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「あいしてる」という罰

 スーパーで客の男が暴れており買い物客の女性を襲った。通報内容を聞くとかなり凶暴な男の可能性がある。取り押さえるために協力してほしい。警察からの依頼は、大体そんな感じだった。
 本来ならソッコーで断るザコ案件。別に俺が行かなくても、その辺のヒーローで事足りるなら動く必要はない。しかしどういうわけか、今回は断らなかった。というか、妙な胸騒ぎがして、気付けば自ら現場に向かっていた。それも全速力で。
 そしてそこで目の当たりにしたのは、なまえが男に襲われそうになっているところだった。どうやら俺の第六感とやらは冴え渡っているらしい。とはいえ、なまえが危険に晒されているのは全く望ましい展開ではなく、背中に嫌な汗が伝う。
 なまえは恐れ慄いて動けない、というわけではなさそうで、逃げようともせず、むしろ威嚇するような目で男を睨み付けていた。その姿はまるでヒーローのよう。今にも制圧しそうな勢いだ。肝が据わっていることを讃えるべきか、嘆くべきか。逃げようと思えばいくらでも逃げられそうなのに、なぜ相対しているのか理解できなかった。
 どんな“個性”を持っているとしても、なまえはヒーローではない。なぜ逃げない? なぜ誰かに救けを求めない? なぜ守られようとしない? お前は俺が……、と。そこで始まる頭痛。こんな時になんなんだよ、クソが!

 なまえに関する記憶に触れたのだろう。今の思考のどこに記憶のカケラがあったのか、俺にはわからない。しかし今は頭痛と戦いながら記憶を引っ張り出すよりも先に、なまえをあの男から引き離す方が先決だ。俺は一旦思考をストップさせて、最高速度で男との距離を詰めながら叫んだ。「テメェは死ぬつもりか!」と。
 叫んだのは男の注意を引きなまえから意識を逸らさせるためでもあるが、半分は、本気でそう思ったからである。一歩間違えれば本気で死ぬかもしれない状況なのだ。叫んだ一言は的を得ていると思う。
 男はヴィランでもなんでもない、ただの暴走している一般人だったのだろう。受け身も取らず俺の攻撃をモロにくらって身体が吹っ飛んだ。少々派手にやりすぎたかもしれないが、店の大きな備品は壊していないし周りの人間にも被害は与えていないから、許容範囲だろう。
 柄にもなく焦っていたのだ。だから爆破の威力を細かいところまで調整しきれなかった。俺の到着があともう少し遅かったらどうなっていたか。なまえが傷付いていたのではないか。最悪の場合、死んでいたのではないか。その光景を想像して、焦っていた。乱されていた。この感情の意味とは。

 男を吹っ飛ばした直後に俺の後ろから他のヒーローや警察が駆け付けた。幸いにも男は気絶してくれているので、これ以上被害が拡大することはないだろう。
 俺は男の確保を警察に任せ、なまえにずかずかと近付いた。俺に罵声を浴びせられても、鋭い眼差しで睨まれても、相変わらず怯えない。そういう女だということは既に知っている。しかし今日は、僅かに瞳が揺らいでいるような気がした。

「なんで逃げねンだよテメェは」
「私には“個性”関連の攻撃は効かないの。だから、」
「“個性”以外の攻撃なら普通に食らうんだろーが!」
「……合気道、習ってるから、それなりに護身はできるかな、って……、」

 あまりの甘い考えに苛立ちが募り、つい口調が荒くなってしまった。そのせいなのか、それとも今更先ほどの状況を思い出して怖くなったのか。もともと揺らいでいた瞳がじわりと水気を帯び、身体が小刻みに震えだした。
 言い過ぎたかもしれない、などと、無意識のうちに自分の行いを反省するなんて、らしくない。しかしなまえを見ていたらどうにも「らしさ」が貫けず、自然と口調が緩やかになっていた。

「ンな甘ェもんじゃねえわ」
「銃、相手じゃない、し、」
「そういう問題じゃ……」

 と、そこでまた急に頭痛がひどくなり、言葉に詰まった。なまえとやりとりを交わしているうちに少しずつ頭が痛くなり始めていることには気付いていた。しかしそれでも、痛みに気づかぬフリをして会話を続けていたらこれだ。
 俺は以前にもどこかで今のような会話をしたような気がする。そう思った瞬間、痛みが急激に増したのだ。どこで? どんな状況で? 誰と? やはり何も思い出せない。しかしこの頭痛からして、なまえとの記憶が絡んでいることは間違いない。
 なまえが瞳に涙を溜めているのは、もしかして俺との過去を思い出しているからではないだろうか。そんな予感が的中したのか、ずきり、ずきり。更に頭痛が増す。煩わしい。だがここで諦めたら、また何も思い出せないままだ。俺は頭痛に耐えながら考えた。
 俺たちの周りには野次馬やらヒーローやら警察が大勢いる。この場所でこの状況は些かまずいかもしれない。俺はなまえの腕を引っ張り近くの警察に「コイツは後で連れて行く」とだけ伝えて店を出ると、人気のない店の裏手まで連れ出した。

 移動している間にも頭をフル回転させて記憶を呼び起こさせようと努力する。さっきの会話はいつどこで交わした? なまえがヴィランに襲われそうになったことがあったのか? それとも誰かを庇おうとでもしたのだろうのか?
 ずきん、ずきん。頭痛がますます酷くなっていく。汗が吹き出して止まらない。立っていることも辛くなり、思わず蹲る。痛みのせいで呻き声が漏れているような気がするし、上手く呼吸ができない。なんて醜く無様な姿なのだろう。今ヴィランに襲われたら何もできない。ヒーローが聞いて呆れる。
 思考を止めればこの痛みから解放されることは知っていた。しかしこの痛みに耐えなければ、俺はこの先永遠に何も思い出せないこともまた、知っている。
 思い出さなくてもいいのかもしれない。こんなクソみたいな痛みに耐えてまで思い出さなければならないことじゃないのかもしれない。それならこんなに辛い思いをする必要はないのではないか。あまりの痛みに、一瞬、思い出すのを諦めかけた。その時だ。

 ふわりと何か温かいものに包まれる。何か、って、この場にいるのはなまえだけなのだから、俺を包み込むみたいに抱き締めてくるヤツなんてなまえしかいないのはわかりきっていることなのだが、そんなことを冷静に考えている余裕はなかった。
 俺は、この温度を知っている。温度だけじゃない。身体に触れる柔らかさも、ほのかに香る匂いも、耳に聞こえてくる息遣いも、自分とは違う心臓のリズムも、全部、俺は知っている。それに気付いて、思わずなまえにしがみついた。
 もう少し。本当にあともう少しで、何かが思い出せそうな気がした。そして確信する。この記憶は思い出さなくていいものではない。絶対に失ってはいけないものだ。俺の中の本能がそう言っていた。
 だからどうにかして“あともう少し”を埋めようともがく。頭が割れそうなほど痛い。なまえの腕を掴んでいないと倒れそうだ。こんなみっともない俺を、なまえはまだ包んでくれていた。そして言う。俺の知っている柔らかな声音を震わせながら。

「いいから。もう、思い出そうとしなくていいから。ごめん……ごめんね、思い出させようとして、ごめん、」

 震える声のボリュームは消えそうなほど小さいのに、俺にはなまえが叫んでいるように聞こえた。
 なんでそんなこと言ってんだよ。お前は俺と結婚してんだろーが。俺がお前のことを忘れてから、どんなにひどい言葉を浴びせても諦めないぐらい、俺に惚れてんだろーが。それなら思い出してほしいに決まってんだろ。何が何でも思い出させようとしろや。早く思い出せって怒鳴りつけろよ。なんで「思い出さなくていい」なんて言ってんだ。諦めてんだ。謝ってんだ。お前は何も悪ィことなんかしてねえのに。

「あなたはそのままでいいから。苦しまなくていいから、」

 尚もなまえは俺に言う。諦めろ、と。俺を苦しめないために。俺が苦しい? 違ェだろ。苦しんでんのはお前じゃねーか。なんでいつもいつもお前は……おまえ、は。
 お前じゃない、なまえだ。なまえ。なまえ。なまえの名前を何度も何度も、頭の中で繰り返し呼んでみる。痛い。本当に頭が割れそうだ。もしかしたらこのまま脳みそが弾け飛ぶかもしれない。しかしそれでも、一瞬でも、俺はお前を、なまえのことを、思い出したいと思った。心の底から。だって俺はお前のことを、「」。

 靄がかかっていた。ずっと。その靄をかき消そうとしたら頭痛が激しくなって、途中で諦めていた。しかし、今回は諦めなかった。諦めたくなかった。その結果、とんでもない頭痛の後、突然その靄が消えた。消えて、呼吸が止まりそうになって、意識が遠のく。
 ああ、俺はこのまま死ぬのだろうか。愛する女を忘れていた罰として。