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I

Nの修復

 俺が何したってんだよ。俺はなまえからの連絡がない日々を重ねるごとにイライラを募らせていた。
 何したってんだよ、と独り言ちたものの、俺にはそれなりのことをしてしまったという自覚がある。しかし、それはなまえも同意の上での行為だったはずだ。
 そもそも吹っ掛けてきたのはなまえの方だし、俺はそれに応じただけ。勢い余って手を出してしまったのが嫌だったというのなら、まあ、それは、悪かった…のかもしれない。が、仮にそうだとしても、ここまで避けられるのはどうしても腑に落ちなかった。
 自分から連絡すべきか否か。連絡するとしたら何と言うべきか。
 こういうことを考えるのは性に合わない。悩むぐらいなら動くべきだ。俺は今までずっとそうやって生きてきた。だから今までの俺なら「てめェちょっとツラかせや」の一言で呼び出していただろう。
 しかし、今回はそういうわけにもいかなかった。相手がなまえだから。もっと正確に言うなら、自分の女になったはずのなまえを、自分を避けている理由を問い質すために呼び出すなんてことはしたくないと思ってしまったから、だ。

 そうして柄にもなく躊躇ったりなんかしているうちに、ちょうど文化祭の準備が始まったということもあり、俺は更に連絡を取り辛くなった。ドラムの練習は毎日おこなっている。が、なまえに会う時間が全く取れないということはない。ただ、サポート科は展示品を作成しなければならないらしいから、なまえは忙しい可能性が高い。
 また、らしくなく躊躇っている。どうすることが正解か分かっているのに動けない。こんなことは生まれて初めてで、余計にイライラした。しかもこのイライラは自分のせいで増幅しているのであって、他の誰のせいでもない。現状を打破するにはなまえと会って話をするしかないのだ。

 そんなことを悶々と考えていた時、食堂で丸顔と話をしているなまえを見かけた。当たり前だが、見た目は変わっていない。ただどことなく無理をして笑っているのが窺えて、また、イライラした。
 なんでてめェがンな顔してンだよ。俺のこと散々避けやがって。フザけんなよ。そんな感情が溢れて、気付いたら呼び止めていた。

 思っていたことをぶち撒ける。言い返される。また言い返す。また言い返される。そういうやり取りを繰り返した結果、折れるのはいつもなまえの方だ。呆れたように「もう仕方ないなあ」と受け止めて、終わる。
 しかし今回は違った。まるで逃げていくみたいに、突き放すように、俺から離れて行ったのだ。避けられるよりも、もっとひどい。これは、拒絶だ。

 俺は名前を呼んでも振り返ることなく離れて行くなまえを追いかけた。向かってくる人波を掻き分けて、漸くその肩を掴む。なまえは俺の手を振り払おうとしたり強引に逃げ続けようとすることはなく、「あっちでご飯食べよう」と、やけに落ち着き払った様子で空いている席の方にゆっくりと歩を進めた。
 なまえが座ったのを確認して、正面の席に腰かける。俺は既に昼飯を食べ終わって教室に向かうところだったので、机の上にトレーはない。なまえはカレーを目の前に固まっており、食べる気配を見せていなかった。
 何かがおかしい。おかしくさせているのは俺かもしれないが、それならそれで今までのように何でも言ってきたらいい。口を噤んだままというのは、一番困る。

「飯、食えや」
「……うん。いただきます」

 俺に言われて渋々、といった様子でスプーンを持ったなまえは、ほんの少しだけカレーを掬って口に運んだ。こんなペースでは休憩時間中に到底食べきれないだろう。
 俺がいるからといって上品な食べ方をする女じゃないことは知っている。単純に体調が悪いのか、食欲を低下させる何かがあるのか。後者だった場合、その原因はほぼ間違いなく俺にあるのだろう。
 ちびちびとカレーを食べ続けるなまえを眺めながら、何と言おうか考える。「なんで連絡してこなかった」、「そんなに忙しいんか」、「こうなったのは俺のせいか」。全部、なまえを責めるような言い方だ。俺にはこういう言い方しかできない。…いや、果たしてそうだろうか。

「てめーは俺に会いたくなかったんか」
「え」
「連絡寄越さなくなったのも寮に来なくなったのも、そういう理由が原因なんかって訊いとんだ」

 俺なりに言葉を選んだつもりだ。選んで選んで、選び抜いた言葉を使った。声も荒げないよう努めた。これ以上、俺にできることはない。
 なまえはカレーを食べる寸前で動きを止めており、ぽかんと口を開いた顔はマヌケでしかなかった。俺の言葉選びが意外だったのだろう。
 自分だって、そんなことは重々承知だ。誰かに気を遣うなんて一生有り得ないことだと思っていたが、まさかなまえに対して気を遣う日がこようとは。過去の自分が知ったら「冗談ぬかしてんじゃねェ」と吐き捨てて、自分自身を見限っているかもしれない。

「会いたくなかったわけじゃないよ」
「じゃあ急に今までと違う行動を取った理由は?」
「……歯止めが、効かなくなりそうで、怖くて」
「歯止め?」
「今まで通りのスタンスが保てなくなるのは嫌でしょ」

 言い難そうにぽつりぽつりと口から落としていくなまえの単語を、ひとつひとつ咀嚼していく。
 歯止めが効かなくなる、とは。今まで通りのスタンスを保てなくなる、とは。それらはつまり、なまえは俺をうざったくなるほど求めようとしているという意味で間違いないのだろうか。だとしたら、そんなことで悩んでいるこの女は馬鹿だ。俺があの日、手を出してしまった理由が全然分かっていない。
 俺が何も言わずに頭の整理をしている間、なまえはそれまでの食べ方が幻だったのではないかと思うほどガツガツとカレーを口に押し込み始めて、それはそれで「こいつ大丈夫か?」と心配になる。案の定、ゲホゴホと咳き込んで水を一気飲みしているなまえは、やっぱり馬鹿だと思う。

「今まで通りは無理だろ」
「でもかっちゃんは今まで通りじゃん」
「違ェわ」
「違くないよ」
「今まで通りだったら、てめェから連絡がこなくなったぐらいで焦ったりしねェ」
「……焦ったの?」
「悪ィかよ」
「悪くはない、けど、」

 歯切れの悪い返事。俺の発言がいまいちしっくりきていないのだろうか。
 昼時の食堂内。俺達の存在を気にしている人間など周りにはいない。ついでにあちらこちらから喋り声が聞こえてきてうるさいから、俺達の話声が周りに聞こえることもないだろう。

「いい加減、俺に惚れられてるって自覚しろや」
「なっ、えっ」
「てめえは俺の女になったんだろうが」
「そ、そうだけど…かっちゃん……キャラ変わった?」
「知るか。カレー残ってんぞ」

 俺の指摘を受けて残っていたカレーを口に運ぶなまえだったが、ちらちらとこちらに視線を送ってくるから気になってしまう。「早よ食え!」と言ったら「食べてるよ」と言い返してくるあたり、それこそ「いつも通り」の空気に戻ったことを感じて安堵したのは、恐らくバレていないと思う。

「じゃあかっちゃんに惚れられた女としてお願いしてもいい?」
「その言い方はうぜえ」
「本当の意味でうざくなったら、ちゃんと切り捨ててね」
「あ?」
「かっちゃんのことが好きだから、かっちゃんの邪魔はしたくないの。だからお願い。約束して」

 それはまるで、俺がいつかなまえを切り捨てることを確信しているような口ぶりだった。クソムカツク。なんで捨てられること前提に話してんだこの女は。
 うざくなったら切り捨てろ? 邪魔はしたくない? 冗談じゃない。そんなの、言われなくても分かっている。分かった上で、断言できる。俺は一生、なまえを切り捨てない。
 空っぽのカレー皿を前に真剣な表情で俺を見据えるなまえを、口角を上げて「ハッ」と鼻で笑ってやる。俺に惚れられたってことがどういうことか、こいつはまだよく分かっていないようだから、思い知らせてやらなければならない。これから、一生をかけて。だからまず手始めに。

「日曜日、仮免補講の後」
「へ?」
「俺の部屋」
「単語だけで会話されても」
「来い」
「だから、」
「来なかったら迎えに行く」
「……じゃあ待ってようかな」
「上等じゃねェか」

 今週の日曜日を楽しみにしてやがれ。馬鹿女。