Vの羨望
オールマイトの電撃引退や、それに伴う全寮制への移行があって暫くはバタついていた日常も、入寮と同時にほぼ落ち着いた。入寮日当日は気まずい空気が流れかけていたものの、なんだかんだで「普通」に戻った…と思う。
俺はそんなに周りの空気を察知してどうのこうのできるタイプではない。だから、相澤先生の言葉によってもたらされた空気を払拭することはできなかった。
そんな時に動いたのが他でもない爆豪だ。爆豪は今回の一連のことを「テメェらが勝手にやったことだろ」って一蹴するかと思っていたのに、意外にもちゃんと空気が読めるから、俺を利用しつつ上手く場を収拾してくれた。「ああそうだよな、コイツってこういうヤツだった」って、ちょっと安心した。
そんなわけで、寮生活は現在進行形で割と楽しい。仮免取得を目指し必殺技の習得に向けて訓練に明け暮れる毎日はなかなかハードだが、これもプロヒーローになるためなんだと思うと苦ではなかった。…いや、キツイことはキツイけど。そう思っているのはたぶん俺だけじゃない。A組の面々は、皆それぞれコスチュームを改良したり技の開発を進めたりしながら必死に毎日を過ごしている。
そういえば寮生活を始めて三日ほどが経過した頃だっただろうか。俺達の寮にサポート科の女の子が訪ねてきたことがあった。厳密に言えば、寮までの道のりで緑谷が声をかけられていて、俺達が共同スペースに招いた、という感じ。なまえちゃんというその子は、緑谷と爆豪の幼馴染だということで、俺達は非常に興味津々だった。
切島は試験前に爆豪の家に行って勉強を教えてもらっていたから、その時に会ったことがあるらしい。「久し振りだね」と普通に挨拶をしていた。
その話を初めて耳にした俺の頭には、疑問符が並ぶ。爆豪の家にこの子が来てたってこと? 幼馴染って関係だったら長年の付き合いの賜物であの爆豪でも懐柔できるってことか? 普段A組の女子にも風当たりの強い爆豪が普通の女子と何をどう話すんだろう? 俺の興味は尽きなかった。
「かっちゃんは、」
「かっちゃん!」
「どうして私がかっちゃんって言うと驚くの?」
「それは…かっちゃんをかっちゃんって呼ぶ人、僕以外だとなまえちゃんしかいないからじゃないかな…」
「そうなんだ」
その場にいた麗日、芦戸、葉隠、瀬呂、そして俺は、あの爆豪を「かっちゃん」呼びする女子に驚愕の色を隠せない。切島は既にその呼び方を聞いたことがあったのだろう。俺達と共に驚きを共有することはなかったが、初めてそのフレーズを聞いた時は同じようなリアクションを取ったと後から聞いた。
なまえちゃんは柔軟性があるタイプなのか、俺達が前のめりに話しかけても戸惑うことなく応対してくれていて、なるほど、あの爆豪と上手に渡り合えそうな雰囲気が漂っている。優しそう。だけど、それだけじゃなくて芯がしっかりしてそうというか。初対面の俺でも、この子は確かに爆豪と渡り合えそうだなと納得する何かがあった。
俺達は自己紹介をしてから、暫く談笑していた。緑谷がいることもあって、なまえちゃんとの話は尽きることなくポンポンと弾み、その場の雰囲気は終始和やか。サポート科も大変なんだな、なんて思いながら会話を続けている時だった。
玄関の方に目をやったなまえちゃんの表情が変わった。何と表現したら伝わるだろう。飼い主の帰りを待っていた犬…いや、そんな主従関係ではなくて、もっとこう、対等な、なかなか会えない恋人に会えた織姫、みたいな。兎に角なまえちゃんはつい今しがた帰って来た爆豪を見て、そんな顔をして見せたのだ。
爆豪は賑やかな俺達の方をうざったそうに見て、しかしその中になまえちゃんがいることに気付いた瞬間、刺々しい雰囲気を丸めたような気がした。目が、違う。いつも俺達に向けてくる目と、なまえちゃんに向けている目は、全然違った。たぶん俺以外の面々も気付いている。それぐらい分かりやすかった。なんだよ、爆豪。お前、そういう顔もできるんじゃん。
「おかえり」
「……ただいま」
たったそれだけのやり取りで、二人の関係性が分かってしまった。ついでにその心も。いや待てよ。爆豪、「彼女いんの?」って訊いた時「ンなもん必要ねェわ」って言ってなかったっけ? ってことはなまえちゃんとは付き合ってねぇの? こんな空気醸し出しといて? マジで? なんで?
訊きたいことや突っ込みたいことは山ほどあった。が、それを訊くのはなんとなくタブーな気がして、俺はきちんと空気を読んで二人のやり取りを見守っていた。他の皆も珍しい光景を目の当たりにして黙り込んでいる。緑谷は、きっと随分前から陰ながら見守ってきたに違いない。二人を見守る眼差しに慣れを感じる。
「何やっとんだこんなとこで」
「かっちゃんが帰ってくるのを待ってたの」
「なんで」
「んー…特に用事はないんだけど、元気にしてるかなーって思って」
「…そうかよ」
「うぜえ」「うるせえ」「黙れ」「死ね」「クソ」「殺す」その他諸々の物騒な単語を繰り出さずに会話をする爆豪を見たのは、もしかしたらこれが初めてかもしれなかった。恋は人間を変えるというのをまざまざと見せつけられたって感じ。あまりにもそれが当たり前みたいな空気を作り出されると、茶化すことすら躊躇われる。
爆豪はなまえちゃんとのやり取りをひとしきり見せつけてくれた後で漸く俺達の存在を改めて認識したようで、特になまえちゃんの隣に緑谷が座っているのを見た時には思いっきり顔を顰めていた。
「なまえ」
「ん?」
「次来る時は連絡しろ」
「それはいいけど…なんで?」
「なんでもだ」
「連絡したら返事してね」
「してンだろうが! 毎回!」
きっと爆豪は自分のいない間になまえちゃんが俺達と会話していたことが気に食わないのだろう。明らかに嫉妬心を剥き出しにしている爆豪は子ども染みていて、ちょっと可愛いヤツだと思ってしまった。勿論、本人には口が裂けても言わないし言えないけど。
それからなまえちゃんはあっと言う間に爆豪に連行されてしまったので、俺達はいつもの代わり映えのしないメンバーで取り残された。爆豪、自分の部屋に連れ込む気なのかな。付き合ってもねぇのに。それって逆に辛くねぇか?
大きなお世話だと思いつつも、俺は健全な男子高校生なら誰もが考えてしまうであろうことを想像してしまった。爆豪が…なまえちゃんと…、
「あの二人って付き合ってないの?」
「う、うん…たぶん……」
「たぶん?」
「僕もちゃんと確認したことはないから…」
「なんで付き合ってないん?」
「それを僕にきかれても…」
「爆豪、あんな顔すんだな」
「俺も最初見た時ビビった」
女子に質問責めにされている緑谷をよそに、俺を含む男子は先ほどまで充満していた何とも言えない空気の余韻に浸っていた。そして俺は唐突に思った。彼女ほしいなあ。
そんなことがあってから、俺は爆豪を見る目がちょっとだけ変わった。ついでに、コスチュームの改良でパワーローダー先生のところに行った時に会うなまえちゃんを見る目も特別なものになった。
あの爆豪を手懐けている女の子。ただ幼馴染だからって理由だけで、爆豪は女の子を好きになったりはしないと思う。きっとなまえちゃんだから惹かれたんだろう。まだそんなに面識もないくせに、勝手にそう思った。
爆豪は強い。“個性”も戦闘センスもピカイチ。頭もいい。才能マン。でも、なぜかいつも、爆豪より格下だと思われる緑谷に張り合っている。異様なほど敵対視している。その理由はもしかしたら、なまえちゃんの存在も関係しているんじゃないかな、なんて。
これは完全なお節介だ。けど、俺はなんとなく、爆豪にはなまえちゃんが必要なんじゃないかと思った。強い爆豪がいつか挫けそうになった時に支えられそうな子。対等に渡り合える子。心を許せる子。そんなの、なまえちゃん以外いないと思う。
あーいいな。やっぱり俺も彼女ほしい。あの日から何度も思っていることだ。あの二人は付き合っていないらしい。けど、そうなる日が来るのも遠くないんじゃないかな。能天気な俺は、そんなことを思った。ただの甘ったるい両片想い。上っ面だけしか知らない俺には、そうとしか映らなかったから。