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I

aの待望

 昔から、しっかりしているようで抜けたところがあって、時々頭を抱えたくなるようなことをしでかす女だった。それは高校生になった今でも変わらない。みょうじなまえという女は、肝心なところで抜けているのだ。

「…………」
「かっちゃん? どしたの? 眉間に皺寄ってるよ」

 高校一年生の三月。学年末試験を控えた俺達は、なまえの「一緒に勉強しようよ」という言葉をキッカケに、土曜日の夜、夕食と風呂を終えてからなまえの部屋で勉強することになっていた。なまえの部屋で、という時点でやや嫌な予感はしていたが、それを深く考えたら負けだと思い、俺はその提案に応じてなまえの部屋に赴き今に至るわけだが、やはり断るべきだったと心底後悔している。
 風呂上がりのなまえを見るのは初めてというわけではない。が、付き合い始めて、もっと正確に言うなら、身体を重ねてから見るのは、意外にも初めてだった。
 俺達が会うのは基本的に昼間。夜だとしても風呂に入る前までというのが暗黙のルールになっている。お互いの部屋を行き来していることがバレたらどんなお咎めを食らうか分からない。だから、邪魔が入るのは非常に不愉快だが、共同スペースで過ごすことが多いのは仕方がないことだと割り切っている。
 そんな現状において、バレるかもしれないリスクを背負ってまでなまえの部屋に来て後悔などしたくはなかったのだが、こちらに向けられている曇りのない瞳と視線が交わると頭を抱えたくなってしまうのは仕方がないことだと思う。

 ベランダのガラス扉をコンコンとノックすれば「開いてるよ〜」という声が聞こえた。まさかと思いながらも扉に手をかければ、本当にカラカラと開いて唖然とする。いくら雄英高校の敷地内でセキュリティがしっかりしているといっても、このご時世何があるか分からない。というのに、この女には危機感というものがなさすぎる。俺じゃなかったらどうするつもりだったのだろうか。本当に、肝心なところで抜けている奴だ。
 溜息を吐きながらも、話は部屋の中に入ってからだと思いベランダから室内に入る。俺が入るとパタパタと駆け寄ってきたなまえが「机の上綺麗にしたよ」と呑気に声をかけてきた。その時ふわんと香ってきたのは、柑橘系の何かの匂い。変に甘ったるくないのがなまえらしい。

「鍵開けっ放しにすんじゃねェ」
「だってそろそろかっちゃん来るって分かってたし」
「そういう問題じゃねーわ」
「いつもはちゃんと鍵かけてるよ」

 本当かどうかは別として、これ以上何を言っても意味はないだろうと判断した俺は、その話をそこで終わらせた。さっさと勉強に取り掛かろうという気持ちで机の前にどかりと座り、持って来た勉強道具を広げる。つまりこの時点で、俺は来たこと自体を後悔したりはしていなかった。
 問題はこの後。というか、とあることに気付いてしまったことが原因だ。

「よいしょっと」
「ババアか……よ、」

 不自然に言葉が詰まってしまったのは、俺の正面に座ろうとしたなまえが前傾姿勢になった時ちらりと見えてしまった胸元に、普段なら身に着けているはずのものがないことに気付いてしまったからである。
 風呂上がり、女というのは下着を身に着けないものなのだろうか。男の俺には分からないことだが、仮に身に着けないのが普通だったとして、俺は今からこの無防備な女の目の前に座って勉強に集中しなければならないのか。
 なまえと身体を重ねた時のことを思い出してはいけないということは分かっている。が、思い出さないようにと意識すればするほど、白い肌の色や触り心地を思い出そうとしてしまう自分が情けない。その結果、無意識のうちに眉間に皺が寄っていたのだろう。冒頭のやり取りに戻るというわけである。
 風呂上がりなんかに来なければこんな悶々とした気持ちになることはなかった。そう考えると、ここに来たことを後悔するより他なかった。まさかテスト勉強目的として来たというのに襲うわけにはいかない。それになまえは、そういうつもりなど微塵もないはずだ。だからこそ余計にタチが悪かった。

「この問題なんだけど……」
「屈むな」
「え。でも見えにくいし」
「いいから屈むな」

 分からない問題があるたびに前屈みになって俺に解き方を訊いてくるなまえに、いちいち制止の声をかける自分が馬鹿みたいだ。見なければ良い。気にしなければ良い。分かってはいる。が、それができたら苦労はしていない。
 そんな状況でありながらも、なまえは俺の制止の言葉に応じて前傾姿勢になることなく説明を聞いてはノートに向き合うことを繰り返し、勉強は順調に進んだ。そして一時間半が経過した頃。なまえが突然「うーん」と伸びをした。どうやら集中力が切れたらしい。

「何か飲み物取ってこようか」
「どこに」
「一階の共同スペース」

 思わず「アホか!」と怒鳴りそうになったが、俺の声が聞こえてはいけないということに気付きギリギリのところで言葉を飲み込んだ自分を褒め称えたい。
 単刀直入に言う。なまえは今ノーブラだ。にもかかわらず、誰がいるかも分からない共同スペースに行こうとしている。サポート科にも男はいたはずだし、いつどこで誰と会うかなんて分かりはしない。勿論、なまえがノーブラかどうかなんて擦れ違いざまに分かる奴なんていないとは思うが、そういう問題ではないのだ。

「いらねえ」
「喉渇かない?」
「てめーはアホか……」
「急に何?」
「警戒心ってもんがなさすぎンだよ」
「さっきの鍵のこと? その話、蒸し返すの?」
「違ェわ」
「変なかっちゃん」

 こっちが悶々としていることになど全く気付いていないなまえはくすくす笑っていて呑気なものである。今「ノーブラで出歩くな」と言うのは簡単だが、このタイミングでそれを言ってしまったら俺が勉強中に覗き見たみたいで、なんとなく憚られた。ゆえに、口籠るしかないのが釈然としない。

「かっちゃんは何もいらないんだよね? 私はお茶取りに行くけど」
「ちょっと待て」

 喉がカラカラに乾いているにもかかわらず飲み物はいらないと答えたのは何のためだと思っているのか。なまえに推し量れという方が無理な話かもしれないが、それにしても、こうもことごとく俺の気遣いというものを無視されると怒りより先に呆れが来る。
 俺は部屋を出て行こうとして立ち上がりかけたなまえの腕を掴んだ。前傾姿勢のまま固まっているなまえの胸元は俺の眼前に曝け出されていて、服の中が丸見えである。

「行くなら着るもん着て行け」
「着るもんって……」

 なまえの腕を掴んでいる方とは逆の手で服の中を指さしてやれば、漸く気付いたのだろう。なまえは慌ててその場に座り姿勢を正した。「えっち! 変態!」と罵声を浴びせられたが、今この瞬間まで何も言わず、手を出すこともなく指摘してやった俺は、冷静に考えてかなり理性的な方だと思う。

「俺が来るって分かってんのにそんな格好してんのが悪ィだろ」
「そんなこと……ある、けど」
「次に同じことやったら襲う」
「えっ怖っ」
「で? 勉強はどーすんだよ。まだやんのか?」
「……今日は襲わないの?」

 二度目はないと釘を刺したから、とりあえず次からはもう少し警戒心を持つようになるだろう。そしてなまえなら、一度指摘されたらそちらのことが気になって、今日はもう終わりにしようと言い出すだろう。そんな予想をしていた俺は、なまえの突拍子もない発言に面食らった。その言い方は、まるで襲われるのを待っているみたいに聞こえたのだ。
 沈黙。視線だけを絡めて数秒が経過。お見合いでもしているのかと自分自身に突っ込みたくなるほど妙な時間だった。

「襲われてェのかよ」
「うーん……どうだろう。かっちゃんは襲いたい?」
「そりゃあな」
「そこ認めちゃうんだ。素直」
「で? どーすんだよ」

 期待していなかったと言ったら嘘になる。このまま雪崩れ込もうと思えば雪崩れ込めそうな雰囲気ではあった。が、俺はそうしなかった。余裕があったからではない。なまえが望まないことはしないという決定事項が俺の根底に存在しているからだ。

「来週、試験終わってから来て」
「来週?」
「今日と同じことやったら襲うんでしょ?」
「確信犯かよ」
「嫌だったら来なくて良いもん」
「俺に喧嘩売ったらどうなるか分かってンのか?」
「分かってて喧嘩売ったの」

 なまえは肝心なところで抜けている。それは間違いなくそうなのだが、その抜けたところを補うだけのものがあるのもまた事実で。俺は来週のお楽しみを糧にテストに臨まざるを得なくなったのだった。