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やっとのことで宣戦布告

 事務所の人間から女の職場を聞き、自分から教えられた場所に赴いた。不本意ではあったが、事実確認をしなければならなかったのだから仕方がない。

 もともと変な女だとは思っていた。淡々と話すくせに、ふとした瞬間に空気を緩める。こっちがたっぷりの皮肉をこめて言ったセリフにも、気分を害したり嫌な顔を見せたりするどころか、おかしそうに笑う。俺が本気で凄んでも逃げ出そうとせず、怯えることもなく、正面から堂々と受け止めようとするぐらい肝が据わっているのに、ちょっと手を振り払っただけで泣きそうな顔をする。その妙な緩急のせいで調子が狂わされるから頭が痛くなるのかもしれない。
 あの女とのやり取りで、何度か何かを思い出しかけた。しかしそのたびに頭痛がして、思考が停止する。頭痛を無視して「何か」を思い出したいのは山々だが、胸糞悪いことにこの頭痛はハンパじゃないのだ。まるで思い出すことを脳が拒んでいるみたいに、思い出そうとすればするほど頭が割れそうなほど痛くなる。
 あの女といると気が狂いそうになるが、俺は現状を打開するためにも、どうにかしてあの女のことを思い出さなければならない。だから考えたくもないのにあの女のことを考えては、頭痛を引き起こす。その繰り返し。これでイライラするなと言う方が無理な話ではないだろうか。

 もしかしたらこのまま何も思い出さずに生きていった方がいいのかもしれない。あの女とは離婚すれば良いだけの話だ。詳しくは知らないが、離婚届に名前を書いて捺印して、然るべきところに出せば終わるだろう。家なんて探せばいくらでも見つかるから今すぐにでも引っ越すことは可能だし、あとは……親に何か言うべきなのだろうか。
 こうやって考えてみると、離婚するのも面倒臭そうで別の意味で頭が痛くなってきた。離婚することを考えるだけでこれなのだ。結婚する時はもっと面倒だったのではないだろうか。そこらへんの記憶がすっぽり抜け落ちているせいで比較ができないが、記者会見までした(らしい)ならしばらくは歩いているだけでモブ共にも声をかけられたりしたはずだ。その対応までしていたのだろうと想像するだけでゾッとする。
 しかし過去の俺は、それを良しとしていた。記憶がなくとも自分自身の性格は変わっていないはずだからわかる。俺は自分が望まないことのために尽力するような馬鹿ではない。つまり俺は、よっぽどの理由がない限り、自ら望んで結婚した。どうやっても理解できないし信じ難いが、そういう結論になってしまう。

 そういえば今更になって、あの女に「勝己」と呼ばれたことを思い出す。あの時はあの女の呆けた顔を見て気が緩んでしまい「馴れ馴れしく名前を呼ぶな!」と指摘することも忘れていた。……というか、今あの日を振り返るまで、名前を呼ばれたことに何の違和感も抱かなかった、というのが正しい。
 あの女については、何度も言うように何も思い出せないままだ。しかし、頭ではあの女に関する全てのことを忘れていても、身体の方は忘れていないのかもしれない。
 指輪をつけることを習慣化していたように、俺はあの女に「勝己」と呼ばれることが日常だった。だから違和感も不快感も抱かなかった。そう考えたら辻褄が合うのだが、今の俺にそれを事実として受け止めるのは難しすぎる。こんなことになったのも、全ては今から会いに行く得体の知れない女のせいだ。

 仕事の都合もあり、女が保護されている病院に行くことができたのは、あの女の事務所に出向いた三日後のことだった。事務所の人間によると、女はこちらの質問に一切答えないらしい。それならば俺がわざわざ会いに行ってやったところで何の収穫もないだろうと思ったのだが、どういうわけか、俺が来たら話すと言っているようなのだ。
 俺の熱烈なファンという情報は得ているが、それと何か関係があるのだろうか。何にせよ、会えば話すと言っているのなら洗いざらい教えてもらおうではないか。俺に何をしたのか。そして、全てを元に戻すにはどうしたら良いのかを。


「やっとゆっくりお話ができますね。大・爆・殺・神ダイナマイト」
「こっちはゆっくり話すつもりねンだよ」
「あの女のことはちゃんと忘れてくれましたか?」

 俺に気味の悪い笑みを浮かべてきた女は、答えがわかっているはずなのにそう尋ねてきた。間違いない。この女は今回の件の首謀者で、全てを知っている。

「テメェの“個性”か?」
「そうです」
「やけにあっさり認めンじゃねェか」
「あなたには知る権利がありますから」

 どうやら女は最初から、俺には全てを話すつもりのようだった。他のヤツらに断固として話さなかったのは、この女の中に曲がりなりにも確固たる何かがあるからなのかもしれない。もっとも、そんなものは俺にとって邪魔でしかないのだが。

「で? 何の“個性”だ?」
「私の“個性”は、忘却。対象人物の肩を三回叩き、さようならの後に忘れてほしいものや人物の名称を唱えることで、その人物から対象物の記憶を消すことができます。私の“個性”によって一度忘れたもののことは二度と思い出すことができません」
「……二度と?」
「はい。私でも解除することはできませんし、今まで思い出した人間はいませんので」
「そこまで強力な“個性”なら副作用があンだろ」
「私の“個性”が発動できるのは一ヶ月に一度だけです。忘却させたい記憶が対象人物にとってどれだけのウェイトを占めていたかにもよりますが、基本的に“個性”を発動させた後は最低でも三時間昏睡状態に陥ります。今回は丸一日眠っていたそうなので……あの女は思っていた以上にあなたを蝕んでいたようですね」

 蝕んでいた。その表現が正しいのかはわからない。ただこの女の言うことが本当なら、俺は、妻……らしいあの女に相当入れ込んでいたということになる。記憶がない以上は憶測でしかないが、事務所の人間の反応的にも、俺にとってあの女が「特別」だったことはなんとなく理解していた。それでも、そう簡単に納得はできない。
 過去の俺に何をしたら結婚したいと思えるほど「特別な女」になる? それこそ“個性”によってマインドコントロールされていたのではないだろうかとすら考えてしまうが、今回のことといい、そう何度も自分がパンピーに“個性”攻撃を食らっているとは思いたくない。

「なんで俺の記憶をイジるようなマネをした?」
「そんなの決まっているじゃないですか! 私は昔の、ただひたすらヒーローとして戦うあなたが好きでした。それなのにあの女と結婚してから、あなたは変わってしまった。あの女に毒されてしまったのです。私はそれが許せなかった。だから昔のあなたに戻ってもらおうと思った。それだけです」
「随分勝手な言い分だなァ?」
「本当はあの女にあなたのことを忘れてもらう予定だったんですよ。あの女があなたのことを忘れて、あなたのもとを去ってくれればいいと思って。それなのにどういうわけか、あの女には私の“個性”が発動しなかった。だから予定を変更してあなたに忘れていただいたんです」

 話を聞けば聞くほど身勝手で自分のことしか考えていない最低な女だと辟易する。よくもまあいけしゃあしゃあと「自分は何も悪いことなんてしていません。あなたのためにしたことです」みたいな顔をして危害を加えることができるものだ。その神経の図太さにはいっそ感心したくなるが、女のしたことは犯罪と同等だ。許されることではない。
 それにしてもどういうことだ? あの女には“個性”が効かないのか? だから俺の威嚇にも動じなかった? そういう特殊な“個性”持ちだとしたら、今までの態度にも合点がいく。

「今のあなたは昔のあなたそのものです。あの女があなたの中からいなくなったからでしょう……これからもずっと応援しています」
「気色悪ィ……テメェに応援されなくても俺はこれからもヒーローだ!」
「それでこそ、大・爆・殺・神ダイナマイトです」

 満足そうに目を輝かせる女に虫唾が走った。手前勝手な理由で人の頭ン中をイジりやがって、何がファンだ。今の俺が昔の俺そのもの? あの女が俺の中からいなくなったから?
 ふざけんな! あの女がいようがいまいが関係ねェ……俺は誰かのために自分の信念を曲げたりはしねンだよ! ……と声を大にして宣言してやりたいが、どうにも引っかかる。

 あの女といた時の自分と今の自分で何がどう違うのかはわからない。この女の言う通り毒されていたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ただ、少なくとも事務所の上司は、俺が「奥さん」を忘れたことを嘆いているように見えた。それはすなわち、俺にとって必要な人間だったことを意味しているのではないだろうか。
 結婚している云々は置いておくとして、あの女は少なからず俺に影響を与えていた。だからこんな風に記憶をいじるようなマネまでされたと考えるのが自然だろう。
 自慢ではないが、俺は誰かの影響を受けるタイプではない。相当なことがない限りは誰かの助言を聞くこともないし、自分が信じたことだけを貫く。そうやって生きてきた。そんな俺が赤の他人から見て「変わった」と言われるほどの影響を及ぼした女となると、やはりこのまま忘れたままではいられない。

 三日前、あの女との事務所での出来事を思い出す。頭痛がひどくなってきて蹲った俺の肩に触れた手。反射的に振り払ったあの女の手の感触を、いまだに覚えている。
 一瞬だった。だからそんな僅かな時間で感じることなんて、本来ならあるはずがない。しかしその手の温度も、質感も、俺は確かに知っていた。だからだろうか。触れられたことを嫌だと思えなかった。それが気持ち悪くて、信じられなくて、咄嗟に振り払っただけでは止まらず怒鳴りつけてしまった。冷静になって振り返ってみれば、あそこまで言わなくても良かったかもしれないと、少しだけ、ほんの少しだけ、思う。
 しかし女は「ひどい」と泣き崩れることもなければ「どうしてそんなこと言うの!?」と怒ることも俺を責めることもなく、あろうことかお礼を言ってきた。かすかに震える声で。そして追い討ちをかけるように謝ってきたのだ。「苦しめて、ごめんね」と。
 まったくその通りだ。なぜ俺がこんな目に遭わなければならないのか。……と思う反面、俺よりもテメェの方が苦しんでんじゃねえか、と思ってしまったなんて、きっと俺はどうかしている。あの女が苦しんでいることなんてどうでもいいはずなのに、どうしても忘れられないのだ。あの女の声も、表情も、僅かに触れられただけの手の感触も、温度も、全て。
 ここまできたら何か思い出せそうなのに、記憶をこじ開けようとすると激しい頭痛に襲われる。しかも今聞いたことが本当なら、このわけのわからない胸糞悪い“個性”によって失った記憶は二度と戻らないらしい。それが本当か嘘か判断することはできないが、現段階において女の言っていることは真実味を帯びていた。

「頭が痛くなんのもテメェのせいか?」
「さあ……? 私はただ指定したものを忘れさせることしかできませんが」

 この女の様子からして、今更嘘を吐いたりはしていないだろう。となると、頭痛を引き起こす別の因子がある、ということになるわけだが、その因子とは何なのか。それさえわかればどうにかなるかもしれない。

「そのツラ二度と見せんな」
「わかりました。それでは陰ながら応援することにします」
「やめろ。テメェみたいな女に応援されたら俺の価値が下がる」

 俺がどれだけ強い口調で言葉を吐き捨てても、女は怯えることなく、むしろどこか幸せそうに薄気味悪い笑みを浮かべているだけだった。最後の最後までいけすかない女だ。もう二度と関わりたくないと心の底から思う。
 さて、情報を聞き出せたところで、これから俺はどう動くべきか。考えても正解が見つけ出せるわけじゃないことはわかっているが、考えなければ行動できない。
 ひとまず事務所に戻って聞き出した情報を上司に報告。それからのことは……またあの女と関わる以外、何も思いつかなかった。
 あの女。名前は確か……なまえ、だったか。なまえ。その名前を口にするのはなぜか懐かしく感じて、それと同時に鈍い頭痛が始まった。まただ。また、この頭痛が俺の邪魔をする。
 そんなに思い出させたくないかよ、あの女のことを。いい度胸だ。それなら絶対に思い出してやる。あの女のためじゃなく、俺に不可能はねえってことを証明するために。