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I

Wの変貌

 身体が勝手に動いていた。反射とは違う。また別の何かに突き動かされるように、気付いたら俺は、めそめそ泣く幼馴染の顔を自分の身体に押し付けていた。

 オールマイト達ヒーロー集団や数人のクラスメイトの手によって、俺は救けられた。プロヒーロー集団はともかくとして、クラスメイトに救けられたと思うのは不本意だが、結果的にはそういうことになってしまうのだから仕方がない。
 連れ去られる間際、必死の形相で駆け寄ろうとしたデクに、俺は「来んな」と言った。お前にだけは救けられたくない。そんな本音から飛び出した一言。それでもデクは俺を救けに来た。腹が立った。俺の言葉を無視して救けに来たこと自体もそうだが、それ以上に、損得感情や私情を抜きにして「救ける」ことしか考えていないところが、昔と変わらなすぎて。
 俺がデクの立場だったらどうしていただろう。同じように身体を張って「救ける」ということに全力を注いでいただろうか。そういうことを考えている時点で負けた気分になった。「悔しい」と思うことが悔しかった。
 そして俺は今回の一件を経て、デクとオールマイトの関係に改めて疑問を持ち始めていた。激闘の末、オールマイトが最後に放った一言。「次は君だ」。周りが歓喜の声をあげる中、デクは泣いていた。いつかデクが勝手に話をしてきたことがある。自分の“個性”は与えられたものだと。そこから少し考察した。デクの涙の意味を。
 俺なりに考えた結果、辿り着いた可能性がある。確証はないが、そんな気がする、程度の仮定の話。オールマイトにそれとなく尋ねてみたが、はぐらかされた。きっと言いたくないことなのだろう。それならいいと思った。俺が知るべきことではないのなら、オールマイトが言うべきじゃないと思っていることなら、俺はこれ以上踏み込むべきではない。色々と思うことはあったが、そう言い聞かせた。
 俺は自分の中の妙なわだかまりが燻れば燻るほど、なまえの声が聞きたくなった。別に何か言ってほしいことがあるわけではない。しかし、無事に帰ってきてからというもの、なまえがぱったりとうちに来なくなったことも相俟って、俺は会いたくて堪らなくなっていた。
 なまえの家に俺の無事を連絡しておいたと言われた夜。もしかしたらアイツは、俺の元に飛んでくるんじゃないかと思っていた。飛んでくるとまでは言い過ぎだろうが、俺の連絡先を知っているわけだから電話のひとつぐらいかかってくるだろう、と。そう思っていた。
 しかしその予想に反して、なまえからの連絡はなかった。翌日も翌々日も、一週間経っても、うちに来るどころか連絡のひとつもない。怒りというより戸惑いの方が大きかった。あれだけ俺を心配していたはずのなまえから、何のアクションも起こされない。それはつまり、いつの間にか自分が見限られてしまったということではないのかと、柄にもなく動揺した。
 自分から「帰って来たぞ」とふんぞり返れるほど立派な帰還ではない。だから自分からコンタクトを取るのは憚られた。そうして日にちだけが過ぎていって、入寮日の前日。俺はついに自分から行動を起こした。堪忍袋の緒が切れた、というよりは、痺れを切らした、というニュアンスの方が正しいかもしれない。
 怒っているわけではなかった。ただ、どうして突然俺を避けるような行動を取っているのか。その真意が知りたかった。

「悪かった」

 ただ普通に声が聞きたくて、普通の会話をした。そこまでは良かった。はずなのだが、何の前触れもなく俺の顔を見て泣き始めたなまえには、だいぶ焦った。なんせ、なまえが泣いたところなど今まで一度たりとも見たことがないのだ。動揺するに決まっている。
 女が泣いたところで「うぜえ」ぐらいの感想しか抱かないと思っていたが、そんな感情は微塵も湧いてこなかった。それどころか、自分が泣かせているのだとしたらどうにかしてやらなければと思った。
 泣き止ませ方なんて知らない。何と言うべきか迷う。そこで出てきたのが「悪かった」という謝罪の一言だ。心配をかけてしまった。「大丈夫だ」と言ったはずなのに、どんな理由であれその言葉を裏切る結果となってしまった。そのことに対する謝罪。
 するとなまえは更に泣き出すし、俺が一言何か言う度に涙の量は増していくような気がするし、本当にお手上げだった。俺を避けていた理由も、納得はできないがなんとなく理解はした。だから責めたりはしない。そもそも俺に責める権利はないから。
 顔を拭いてやった。もう泣かさないと宣言した。それでもなまえは泣き止まなくて、だからもう、こうするしかなかったのだ。いっそのこと泣きたいだけ泣けばいい。俺が泣かせた。だから、俺のところで泣けばいい。そう思った。涙と鼻水で汚れても、別に気にはならない。それよりも、俺の腰に回されたなまえの手の方がよっぽど気になった。

「…もう、大丈夫、落ち着いた……」
「そうかよ」
「お母さん、そろそろ帰ってくるかな」
「知らね」
「顔、やばい?」
「ひでえ」
「だよね…顔洗ってくる…」

 時間にしたら一分にも満たなかったんじゃないだろうか。なまえは俺から離れると、洗面所に顔を洗いに行った。顔を洗ったぐらいであの泣き腫らした目は誤魔化せそうもないが、何もしないよりはマシだろう。
 顔を洗って、少しすっきりした表情をしたなまえが帰って来た。「お茶のおかわりいる?」と俺に尋ねてくる声はいつも通りだ。ずっと、聞きたかった声音。綺麗な声ってわけじゃない。普通の、ごく有り触れた声だ。それなのに、ひどく安心する。
 冷えたお茶が入った容器と自分用のコップを持って先ほどと同じ位置に座ったなまえは、空になりかけている俺のコップにお茶を注いだ。続いて自分のコップにも注ぎ、ごくごくと一気に飲み干す。どうやら泣いたら喉が渇くらしい。なまえはすぐに二杯目のお茶を注ぎながら口を開いた。

「寮に入ったらなかなか会えなくなるかな」
「なんで」
「なんで、って…消灯時間とかあるし」
「同じ敷地内だろ。会おうと思えば会える」
「……かっちゃん、私に会いたいの?」

 危うく飲みかけのお茶を噴き出すところだった。そうか。今の言い方だとそういう風に受け取られるのか。
 俺はお茶を飲むフリをして考える。会いたいのかと尋ねられて肯定するのは躊躇われた。しかし否定するのは本意ではない。なんというか、こう、兎に角、難しい。宙ぶらりんな状態すぎて、どういう言動が正しいのか自分でもよく分からなくなっている。

「ごめん、冗談。会いたいとか、そういうのじゃないよね」
「今までうぜえほど纏わりついてきてたヤツがいなくなったら、こっちも調子が狂うってだけの話だ」
「はは、なるほど。じゃあ今日までちょっと調子狂ってた?」
「……狂ってた」
「え」

 僅か迷って、ぼそぼそと口にする。お茶を一気飲みして勝手におかわりを注ぐ俺を、なまえがマヌケ面で見つめていることには気付いているが、何もつっこまなかった。つっこんだら、何か言い返される。柄にもないことを言ったという自覚はあるが、本当のことなのだから仕方がない。
 今日まで、気が狂いそう、とまでは言わないが、イライラよりもモヤモヤとした感情の方が勝っていた。自分にこんな感情があったのかと驚くほど、妙に落ち込んでいたような気がする。そういえばババアにも「ちょっと大人しくなった?」などとふざけたことを言われたが、あれはそういう意味だったのかもしれない。

「ご、ごめん…?」
「別に」
「…かっちゃん、なんか変わった?」
「どこが」
「具体的に説明するのは難しいんだけど…」
「変わってねえわ」

 そうだ。俺は変わっていない。人間はそう簡単に変わらないようにできている。だからもし変わったと思うのなら、それはなまえの見方が変わったということになるのだろう。…いや、それだけじゃないのは自分でも分かっているが。それを口で説明するのは、なまえと同様、難しい。
 玄関の扉が開く音がして、なまえの母親が帰って来たことを知る。話は終わった。いつも通りに戻った。お茶菓子は別にいらない。つまり俺は、もうここに留まる必要がなくなった。折角なのでコップに注いだお茶を飲み干してから立ち上がる。無駄にお茶を飲みすぎたせいで腹はたぷたぷだ。

「帰るの? お菓子食べない?」
「茶で腹いっぱいになった」
「あー…そっか」
「俺の分までてめえが食え」

 なまえの母親と入れ違いで玄関に向かう。「あら、帰っちゃうの?」と声を掛けられたので「もう用事済んだんで」と適当に返事をしておく。
 靴を履いて扉を開ける直前、なまえに言われた「たまにかっちゃんのところ遊びに行くね」という言葉には「来んな」ではなく「ほどほどにしとけ」と言っておいた。これで来なかったら呼び出してやる。そんなことを考えている時点で、俺の心はすっかり決まってしまっていると言っても過言ではない。