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I

Qの葛藤

 今まで自分がこれほど単純だと思ったことはない。たかが女一人の言動で自分の気の持ちようが左右されるとは、夢にも思わなかったのだ。
 あの日なまえは「俺を選んだ」と言った。たったそれだけ。お互い、それ以上のことは言っていない。歯の浮くような「す」から始まる言葉や、それに準ずるあらゆる単語は、ひとつも口にしていなかった。
 そのくせ、なんとなく、その場の雰囲気に任せて、どちらからともなく相手の背中に手を回して距離をゼロにしてみたり、ガキくさく唇をくっ付け合ったりはした。幼馴染という関係では到底説明ができないそれらの行為を、俺となまえは拒絶することなく受け入れたのだ。
 俺だって、その手のことに関して無知ではなかった。ただ、そんなことに現を抜かしている暇はないと思っていたから後回しにしていただけで、全く興味がないということでもない。対象は一人に絞られるが、キスだのセックスだの、そういうことだって、そりゃあ人並みに考える。明確な相手ができたのであれば尚更。

「今日って補講だったんでしょ? 疲れてない?」
「補講ぐらいで疲れるわけねえだろ」
「結構ハードそうだって聞いたけど」
「誰に」
「デクくんとか、切島くんとか、上鳴くんとか、あとはえーと、瀬呂くんとか、」
「もういい」
「自分で訊いてきたくせに」

 前から思っていたことだが、なまえの口から他の野郎の名前が出てくるのはやっぱりあまり良い気分がしない。これが俗に言う、独占欲とか嫉妬というやつなのだろうか。俺の心が人よりも狭いという自覚はそれなりにあるが、こういう部分でみみっちい、心の狭い人間だと思われるのは癪だ。だから、あからさまにそういう態度は出さない。
 今日は日曜日で、なまえは俺の仮免補講が終わったタイミングを見計らって寮に来た。忌々しいことに、仮免を取得したヤツらはちらほらとインターンに向けた準備で出かけている。予習会に参加しているヤツらもいるらしいが、俺には関係のない話だ。そんな状態だから、共同スペースにはいつもより人が少なかった。

 なまえは寮に来た時、共同スペースで俺以外の連中と談笑するのを楽しんでいる節がある。「俺に会いに来たんじゃねえのかよ」と思うこともよくあるが、さすがの俺も、輪の中心で楽しそうに顔を綻ばせているなまえを引き摺り出すようなことはできない。
 ただ、今日はいつもと状況が違う。談笑できる相手がいない以上、共同スペースにいなければならない理由はない。ということで、俺は寮生活になって初めて、自分の部屋に人を招き入れた。時々、クソ髪やアホ面、しょうゆ顔の部屋に行くことはあるが、今のところ俺の部屋にアイツらが来たことはない。

 実家で何度も俺の部屋に遊びに来たことがあるわけだから、寮の部屋に来るのが初めてだとしてもいちいち気にする必要はないのかもしれないが、あの頃と今とでは関係が変わった。なまえはただの幼馴染ではなく、俺の女になったのだ。この肩書きには、天と地ほどの差がある。
 なまえは俺の部屋に来ることを特別だと思っていないのだろうか。「俺の部屋に来るか?」と声をかけた時も「じゃあ行こっかな」と呑気に返事をしてきて、今も無防備にベッドに腰かけている。危機感の欠如。今更俺に対してそんなものを抱く必要はないと思っているのかもしれない。が、俺も普通の男だ。何度も言いたくはないが、人並みにそういうことを考えるのである。

「補講っていつまであるの?」
「三ヶ月後の個別テストまで」
「じゃあ冬か」
「ああ」
「私が作ったコスチュームが使える季節だ」
「あれは使わねえ」
「改良して冬には間に合わせるもん」

 先日の放課後、開発工房でなまえが俺に押し付けてきたのは、冬の戦闘を考慮したコスチュームだった。まだ試作段階だが、保温性を高めて俺の起爆剤となる汗をかきやすくする効果を期待しているらしい。ちなみにそのコスチュームは没になった。肌触りは特に気にならなかったが、伸縮性がイマイチだったのだ。
 なまえは昔から俺を見ている。だから俺の戦闘スタイルも熟知しているのだろう。本人には言っていないが、完璧なものが仕上がれば使えないことはないという印象だった。雄英に入学しても苦労するだけだろうと思っていたが、なまえには元々その手の才能があったのかもしれない。

「なんか、みんながいないと退屈だねぇ」
「あ?」
「かっちゃんと二人だと、今更話すこともやることもないんだもん」

 咄嗟に「話すことはなくてもやることはあるだろ」と言いそうになった自分が馬鹿すぎて、思わず舌打ちをしてしまった。舌打ちを聞いたなまえは「そんなに怒んないでよ」と口を尖らせているが、俺はなまえに怒っているのではない。浅はかな考えしか思い浮かばない自分自身に怒っているのだ。
 それでも、一度そういうことを考え始めると止まらない。途中で思考を停止させることができずに暴走してしまう。
 例えば、今俺は床に座っていてなまえはベッドに座っているわけだが、時折こちらを見下ろしてくるなまえの視線が誘っているように見える、とか。少し身を屈めたら着ているティーシャツの胸元から中が見えそうだ、とか。いつもは制服だが今日は私服で、しかも短パンなんか履いてきやがるものだから、ふと横に視線を向ければ剥き出しの白い脚があって触りたくなる、とか。もっと単純なところでいくと、近くにいるだけでいい香りがする、とか。
 兎に角、本当に馬鹿馬鹿しいことばかりが頭の中を埋め尽くしていくのだ。これでは峰田と同類になってしまう。それだけは絶対に避けたい。

「宿題」
「え?」
「宿題、したか」
「うん? もう終わらせて来たけど…」
「チッ」
「何? 一緒に勉強する? いいよ」
「しねえわ」
「なんでかっちゃんはいつも自分から振ってきた話題をぶった切るのかな」
「こっちにも色々あンだよ」
「色々?」

 きょとんと澄ました顔で見られると、また妙な考えばかりが浮かんでしまうと思った俺は、なまえからふいっと目を逸らす。自分から部屋に招き入れてしまったが、これは間違いだったのではないだろうか。しかし、今来たばかりなのに「もう帰れ」と言うのもおかしいし、何より帰ってほしいと思っていないからそんなことは言いたくない。じゃあどうしろってんだ。
 脳内で自問自答を繰り返している俺をよそに、なまえがベッドから降りて俺の隣にぺたんと座った。そしてあろうことか、四つん這いの姿勢になったかと思うと、ずいっと俺の方に顔を突き出してきたではないか。コイツ何考えとんだ! 襲っちまうぞ!
 そんな俺の心の声は、音にしていないので届かない。なんなんだこの拷問は。ここで終わればまだ良かったものを、なまえはこっちがどれだけ葛藤しているかも知らないで追い討ちをかけてくるからタチが悪い。

「ちゅーしたい」
「…何盛っとんだ。襲うぞコラ」
「かっちゃんに私を襲う勇気ある?」
「じゃあテメェは襲われる勇気があンのか」
「あるよ」

 ちゅっ。ふにゃりと唇に柔らかいものがぶつかった。至近距離にあるなまえの瞳は、間違いなく俺を誘っている。これで勘違いだったら何も信用できない。それぐらい間違いなく、男を誘う目をしていた。
 同い年のくせに、「女子」ではなく「女」の顔を見せるなまえに眩暈がする。こんな顔は今まで見たことがない。幼馴染という関係を脱した今、どうやら俺達は未知の領域に足を突っ込んでいるらしい。
 リップクリームでも塗っているのか。ぷるりとした唇がやけに艶々と輝いて見える。ここで手を出さないのは逆に男として如何なものだろうか。考える。どうすべきか。キスを始めてしまったら、止まらないような気がする。しかし、なまえはそれを望んでいるからあんなことをしてきたのではないか。悩む。迷う。その時間、僅か二秒。

「舌出せ」
「…ん」

 無防備に口をあけ、言われた通りに舌を突き出すなまえには、理性というものがあるのだろうか。そんなに俺とキスがしたいのか。求めているのか。そう思うとぞくぞくして、差し出された赤に自分のそれを絡めるしかなかった。
 なまえは俺の肩を持って、俺はなまえの腰を引き寄せて、四つん這いの姿勢から自分の脚の上に座らせる。まだ日が沈みきっていない中途半端な時間に何をやってんだと思う反面、別に時間なんてどうでもいいとも思う。吸って吸われて、絡んで絡められて、冷房が効いているはずなのにじわじわと汗が滲み始めて、俺は案の定、止まらなくなる。
 は、と漏れたのはどちらの吐息か。離れてもまたすぐにくっ付いて、無駄に唾液を交換させる。俺はこういうことが初めてで、恐らくなまえも初めてのはずで、お互い手探りのはずなのに、だからこそもうどうにでもなれと大胆で。キス。口付け。接吻。言い方なんて何でもいい。俺達はただその行為に夢中になっていた。
 そして、無意識のうちに手がなまえの素肌へと伸びる。薄いシャツの中に滑り込ませた手で、背中から腰にかけてをなぞる。なまえは抵抗しない。俺と唇と舌と吐息を絡ませるのに必死だからだ。これならいけるのでは? そう思った瞬間。

「爆豪〜! もう帰ってるか〜?」

 お決まりの展開すぎて、いっそ笑いそうになった。ここは寮で、いつ誰がどんなタイミングで来てもおかしくない。そんなことは分かっていたはずなのに、冷静な思考なんてどこかに吹っ飛んでいたのだ。だが、扉をどんどん叩くクソ髪らしき人物の声を聞いたら、冷静にならざるを得ない。
 なまえも我に返ったのだろう。俺の上からそそくさと立ち上がり、両手で顔を覆っている。中途半端なことをすると、冷静になった時に死ぬほど恥ずかしいのだ。お互いに。まあ何を言っても仕方がない。今日はここまでだ。
 俺は、ふーっと息を吐く。とりあえずクソ髪。アイツ、ぶっ殺す。