う!」
野菜売り場に彼の声が響いて、お客さんがこちらに振り向く。私はぺこぺこと頭を下げてから足早に精肉コーナーに移動した。すぐにかっとなって大声を出してしまうのは彼の悪い癖だ。
「かっちゃんだって、今のままじゃあ自分がヒーローになれないってことは分かってるでしょう? デクくんと同じじゃない」そう言ってやろうと思っていたけれど、彼はそう言われることが分かっていたみたいに私の言葉を遮った。
彼とデクくんが違うことなんて、とうの昔から知っている。違うなりに、同じ目標に向かって違う道筋でアプローチしていることも心得ている。そんなこと、彼だって分かっているだろう。それでも彼は、私がデクくんを認めるような発言をする度に、デクくんと似ている部分を指摘する度に、先ほどのように不機嫌さを爆発させる。デクくんのことはきいてこないのか、と尋ねてきたのは自分のくせに。
じゃあ私は何と答えれば良かったのだろう。何と答えれば、彼の逆鱗に触れなかったのだろう。分かるような分からないような。けれどもたとえ正解が分かっていたとしても、私はその言葉を口にしなかったと思う。彼の機嫌を窺いながら発言するなんて真っ平御免だ。
「かっちゃん」
「あ?」
「私はかっちゃんとデクくんが違うことぐらいちゃんと分かってるよ」
「……知っとるわ」
「そっか。…それ、買いに行かなくていいの?」
「うるせえ今から行くとこだ」
人参だけを持って私から離れて行く彼はちょっと滑稽で、彼にバレないのをいいことに私はくすりと笑ってしまった。なんとも難儀な性格をしている彼だけれど、私は知っている。彼は、馬鹿じゃない。ただ自分が一番になりたいだけの小さな子どもなのだ。