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BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -

I

Pの鬱屈

 きちんと確認したわけではない。けれど、私が選んだのは彼だと伝えたら、引き寄せられた。抱き締められた。キスをされた。私はそれを拒まなかった。ああ、そうか。彼は私を特別な女の子として選んでくれたんだ。勝手にそう解釈して、受け入れた。
 その後も、特に大きな変化はなかった。変化が生じたのは彼の仮免補講が終わった日。変化を生んだのは他でもない、私だ。彼は今まで通り、普通に接してくれていたと思う。彼の部屋に招き入れてくれたのだって、彼の自宅の部屋に何度も訪れたことがある私なら意識しなくてもいいと思ったからだろう。
 しかし私は、彼と二人きりになるということを特別なものだと感じていた。彼が普通を装うから、私もそうした方が良いんだと思って頑張っていた。でも、ダメだった。急に宿題なんてわけの分からない話題を振ってきたかと思ったら、曖昧な言葉で濁して口籠る。
 流れる空気がちょっぴりそれらしくなった気がして、それを感じ取ってしまったら彼に触れたくて、特別な女の子になった気分を味わいたくなって、その結果キスを強請るなんてことをしてしまった。彼には「襲うぞ」と凄まれたけれど、ちっとも怖くなかった。だって私は彼に襲われることに恐怖を感じていなかったから。
 そうして始まった幼馴染の一線を越えた行為に没頭しながら、私はどんどん自惚れていくのを感じていた。彼とこんなことができるのは私だけなんだって、私が彼を選んだように、彼も私を選んでくれたんだって、またもや勝手にそんな解釈をした。

 あの時は切島くんが訪れてキス以上のことはしなかったけれど、私は忘れていない。彼の手が私の素肌をなぞったことを。きっと切島くんが訪れていなかったら、私達はもっと先へ進んでいた。深い深い沼の底まで沈んでいた。そう断言できる。
 我に返ると恥ずかしくて堪らない行為も、夢中になっていれば何のことはない。私には今までそういう経験がないけれど、彼には無条件でこの身を捧げてもいいと思っていた。だから彼の手が自分の身体に触れた時、怖いという気持ちはなかった。むしろ、嬉しかった。私はちゃんと彼に手を出してもらえる女だったんだと思えたから。

「なまえさん、体調でも悪いんですか?」
「え? 元気だよ」
「それにしては浮かない顔をしてますね。もしかしてスランプですか?」
「最近はわりと納得いくものができてきたところなんだけど…」
「あら。じゃあもしかして恋のお悩みですか?」

 放課後。開発工房に向かっている最中に明ちゃんから投げかけられた問いかけには、上手く答えられなかった。なんで、って、そりゃあ図星だったからだ。悩みと言えるほどの悩みではないけれど、私が一人で悶々としているだけだけれど、それでも「お悩み」であることに変わりはない。
 私が彼と付き合っているという事実は公にしていない。彼も自分からぺらぺらとそういうことを言い振らすタイプではないし、この関係になったことで周りに好奇の目で見られるのは私も避けたいところだから、あくまでも今まで通りの関係を装っているのだ。
 明ちゃんには言おうかどうしようか迷ったけれど、結局何も言っていなかった。しかし今の発言によれば、私は明ちゃんの目に、恋の悩みを抱えて浮かない表情をしている女の子として映っているらしいから、なかなか侮れない。
 相談しようか。…いや、こういうことは他人に相談すべきではない。何より、この手のことを誰かに口にするのは憚られた。

「実は、文化祭の展示品、どうしようかなって迷ってて」
「そういうことですか! 私もどんなベイビーちゃんを世間の皆様に見てもらおうかと試行錯誤しているところなんですよ!」

 ぱあっと目を輝かせて自分のアイテムのアイディアを話し始めた明ちゃんは、学生ながらにして既にプロ顔負けの根性を持ち合わせているなと感心した。私も本気でプロヒーローをサポートしたいと思っているけれど、明ちゃんはそれだけじゃない。誰かのためではなく自分のために、何かを生み出している。
 私の動機はきっと不純だ。ヒーローになった彼とデクくんを支えたいから、なんて理由で入学して、毎日を過ごして、今やデクくんのことは置き去りにして彼のことばかり考えている。こんな身勝手で脆い動機では、プロになんてなれやしない。

 恋愛は人を強くも弱くもする。同級生の女の子達が、いつか楽しそうに話していた恋愛についての格言を、なぜか思い出した。誰がいつどんな状況で宣ったのかは知らないけれど、当時の私は、自分には縁遠い話だと思って聞く耳を持たなかった。しかし今になって、その恋愛講座を受けていれば良かったなあと後悔している私は、相当恋愛というものに振り回されている。
 今の私は、恋愛をすることで弱くなっているのだと思う。だから全てのことがネガティブな方向に引っ張られるのだ。自分の将来のことと恋愛のことは無関係なのに、これがダメだからあれもダメ、という思考に陥ってしまっている。こんなことなら一歩踏み出すべきではなかったのではないか、と思ったりもしたけれど、それは今よりももっと後悔する結果を招いていたような気がするから考えないことにした。

 幼馴染としての一線を越えた後、私は彼と接触していなかった。私の方から出向かなければ基本的に会うことはないから、このままこちらから出向かない日々が続けば、永遠に会うことはないかもしれない。まあ、永遠、とまでは言い過ぎだろうけれど、少なくとも一週間、もしかしたら一ヶ月ぐらいは顔を合わせなくても支障はきたさないような気がする。
 私は、彼を選んだ。彼を求めた。彼が良いと思った。だから言葉で伝えたし、態度でも示した…つもりだ。じゃあ彼はどうだろう。何も言われたわけではない。けれど、その行動は確かに私を受け入れてくれているように思える。彼は情けや慈悲であんなことができる人間じゃない。それは分かっているのだけれど、私は本当の意味で納得できていなかった。

 きっと私は欲張りだ。今まで通りの彼でいてほしいと思うくせに、今までと同じ距離感だと物足りないような気がしている。ベタベタしたいわけじゃない。毎日おはようからおやすみまでのやり取りをしたいとか、毎日会いたいとか、そんなことを思っているわけでもない。ただ、私が求めている分だけ、彼も求めてほしい。目に見えないものだから大きさなんて分かりはしないのに、そんなことを思っている。
 だから私は、できればずっと、自分の気持ちに気付かないフリをしていたかったのだ。幼馴染という関係を壊してしまったら、そこからどろどろと欲望が流れ込んできてしまって、それで自分が圧迫されて、息苦しくなって、動けなくなる。今のように。
 彼は賢いし、理性的だし、プロヒーローになることを何よりも絶対的に優先できる。私のことは他の女の子より特別な存在として認識してくれているかもしれないけれど、彼自身の中の優先順位としては結構低いんじゃないかと思う。それでいい。それが爆豪勝己という男だから。
 そう言い聞かせていても、心のどこかで思ってしまう。「ちょっとぐらい私のことを考えてよ」って。彼には絶対言わないし、そういう態度を見せることもないけれど、その感情はどんどん蓄積していく。ああ、私って面倒臭い女だなあ。

「なまえさん? 聞いてます?」
「あ、うん、ごめん。今日は夜ご飯の時間まで開発工房で粘ろうね」
「ぜひ!」

 あんなことをしてしまったものだから、無駄に期待してしまうようになった。彼も私と同じぐらい求めてくれるんじゃないかって思うようになってしまった。求められるというのがどういうことか、自分の中でもよく分かっていないくせに。
 次に会った時は、更に深い部分まで足を踏み入れてしまうのだろうか。それを望んでいるくせに、すんなり受け入れたくはないなあとも思う。だって、悔しいじゃないか。私はこんなに悶々としているのに、彼だけがすんなりと欲望を吐き出せるのは。だから、決めた。私からはもう、彼を求めないと。
 幼馴染のままの方が良かった。そう思われないように。うざったい女だってバレないように。私は私が今するべきことに向き合うことにした。